私も学生時代に松葉杖生活をした事があった。
ただこれと言って不便を感じた記憶がない。
あの狭いアパートで一人暮らしをしていた自分は一体どんな生活を送っていたのだろうとバッキーの松葉杖生活を見て不思議に思い始めた。
記憶にないという事は、然程不便さを感じていなかった事になるものねぇ
思い出そうとすると転んだ翌朝、足が腫れ上がっていた事
そうしてその足で歩き、電車に乗って大学病院に行くと骨折の診断を受け、ギブスをされた事などがぼんやりと思い出されもする。
あの頃、その日暮らしだった私はバイトも出来ずに どうやって暮らしていたんだろう。アメリカだったらフードスタンプがあるけど、、、。
その松葉杖生活で一つだけ不便さを感じたのは、大阪まで行く用事が出来た時だ。
神奈川から松葉杖をついて、いくつかの電車を利用しなくてはいけなく、駅の階段の上り下りに疲れ、顔がゲッソリなった自分の姿に申し訳なくなった。
なにしろ若い頃から顔に出るタイプの私は、疲れると化け物になるんでねぇ。
大阪での用事は友人の一人がその頃放送されていた”恋のトリプルチャンス”って云う桂三枝さんの番組に応募したことから、そのオーディションを受けに行くことになったのだ。
受けたオーディションで覚えているのは
”水着で出ることになったら どうします?” と
中年の男性に質問された事
”み み 水着?”
小学時代から太ももにコンプレックスを持っていた私は中学1年の時”腰が一番大きいで賞” をクラスの男の子に貰った事があった。
”私が一番大きいはずはない。00ちゃんの方がずっと大きい” と
そうは信じていたけれど
私はその頃から自分の腰が妙に気になり始めた。
どうもそれは未だ私の中にあるようで スカートの水着が手放せないでいる。アメリカにいる今は大きさではなく形だけどね。笑
”水着なんて絶対イヤだ” とすぐに思ったけど
”勿論OKです” と言った方が良いだろうと思い、数秒間の沈黙の後そんな返事をしたように思い出す。
暫くして届いた通知で”恋のトリプルチャンス”に出ることを知ったけど、水着姿ではなかった事にホッとしたことだった。
写真は床屋でフットボールを観ていた日曜日の夕方。オーダーしたピザを取りに近くのバーに行った時に撮った。歩いていたのは私一人 通りは静まり誰もいない。
コロナ前賑わっていたバーは、今も客数が少なくバンドの奏でる音だけが、やけに鳴り響いていた。
ぽちっとね
ええーー?
大阪までですか?
それは大変だ!
記憶って
印象に残ってることが
いいことばかりではなく
悲惨なことや、香りだったり
様々ですよね。。。
私が今思い出せる過去の思い出は気持ちを良くしてくれるものが殆どです
その頃、私は大阪に住んでいました。
大阪には帰国すると行くのですが観光はしたことないかもです。
高1の時にバスケゲームで負傷してしばらく松葉杖だったんですが、学校関係での事だったんで、顧問の先生か担任の先生が車で送り迎えしてくれたんです。
それじゃテレビに出たんですか?
すごーーい!!
えっ
高校時代 バスケ選手だったんですか
すご〜い
36歳で運転免許を取得してからは、楽になりました。
若い頃って、体力、気力があるから今だったら大変なことでも、案外、平気よね