社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月31日(火) 大切な人たちに会いに行く。

2020年01月01日 23時50分14秒 | 2019年

 7時起床。

 朝食は卵焼きやパンなど。

 身支度を整え、家族揃って9時前に家を出る。

 新横浜駅09時08分発の東海道新幹線こだま630号に乗り、東京へ。車内は驚くほど空いている。娘は新幹線に乗れることが嬉しかったのだろうか、とてもご機嫌だった。

 東京駅から京浜東北線に乗り換え、川口へ。こちらもまた空いていた。大晦日の朝から行動する人はあまりいないのだろう。

 川口駅からタクシーに乗り、私の父方の祖母が入居している老人ホームへ。久しぶりに会う祖母は相変わらず元気そうで、私のことも見ただけで認識してくれたし(祖母は痴呆症なのだ)、耳の聞こえも良く、何より声や笑顔に活気があった。娘は緊張して固くなっていたが、曾孫を眺める祖母の顔がとても嬉しそうで、連れて来て良かったと思った。

 バスに乗り、私の実家へ向かう。

 久しぶりに父と母に会う。娘は引き続き緊張で固くなっていたが、母が用意しておいてくれたおもちゃに夢中になり、すぐに元気に動き回るようになった。アンパンマンの滑り台がお気に入りのようで、満面の笑顔で何度も滑っていた。

 しばらくして弟一家も到着。甥っ子たちがプラレールを広げ始め、一気に居間に活気が溢れる。娘もプラレールの電車たちに興味津々のようである。そんな姿を見せられると、鉄道好きのお父さんは大人買いしたくなってしまうのですが。

 みんなで昼食。お正月用の煮物やお吸い物、蒲鉾に加えて、牛肉やピザ、本格チーズといった特別料理が並ぶ。甥っ子たちはチーズをスライスして頬張り、娘はチャーシューの箱を独り占めしてがつがつ頬張っていた。娘は終始ずっと食べ続け、デザートの苺も常に両手で抱えてどんどん口に放り込んでいた。みんなが驚くほどの素晴らしい食べっぷりである。

 子どもたちが2階の部屋で遊んでいる足音を聞きながら、大人だけでゆっくり話をする。ちょっぴり真面目な話もした。

 私たちは夕方においとまし、今度は妻の実家のある川越を目指して再び移動を始める。久しぶりに西川口駅に向かう道を歩いたのだが、やはりどんどん外国人の比率が増えているような気がする。こういう言い方をすると差別的だと批判されるかもしれないが、もうこの町に住むことはないだろう。少なくとも、この町で子どもを育てることは考えられない。どう考えても、ある意味でしっかりした反社会的勢力が地盤を築いていた過去の風俗街のほうが、街としての秩序は維持されていた。

 強風で川越線が大幅に遅れ、大宮駅で足止めを食らった上に走り出してからもなかなか進まず、川越に着くのが予定よりかなり遅くなってしまった。学生時代によくこのような目に合っていたという妻が、家を出る段階で「多少面倒でも東武線周りのほうがいいんじゃない?」と言ってくれていたのだが、私がその提案と真剣に向き合わなかった結果がこれである。埼京線と川越線のどこかで遅れが生じた場合、JRは新宿-大宮間を優先し(そりゃそうだ)、大宮-川越間は見捨てられてしまうらしい。川越線の脆弱っぷりを舐めてはいけなかった。

 川越駅まで義父が車で迎えに来てくださり、19時前に妻の実家に到着。

 入浴を済ませ、紅白歌合戦を観ながら年越し蕎麦をいただく。天ぷらが美味しくて、お腹いっぱい食べた。

 21時半過ぎだっただろうか、娘を寝かしつけるタイミングで私もそのまま眠ってしまう。ビートたけしの「浅草キッド」はリアルタイムで聴きたいと思っていたのだが、眠気に勝てなかった。起きていた間に見られた紅白の中では、ラジオでもよく流れていたOfficial髭男dism(Pretender)と、なんと言っても椎名林檎(人生は夢だらけ)が素晴らしかった。思わず見とれ、聞き惚れてしまった。

 ちなみに、後から録画で観た「浅草キッド」はやはり格別だった。歌の上手い下手を超越したところで、ビートたけしが歌うこの曲の力はすごい。特に、M-1グランプリでの芸人さんたちの鬼気迫る姿を見せられた直後だと、さらに心に沁みるものがある。