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MFCオーナーのブログ

追悼:ケーシー・ケイサム

2014年06月17日 00時08分40秒 | 時事・社会ネタ

この名前を聞いてピンとくる人が、いったい何人いるのだろう? ケーシー・ケイサムが亡くなった。享年82歳。ここ数年は闘病生活を送っていたらしい。謹んでご冥福をお祈り致します。

ケーシー・ケイサム、アメリカのDJである。クラブやステージでターンテーブルを回す人ではなく、ラジオで喋るDJである。もしかしたら、ラジオで喋りながらターンテーブル回してたかもしれない。アメリカのDJと言えばウルフマン・ジャックだよ、と言う人もいるかもしれないが、僕にとってはDJと言えば、やはりケーシー・ケイサムなのである。何故なら、彼がDJを務めていた『全米TOP40』を、毎週のように聴いていたからだ。

今を去ること約35年前、高校生だった僕の楽しみは、土曜日の夜にラジオ関東の『全米TOP40』を聴く事だった。その為に一週間を生きていた、というのはもちろん大げさだが、僕の高校生活は『全米TOP40』と共にあった、というのは言い過ぎではないかも。あと、吹奏楽部もだけどね(笑) 土曜の夜11時、ノイズだらけのラジオからケーシー・ケイサムの声が聞こえてくると、それだけでわくわくしたものだ。あ、いや、ケーシの声にわくわくしたまではなくて、これから始まる最新のヒットチャートにわくわくしたんだけど(笑)

当時の『全米TOP40』は、アメリカから送られてくる番組の音源に、日本側出演者によるアナウンスや解説等を加えて再構築したもので、決してケーシー・ケイサムが喋りまくる構成だった訳ではない。彼の声が聴けるのは、曲紹介や順紹介くらいで、番組そのものは、湯川れい子やラジオ関東アナウンサーの坂井隆夫、或いは一般公募で選ばれたアシスタントたちによって進行されていた。要するに、日本で作ってるラジオ番組って感じだったのだ。

にもかかわらず、ケーシー・ケイサムと言えば『全米TOP40』の印象は強い。まだ10代だった僕に、最新のアメリカのヒットチャートとアメリカへの憧れを、ケーシーの声が運んできた、という気がする。

ケーシー・ケイサムが他にどんな番組をやってたのか知らないし、その後どんな活動をしていたのかも知らない。80年代中頃には、あれこれあって僕も『全米TOP40』を聴かなくなっていた。番組のその後も知らない。どっかのFM局で放送していたような気もするが。

『全米TOP40』は僕の青春でした、とまでは言わないけど、高校時代を思い出す時、決まって真っ先に頭に浮かぶのは、部屋のベッドでゴロゴロしながら『全米TOP40』を聴いていた自分の姿である。青春ではなくても、それに近い、重要な存在だったに違いない。今回、ケーシー・ケイサムの訃報に接して、またひとつ、何かが終わってしまったような気がしている。

ケーシー・ケイサム、安らかに。

コメント (7)
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