社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

4月13日(土) お散歩のダブルヘッダー。

2019年04月14日 20時39分46秒 | 2019年

 8時起床。洗濯機を2度回す。

 朝食は冷凍のチャーハンと唐揚げ、娘の朝食の残りの卵焼き。

 家族3人で岸根公園へお散歩に出掛ける。雨の日も風の強い日もあったし、時期的にももう桜は見られないかと思っていたのだが、まだかなり綺麗に咲いていた。ちょっと葉桜になってきたくらいの桜も生命力豊かな感じがして良いものである。

桜以外にも見所はたくさんある。それが春の良いところだ。

新緑もそのひとつ。

 公園内をお散歩しながら、(地下鉄の駅から見て)一番奥のひょうたん広場まで行く。ここが一番空いていて、ゆっくりできる。

 娘はかなり本格的に歩けるようになってきた。芝生なので転んでも大丈夫だし、本人も自由に歩き回れて楽しそうにしている。木の枝や大きな石を見つけては、私たちに届けてくれる。

 帰りの途中で妻と娘と別れ、新横浜駅のビックカメラで買い物(パソコンのマウスやSDカードを購入)したついでに、駅ビルの中に入っているお肉屋さん「スギモト」で昼食を調達して帰る。ステーキ、ハンバーグ、コロッケ、佃煮と、肉三昧である。

 妻が買い物に行っている間、娘と一緒にテレビで競馬を見る。中山競馬場のメインレース、春の障害G1の中山グランドジャンプで、オジュウチョウサンが4連覇を達成した。他の全ての馬にマークされ、入れ替わり立ち替わり競りかけてこられたにも関わらず、最後の勝負根性は素晴らしいものがあった。また、鞍上の石神騎手の手腕も光ったレースだったと思う。あれだけの難コースで常に最短経路を確保した乗り方をしており、さすがだなと思った。人馬一体とはこういうことを言うのだろう。

 妻と交代し、ウォーキングへ出掛ける。先週のオードリーのラジオを聴きながら、2時間ほどしっかり歩く。前半はこれまでにも歩いたことのあるルートだったのだが、途中から新たな経路開拓に挑んだところ、予想以上に未知のルートを通ることになり、一時は自分がどこにいるのか全くわからないという状況になったほどだった。1本道を散々歩いた挙句に行き止まりだったり、とんでもない坂の上り下りがあったり、スリリングで楽しいウォーキングになった。

途中、自販機でジュースを買って休憩。アセロラ味の三ツ矢サイダーは初めて見た。確かに、かなり酸っぱい。アセロラ酢(そんなものがあるのか知らないが)を飲んでいるようだ。

こういう先の見えない階段を見つけると、どうしても登ってみたくなる。

こういう整備されていない道を見つけると、どうしても進んでみたくなる。

どこにいるかわからなくなっても、見晴しの良い場所があればプリンスホテルのおかげで新横浜駅の場所がわかる。

家の近くまで戻り、再度ジュースを飲みながら休憩。

ふと見上げると、電線がとても複雑に入り組んでいた。一番上の線をメンテナンスする時には、どうやってそこまで上るのだろう。

 帰宅後、娘が夕食を食べている間に一眠りする。

 娘をお風呂に入れ、寝付かせてから夕食。写真だとよく見えないが、ひじきと鶏肉の和え物がとても美味しかった。

 日付が変わる頃に就寝。


4月12日(金) 娘を勇気づけるメッセージ。

2019年04月14日 13時27分46秒 | 2019年

 6時半起床。今日から娘の保育園の預け時間が7時45分になったので、私も預けに行けるようになった。そのため、今日からはこれまでより30分早く起きることになる。家を出るのは7時半過ぎなので、前半の30分は私が身支度で妻が娘の食事のお世話、後半は妻が身支度で私が娘のおむつ交換や着替えを担当する。今日は初めてのオペレーションなのでかなり戸惑い、非効率な動きばかりで相当疲弊することになった。ひとつ教訓として学んだのは、スーツに着替えてからのおむつ交換は避けたほうがいいということである。

 妻と一緒に娘を連れて保育園へ行き、妻に教えてもらいながら備品や衣類等の補充をしてから、担任の保育士さんに娘を預ける。保育園に入ったときから娘は私にがっちりしがみついていたのだが、保育士さんに預けるタイミングでギャン泣きになった。私は平静を装って先生に「よろしくお願いします」、娘に「じゃあ行ってくるね」と言ってその場を後にしたが、内心はかなり複雑な心境だった。これまでに見たことのない娘の泣き顔、聞いたことのない泣き声を体感してしまうと、やはり冷静ではいられない。

 朝からバタバタして疲れてしまい、若干ふらついてしまうほどだったので、妻と別れたあとで保育園の前からタクシーに乗り、会社に出勤する。めちゃくちゃ楽だし思っていたほどの金額ではなかったのでこれはこれでありだなと思う部分もあるのだが、これが癖にならないように気を付けないと。

 午前中は上司と出張に出掛ける。これまで担当したことのなかった業界でありながら、個人的にとても身近だった業界なので、これからのお付き合いがとても楽しみである。

 昼食は、横浜橋商店街の中にある蕎麦屋「江戸藤」で、ざるそばとかき揚丼のセットを食べる。この商店街は桂歌丸さんが愛した商店街としても有名で(実際に頻繁に訪れていたし、名誉顧問を務められていた)、「江戸藤」も御用達のお店だったそうだ。確かに、商店街も、このお店も、歌丸さんの持っている雰囲気と通じるものがあるように感じられる。

 午後は、オフィスで事務処理。周囲の方々のご協力のおかげで、年明けから作成を進めてきた冊子の最終稿がまとまった。これでひとつ肩の荷が下りた。

 上司との相談、打ち合わせなどを中心に、21時半過ぎまで残業。

 22時過ぎに帰宅。夕食はポークソテー。いい具合に脂がのっていて美味しい。

 今日行われた東京大学の平成31年度学部入学式において、上野千鶴子名誉教授が述べた祝辞が話題になっている。私はそれを、帰りの電車の中で読んだインターネットの記事で知った。家に帰ると、妻もその情報を知っており、既にその全文に目を通したそうで、ホームページで読めることを教えてくれた。

 全文を読んで、心が震えた。日本のジェンダー研究を牽引してきた上野千鶴子という社会学者の生き様が凝縮された言葉であり、東大生に限らずこれから時代を担っていく後進たちへの渾身のメッセージだ。私は上野先生の存在がなければ大学に行っていなかったはずで、大袈裟ではなく彼女によって人生を大きく変えられた人間なので、このメッセージにはぐっとくるものがあった。さらに、入学式の祝辞に彼女を登壇させた東京大学の姿勢にも感銘を受けた。日本の最高学府の入学式で、彼女が、このようなメッセージを発信することの意義はとてつもなく大きいものだと思う。

 以下、東京大学のホームページよりその祝辞の全文を引用する。いつかこのメッセージが、社会の不条理に直面した娘を勇気づけるかもしれない。もちろん、未来はそんな不条理のない世の中になっていることを願いたいが。


平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

 ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

女子学生の置かれている現実

 その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

 女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

 事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

 最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

 そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

 東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

 東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

 これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

 学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

女性学のパイオニアとして

 こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

 学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

変化と多様性に拓かれた大学

 言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

 あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

東京大学で学ぶ価値

 あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 

平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子


 この日記を書くにあたって再度読んでみると、この考え方はあの著書の中で述べられていたな、この言葉はあの時のゼミで聞いたな、というように、私が彼女から学んだこと、影響を受けたことが詰まっている。将来、娘に「私の名前の由来になった『上野千鶴子』ってどんな人なの?」と聞かれることがあったら、私が四の五の説明するのではなく、このメッセージを読ませよう。それほどまでに、このメッセージには私にとっての「上野千鶴子」が溢れている。