たまには
自分が食べたいものを夕飯にしたいので
仕事が休みの月曜日は
私が夕飯を担当した。
チキンの胸肉が解凍されてたので
家にある玉ねぎや人参 ペッパーを加え
チキンの甘酢かけ
酢豚のチキン番にした
私が初めて酢豚を口にしたのは
学校給食だったと思う。
こんな言い方をすると
私を育ててくれた祖母に悪いけど
学校給食は祖母の料理より
ずっと美味しく
バラエティーにも富んでいたので
昼食の時間は
楽しみの一つだった。
小学時代の成績はアプダウンが激しくて
友達を作るのは苦手で
でも
私は
学校に行くのを楽しみに毎日を送っていた。
月曜の夕飯は
炊きたての御飯におかず一品
で
も
二人には好評で
私もまあまあ 満足できた。
フレディコを放し飼いにしたり
続き物のテレビドラマを観たり
3人でおしゃべりして
夜を過ごした。
さあ
今日から4日間仕事です。
ぽちっとね
その名はぼんやりと覚えています
すみれさんのお父さんは美味しいものを良く知ってましたよね
裕福に育ったこともあるんでしょうね。
お子様ランチも懐かしい
国旗が立ってましたよね
今もそうなのかなぁ
日本は国旗も家に立てなくなったように聞きますが
はりまや橋のすし柳で買って食べたけど、それほど、おいしいと思いませんでした。それと食べ物の思い出は、堀詰のレストラン明治で、お子様ランチを食べたことです。ボーイさんがいて、なんかイヤな感じがしました。オムライスに挿してあった国旗を🇯🇵持って帰りました。
後日、枡形のお好み焼き屋さんへ行ったら、そのボーイさんが店の奥から出てきて、びっくりしたことでした
給食を嫌う人は結構多いですよね
きっとそんな子たちは家で美味しいものを食べてるからだろうと思っていましたが そうでもないわけですね
誰か他の人が美味しい料理をつくっていたのでしょうか?
考えていると不思議です
中国人の寿司この話を聞いていると
日本では貧しくとも高校にも通えたし恵まれている方だと思うことです
小学校の給食もおいしい食べ物はなく苦痛でした。脱脂粉乳はマクがはって気持ちが悪く、定番メニューのおうどんは、短切りの大きな人参や玉ねぎが入っていました。戦後15年のことなので、そんなものですかね
家に、お風呂があったので、恵まれていたかな