社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

9月28日(土) 青臭いのかな。

2024年09月30日 08時02分07秒 | 2024年

 8時半起床。娘は既に起きていて、あつ森をやっている。

 朝顔の水やりをする。久しぶりである。

 朝食は豆乳ヨーグルトとソイプロテイン。娘にもジュニアプロテインを作る。

 デザートはぶどう。クイーンニーナは既に食べきり、巨峰もこれで最後。残るは娘の一番好きなシャインマスカットが僅かとなった。

 昼食はチャーシュー丼。

 食後はそのままお昼寝。寝室でぐっすり眠る。

 妻と娘は来週の遠足のおやつを買いに出掛け、その帰りに「sinonoka」でケーキを買って来てくれた。

 入浴を済ませてから夕食。鶏団子スープの鶏団子が崩れてしまったとのことだが、スープと混ざって味がしみており、美味しい。

 お刺身は鰹とサーモン。どちらも娘の好物である。

 先日、ぶどう狩り後に昼食をとった「はやし園」で母が買ってくれた枝豆が美味しい。苗が特別なのか、育て方か、それとも純粋に新鮮なのだろうか。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 来週、娘は生活科の授業で朝顔のリースを作る予定になっている。どうやって作るのかを聞いたところ、茎(蔓)を根元から切って巻いていくとのこと。まだまだ元気で花も咲かせているのだが、そうか、やはり切ってしまうのか。

 私の中では、例えば「食べるために魚を釣って捌く」のと「財布を作るためにワニを捕まえて皮を剥ぐ」のは別物で、「朝顔でリースを作る」は後者に属する。冬になって枯れたものならまだしも、まだ元気に花を咲かせているものをリースにするために切ってしまうということに、強烈な嫌悪感を覚える。そして、それを子どもにやらせるのは教育的にもどうなのだろうと思う。

 という話を結構な熱量で妻にしたら、「綺麗事に聞こえる」と一蹴された。その瞬間は感情的な反論をしてしまってあとから後悔したが、それと同時に、そうか、自分にとっては子どもの頃から当然のように持っているこの感覚も、人からすると「きれいごと」なのか、という衝撃が徐々に広がってきた。確かに、全身綺麗に食べられようが、皮だけ剝がれようが、殺されるという点においては全く同じである。

 育てた朝顔でリースを作るという流れは生活科の教科書にも載っているくらい一般的なことのようで、おそらく公的な教育カリキュラムに組み込まれているものだろうから、先生や学校に文句を言うのはお門違いである。仮に意見をするとしたら教育委員会もしくは文科省だろうが、それも「きれいごと」だと反論されたら何も言い返せない。こればかりは価値観の問題だからどうしようもない。

 私がずっと朝顔のお世話をしてきたのはリースなんかを作るためではないんだけどな…と思いつつ、娘の朝顔を私がお世話してきたのは我が家の都合だしなとも思う。学校に持って行った鉢、そしてお盆期間中から預かり2学期再開後も学校に行く度にお世話をしていた先生方の鉢は、火曜日までの命である。こればかりは仕方ない。私に出来るのは、娘の鉢から分鉢して我が家で育てている3つの鉢のお世話を続けることしかない。

 ちょっと久々にダメージが大きい。

 日付が変わる頃に就寝。


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