社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

4月24日(火)

2012年04月25日 22時44分04秒 | 2012年

  6時半起床。朝から快晴で温かく、日中は汗ばむほどの気温になった。

  午前中は事務処理。(慣れていないせいもあって)時間は掛かるが、その作業自体にほとんど意味はないという類のもので、ふと気付いて12時だった時は心底ゲンナリした。

  午前中の作業もそのひとつなのだが、今年から担当になった業務でどうにもこうにも気の進まないものがある。単純に手間暇が掛かるということもあるのだが、そもそもその業務の必要性を見出せない。全く無意味だとは思わないのだが、税金で給料を頂いている組織が取り組むべき業務なのだろうかと思ってしまう。しかし、文句ばかり言っていても始まらないので、きちんと取り組んでみながら、必要性の有無について考えていきたいと思う。

  21時過ぎに帰宅。寝るときに、もはや毛布は必要なくなった。コタツも、そろそろ要らなくなるだろう。そうなると、毛布やコタツ布団を収納するための何かしらが必要になる。現在は様々な収納品を段ボールに入れているが、段ボールはゴキブリにとって心地よい隠れ家になるらしいので、この際それらも全て処分して、きちんとした収納用品に入れ替えようと思う。


4月23日(月)

2012年04月24日 23時23分19秒 | 2012年

  6時50分起床。携帯電話のマナーモードを解除し忘れてアラームが鳴らず、20分の寝坊。何となく目が覚めて時計を確認したから助かったものの、そのまま気付かなかったらまずいことになっていた。

  職場に出勤して初めて知ったのだが、なんと同じ部の先輩も私と全く同じタイミングでインフルエンザに掛かって休んでいた。型も同じB型で、しかも、2人ともこれが今季2度目の感染である。1年に2回かかるだけでも珍しいのに、それが2人同時に出るとは。どちらかが先に掛かってもう一方へ移してしまったのか、来客の誰かがウイルスを持っていて2人同時に感染してしまったのか、原因は定かではないが、職場感染が起きた可能性が高くなった。

  20時過ぎに帰宅。完治したとはいえ、インフルエンザ明けで体力が低下しているのだろう。帰りの電車で寝過ごしてしまい、大船まで行ってしまった。近くのおばさんが起こしてくれたから気付いたが、それがなかったらそのまま折り返して2度も本郷台を乗り過ごすことになっていただろう。

 

 


4月22日(日)

2012年04月23日 23時14分54秒 | 2012年

  9時起床。不意に訪れた一足早いゴールデンウィークも、今日が最終日。決して楽しくはない1週間だったが、そんな休みでも終わるのは寂しい。

  昼食(焼きそば)を食べてから13時過ぎに家を出て、本郷台へ戻る。すぐに彼女と合流し、ダラダラとおしゃべり。久しぶりに時間を気にせずおしゃべりに熱中した気がする。

  19時から、サッカーJリーグ第7節、ガンバ大阪vs.清水エスパルスの試合(@万博)を見る。結果は、1-3の完敗。いずれも不運な失点で0-2とされた時点で、かなり厳しい戦いになってしまった。やはり、いくら中盤の選手を怪我で欠いているからといって、根っからのストライカーである高原選手を中盤に置くというのはかなり無理があったのではないだろうか。一応「助っ人外国人」ということになっているジミー・フランサ選手が全く機能していないのも気になるし、それでも使い続ける監督の采配にも疑問を抱かざるをえない。まだ調子が万全でないのであれば、彼はサテライトで調整させて、鍋田や白崎といった元気な若手にチャンスをあげればいいと思うのだが。


4月21日(土)

2012年04月22日 23時04分53秒 | 2012年

  10時起床。熱は完全に平熱に戻り、体調も万全である。

  昼食は、赴任先の大阪から戻ってきている弟がお土産に買ってきてくれた「551蓬莱」の豚まん。

  体調が万全になったとはいえ、まだ保菌者なので、家の中でひたすらまったりと過ごした(そう考えると、昨日の外出はまずかった)。

 


4月20日(金)

2012年04月22日 22時59分24秒 | 2012年

  10時起床。熱は36.8度。ついに平熱に戻った。

  日中は、掃除と洗濯。適度に動き回るのが新鮮で心地よい。

  夕方に部屋を出て、地元へ戻る。実家に帰る前に、南浦和の「ぼてじゅう」でお好み焼きを食べ、川口のシャノアールでビッグパフェを食べる。私の中では、これが地元における贅沢三昧コースである。

  川口駅前の本屋に立ち寄り、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を購入。最近急速にメディア露出が増えたが、どうやらいろいろと批判も多い社会学者の本である。その内容に興味があるのはもちろんだが、単純に同い年の社会学者が出てきたことに対する複雑な感情がこの本を手に取らせた。

  その後、友人と銭湯へ。その前に、先週の土曜日に亡くなった彼のお父さんにお線香をあげさせて頂いた。1週間経って葬儀も終わり、友人はかなり落ち着きを取り戻した様子だった。まだこれから大変なことがたくさんあると思うが、少しでも支えになれればと思う。