日々の覚書

MFCオーナーのブログ

日本シリーズとジャケットの話・続き

2021年11月29日 18時27分12秒 | スポーツ

2021年のプロ野球日本シリーズは、4勝2敗でヤクルトがオリックスを下して日本一となって幕を閉じた。いやはや、しばらく日本シリーズは見てなかったけど、稀に見る素晴らしいシリーズだったのではないか。6試合中5試合が1点差、残る1試合も2点差と、接戦ばかりだったのが、それを物語っている。両チーム共、最初から最後まで、とにかくピッチャーが素晴らしかった。正直なところ、打ち込まれたピッチャーなんていなかったのではないか。わずかな例外を除いては。ほんと、こんなシリーズは記憶にない。

これだけピッチャーがいいと、監督も策を練ってもどうしようもない、って感じ。高津・中嶋両監督共、選手交代の人選以外、特に何もしていなかったのでは、と思われる。というか、監督があれこれ考える余地のない試合展開だった、という事だろうと思う。高レベルの投手戦とはそんなものなのではなかろうか。中嶋監督の采配ミスらしきものが2~3回見られたが、ピッチャーが帳消しにしてくれたようだ。

ヤクルト、オリックス両チームの選手、監督、コーチ等関係者の皆さん、そしてファンの皆さん、本当にお疲れさまでした。また来年もこんなレベルの高い日本シリーズ見たいです。

閑話休題

以前、アルバム・カバー(ジャケット)をネタにしたが、今回自分なりにベスト・ジャケットというのを選んでみた(唐突)。もちろん、20枚とか選べないので(笑)、8枚だけだが(爆)、それも手持ちのアルバムからだけど(爆)

で、こんな感じ。順位とかはありません^^;

割に有名な作品ばかりなので、解説なし(笑) ビートルズは、良いセンスのジャケット多いと思う。有名な『アビー・ロード』の他『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ラバー・ソウル』に『ホワイト・アルバム』も斬新だったな。誰のアイデアなんだろう? ソロになってからは、4人とも優れたデザインのジャケットは少ないので(笑)、メンバー以外の人という事になるのかな、ネタ元は。

それと、僕個人はヒプノシスが好きらしい(笑)

あと、持ってないので載せなかったけど、クラッシュの『ロンドン・コーリング』、サンタナの『アミーゴ』も名作ジャケではないかな。オリビア・ニュートン・ジョンの諸作、「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」でお馴染みのワイルト・チェリーのデビュー・アルバム、オハイオ・ブレイヤーズの諸作も名ジャケットとして忘れがたい。

というか、案外と名作アルバム・ジャケットって思いつかないもんだ(苦笑) こんな程度ですまそ。

そろそろ12月、2021年も終わりである。淋しいな。

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久々に日本シリーズを観戦してあれこれ思う

2021年11月23日 11時12分13秒 | スポーツ

今年もプロ野球日本シリーズが始まった。パ・リーグはオリックス、セ・リーグはヤクルト、という組み合わせは、思い起こせば1995年以来26年振り! あの時、両チームの監督は、ヤクルトが野村克也氏、オリックスが仰木彬氏で、今は共に故人である。1995年のその日本シリーズに選手として出場したヤクルトの高津投手、オリックスの中嶋捕手が、現在それぞれがそれぞれのチームの監督を務めていて、日本シリーズで対決するとは、何か因縁めいたものを感じるなぁ、と思っていたら、テレビの中継でもアナウンサーが同じ事言ってた(笑) 正直言うと、現役時代の高津・中嶋の双方とも、将来監督になるなんて、全く想像もしていなかったな^^; 野村氏或いは仰木氏の教えをちゃんと受け継いでいるのだろうか?

今年のシリーズの話題は他にもあって、前年のシーズンで最下位だったチーム同士の組み合わせというのもシリーズ史上初らしい。昨今あまりプロ野球を見てないので知らなかったが^^;、今年優勝したヤクルトもオリックスも、去年は最下位だった。しかも、両チーム共、2年連続の最下位である。そのリーグ戦2年連続最下位だったチーム同士が日本シリーズで対戦するという訳だ。そりゃ盛り上がるよね(笑)

僕が一番プロ野球を見ていたのは、1980年代から90年代。80年代までは日本のスポーツ中継と言えば、ゴルフか相撲か野球だった。プロスポーツも少なかったし。90年代に入ると、Jリーグが発足してサッカー人気が盛り上がり、スポーツ観戦が多様化し始めて、プロ野球も色々と変わっていった気がする。例えば日本シリーズである。

かつて、日本シリーズというのは、ナイターがメインのリーグ戦と違い、デーゲームで行われるものだった。巨人のような人気チームは、リーグ戦は休日でもデーゲームではなくナイターで、巨人のデーゲームなんて、オープン戦か地方巡業でナイター設備のない球場で試合をする時くらいのものだった時代にもかかわらず、日本シリーズはデーケームだったのである。巨人が一言申し入れればナイター開催にも出来たはずと思うが、何故かデーゲームだった。日本シリーズが現在のようにナイター開催になったのは1994年のシリーズから、と記憶している。

この年、セ・リーグは巨人、パ・リーグは西武という組み合わせでの日本シリーズで、第1戦・2戦及び6戦・7戦がデーゲーム、3戦・4戦・5戦がナイターだった。つまり、休日の試合はデーゲーム、平日の試合はナイター開催という変則的なスタイルだった。で、翌1995年のヤクルトとオリックスによるシリーズは、全試合ナイターで行われた最初のシリーズとなった。以降、日本シリーズは全てナイターで行われているはずだ。

何故、長い事デーゲームで開催していた日本シリーズを、この頃からナイター開催に変更したのか。もちろん、僕は理由は知らない。確かに、平日のデーゲームだと、昼間家にいないサラリーマンや学生は試合が見れない。土日でも、デーゲームなので昼間用事を作る訳にいかず、結局休日は日本シリーズだけで終わってしまう。見る側からすると、こういう問題がある。視聴率だってデーゲームよりナイターの方が高いだろう。選手だって、慣れてるナイターの方がやりやすいのでは。けど、日本シリーズはデーゲームだったのだ。

ただ、昔は、日本シリーズというとリーグ戦とは違う、なんというか、緊迫した雰囲気が漂っていたのは確かで、もちろん日本一を決める、という最終決戦だから当然なのだが、普段と違うデーゲームというのが、普段と違うムードを醸し出していたのも事実のような気がする。そんな一種異様なムードに呑まれて、選手は普段の力が出せない、監督はシリーズ用にオーダーをいじったりした結果自滅、なんて事になったりして、正に何が起こるか分からなくてハラハラドキドキ、それが日本シリーズというものだった。日常的に行われているリーグ戦とは全く違う試合が行われていたのである。

日本シリーズがナイター開催になった1994年以降、ハラハラドキドキを感じる事が少なくなっていった気がする。おそらく、デーゲーム開催という非日常感が、日本シリーズに緊張感をもたらしていたのだろう。

余談だが、80年代の日本シリーズは、だいたい10月下旬から11月上旬にかけて行われていた。僕の印象では、学生の頃、日本シリーズは学園祭の時期と重なっていた。つまり、10月最後の週から始まって11月3日頃まで。毎年必ず同じ、というのでもなかったけど。この時期だと、たとえ昼間でも昔はそこそこ寒かった。ドーム球場も少なかったし。だから、ナイターではなくデーゲームにしてたのだろうか。昼間なら夜よりは暖かいだろう、ってな感じで(笑) 

久しく日本シリーズ見てないけど、ナイター開催が当たり前になってからシリーズ開催時期が遅くなった気がする。もちろん、リーグ戦130試合だった昔と違い、今は交流戦とかもあって、試合数も増えてるだろうから、遅くなるのは仕方ないのかもしれないが、反面、雨で中止になる試合は圧倒的に少ないはずなので、試合消化のペースは昭和の頃よりずっと早いはずだ。開幕も昔よりは早いし。という訳で、11月の野球観戦はドーム球場でないと寒くて厳しいと思うので、なるべく、日本シリーズは10月開催にした方がいい、と思うのであります(笑)

ついでに言ってしまうと、昨日沢村賞が発表された。オリックスの山本投手である。今シーズンの成績は申し分のないものだったので当然であるが、何故この時期に発表するのか、というのが疑問。昔の話ばかりで恐縮だが、リーグ戦の表彰選手(MVP、ベストナイン、沢村賞等)は日本シリーズが終わってから発表されていたような気がする。それに、いつ頃からかは分からないが、ドラフト会議もシリーズ前にやってるね。なんかヘンな気がするけど、ま、いいか。

という訳で、今年のヤクルト-オリックスの日本シリーズ第3戦は、今日神宮球場で行われる。絶対寒いと思うので、選手も観客も防寒はしっかりして欲しいと思う。思い起こせば、この2チームが前回対戦した1995年の日本シリーズは、10月終わり頃の開催だったかと思うが、第1戦と2戦の場所は当時オリックスの本拠地だったグリーンスタジアム神戸で、ここ結構山の中にあるので、ナイターは見るからに寒そうだった。テレビでも伝わってきたくらい^^; あの時、オリックスはイチローが封じられた事もあって、ヤクルトに歯が立たず、1勝しか出来ずに敗退した。今年は26年越しのリベンジなるか?! 

思い出したついでに(笑) 1995年の日本シリーズでオリックスは1勝しか出来なかった、と書いたが、その1度だけ勝った試合、確か神宮球場での第4戦で、ヤクルトが3連勝で早くも王手をかけていて、なんとなく圧倒的な力の差を感じてたので、ヤクルト4連勝で日本一になるのでは、というムードが漂う試合でもあった。ま、細かい試合経過は覚えてないので省くが(笑)、同点のまま延長戦となり、10回裏あたりのヤクルトの攻撃で、得点圏にランナーを置いてオマリーが打席に立った。ご存知、阪神で活躍し首位打者にもなったが、優勝を経験したい、とヤクルトに移籍したビル・クリントン似の選手だ。オリックスのピッチャーは小林だったと思うが、おそらくこの場面、誰もがオマリーがサヨナラヒット打ってヤクルト日本一、と想像してたに違いない。実況もそんな雰囲気だった。いや多分、選手たちもそう思ってただろう。でも、結果はオマリー三振。誰もがヤクルト日本一が決まる、と思ってたけど、実はバッテリーだけはそんな事微塵も考えてなかったのだ。凄い場面だった。そしてオマリーが三振してチェンジになった時、僕はオリックスのバッテリーに申し訳ない気持ちになった。不利な場面ではあったけど、バッテリーは冷静にオマリーをアウトにする事だけに集中していたのだ。正にプロ。その次の攻撃でオリックスはついに一点勝ち越し、ヤクルトの4連勝を阻んだのである。バッテリーが圧倒的不利の中オマリーをアウトにした事で、諦めかけていた選手たちが目を覚ました事で呼び込んだ1勝だったと思う。先日の実況の時にも、アナウンサーが1995年の名場面として、小林-オマリーの対決について触れてたけど、マジ名場面と僕も思う。地味だけど^^;

今年の日本シリーズも、そんな名場面に期待してます^^ 両チームの選手の皆さん、頑張って下さい。寒いと思うけど(笑)

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コールド・ハート

2021年11月21日 12時31分48秒 | 音楽ネタ

全世界で猛威を振るった新型コロナ・ウィルス(COVID-19)だが、日本に於いては、新規感染者数は大幅に減少し、収束の方向に向かい始めているようだ。長かった、ここまでは。欧米でも、何度も行われた大規模なロックダウンやワクチン接種の効果のせいか、ピーク時より新規感染者も減り(日本から見るとまだまだ多いけど^^;)、やはり収束に向けて動き始めている。と思いきや、オランダはアムステルダムで部分的とはいえ、ロックダウンを再開させたらしい。ピーク時に比べればかなり緩いらしいけど。まだまだ先は見えないのか。

このコロナ禍は、あちこちに影響を与えたが、ミュージシャンも例外ではない。去年の春あたりから、ツアーやイベントが中止になって、家に籠もる事が多くなったミュージシャン達が、時間があるものだから曲作り等に励み、これまでにないペースで新作を出したりなんかして、ポール・マッカートニーもそうだし、テイラー・スウィフトなんて新作を2枚出したと思ったら、過去の作品のリメイク・アルバムまで発表するという、実に精力的な活動をしてて、いやぁなんというか、実に良い傾向だ(笑) 創作活動の根本に立ち返った人たちも多いのではないかな。僕個人としては、ワールド・ツアーもいいけど、新作を早いペースで出してくれた方が嬉しいので、そういう意味では歓迎かも。家で過ごす事が多くなり、家でCDを聴く事も多くなる訳で、需要も増えるし、供給側の創作活動も活発になるしで、この点に於いては良い事づくめである(笑)

という訳で、最近買ったCDから。今回は大物二人のコロナ禍での新作。ちなみにどちらも「金曜販売開始商品」である(だから?)

The Lockdown Sessions/Elton John

先月だったかな、FMでエルトン・ジョンの「サクリファイス」と「ロケット・マン」の一節を組み合わせてカバーした曲がかかってて、誰か知らないけど凄い発想だなぁ、と驚き、また、カバーだと思い込んでるもんで、「サクリファイス」の部分を歌ってるのは誰だ、エルトンに似てるけど、なんて思いながら聴いてたら、DJが“エルトン・ジョンとデュア・リパで「コールド・ハート」でした”なんて言ったので、とにかくびっくりした。本人だもん、似てるよな(笑) 後で調べてみたら、この「コールド・ハート」、以前にもエルトンと共演したプナウによるリミックスだそうで、今回のは、クールだけどおしゃれなアレンジといい、「サクリファイス」も「ロケット・マン」もタイトルを含むフレーズは歌わない作戦といい、実に素晴らしい一曲である。

そんな「コールド・ハート」を含む、エルトンの5年振りの新作は、全曲ロックダウン下で様々なミュージシャンと共演したトラックを収録したアルバムとなった。先のプナウやデュア・リパをはじめ、チャーリー・プース、リサ・サワヤマ、ブランディ・カーライル等々、僕なんか名前すら知らない若手はもちろん、スティービー・ワンダーやスティービー・ニックスといった大物との共演もあり、言うならば、1993年の『デュエット・ソングス』と同じようなコンセプトで、多彩な共演者やパラエティ豊かな曲調もあり、とても楽しく聴ける。さすが、音楽業界の動向に常に目配りしているというエルトンならではの傑作と言えよう。

5年ぶりとはいえ、その間、映画も公開されたし発掘音源なども発売されてたので、そんなブランクがあった気がしないが、それも内容の素晴らしさ故かもしれない。収録曲はどれもクォリティ高くて、「コールド・ハート」の他には、サーフィスとの共演で、ラップも挿入された今風の曲調の中でもエルトンが存在感を示す「ラーン・トゥー・フライ」、聴いた事あるなぁと思ったら、なんとメタリカのカバーで、哀愁のメロディとドラマティックな展開が素晴らしいマイリー・サイラスとの「ナッシング・エルス・マターズ」、ブランディ・カーライルとの、割にエルトン風な「シンプル・シングス」といったところがお薦めだが、二人のスティービー、つまりスティービー・ワンダーとの「フィニッシュ・ライン」そしてスティービー・ニックスとの「ストールン・カー」が、なんといっても白眉である。声を聴く限りでは全く年とってない二人のスティービー、曲調も全く変わらず、実に素晴らしい。

今回は、他アーティストとの共演集ということで、エルトンの自作曲は少なく、「コールド・ハート」以外にはバーニーの名前もない。ま、バーニーも元気なんで安心してくれ、というエルトンのメッセージもあるし、次回に期待しましょう(笑) で、その代わりというか何というか、本作でエルトン主導のトラックでプロデュースや作曲に関わっているのが、アンドリュー・ワットマンという人で、もちろん知らない人だが、本職はギタリストらしく、なかなか凄いギターを弾いてたりする。これからのエルトンの頼もしい相棒といったところかな。

続いては、

Outsider/Roger Taylor

ロジャーの8年振りの新作。皆さんご存知の通り、クイーンの中で最初にソロ活動を始めたのはロジャーであり、そのクイーンの枠やイメージに収まらない音楽性やアイデアを、ソロで発散してたと言えなくもないのだが、それ故、ソロでの作品はクイーン以上にアグレッシブでエキセントリックな内容のものであったが、ある時期以降から、表現が内省的な方向にシフトしていったような気がする。ロジャー自身を取り巻く環境や心境の変化が一番大きな要因と思うが、今回の新作も似たような印象ではあるものの、加えて風格みたいなものも感じられる出来映え。さすがに、万年青年みたいに思ってたロジャーも、今やロック界の重鎮と言っても良い存在であるしね。そのキャリアや実績に裏打ちされた深みのようなものが、アルバム全体を支配しているように思う。ジャケットも良い感じ^^

ちゃんとチェックしてなかったので、あまり知らなかったけど、ロジャーもロックダウン下で積極的に活動してて、本作収録曲のうち「アイソレーション」「ギャング・スターズ・アー・ランニング・ディス・ワールド」は既に配信シングルとしてリリースされ、「ジャーニーズ・エンド」はショート・フィルムに提供された曲らしい。「アブソリュートリー・エニシング」も元々は映画への提供曲だったとか。どの曲も良いけど、個人的には「ジャーニーズ・エンド」に感動してしまった。元々ソングライティング力には定評のあるロジャーの面目躍如である。「フォーリン・サンド」「サレンダー」「ロンドン・タウン・カモン・ダウン」は過去の曲のリメイクというかリミックスというか。ロジャーが全然ブレてない、というのがよく分かる。正直に告白すると、ロジャーのアルバムを常に聴いてる訳ではなく^^;、新作が出ると思い出したように過去作も併せて聴く、という状況で、ただその度に、ブレる事のないロジャーの姿勢に感嘆してしまうのだ。それは今回も同じ。

フレディの死後、ロジャーとブライアンはソロ活動してたけど、数年後にはクイーンとしての活動に重きを置くようになった。ソロでは食えない、とロジャーが言ったとか言わないとか聞いた事があるが、今回の新作はイギリスで初のTOP10入りを果たし、最高位3位を記録したというから、ようやくソロでも食えるようになった訳で(笑)、クイーンはもういいから、こっち方面で精力的に活動して欲しい。ブライアンもね。しかし、イギリスの国民的バンドのメンバーでも、ソロでは食えないなんて、本当にこの世界は厳しいのだな、と思わざるを得ない。確かに、ロジャーの作品はグレードは高いけどキャッチーとは言い難いけどね(笑)

という訳で、ベテランや重鎮の皆さん、まだまだ頑張って下さい。

コメント (4)
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