日々の覚書

MFCオーナーのブログ

見タイ食べタイ~タイ旅行記続き

2016年03月27日 01時07分38秒 | 旅行記
さて、初めてのタイ旅行レポートの続きな訳だが、もちろん今回観光もしてきたのである。東南アジア諸国の中でも、タイは観光資源が乏しい、なんて話を聞いてたけど、本当のとこはどうなのか?

まず行ったのは王宮(ワットプラケオ)。先代の国王までが住んでいた王宮である。ここは、バンコクへ来たら外せない観光スポットらしい。今は、国王は住んでいないけど、催し物には使用されるそうで、建物としてはまだ現役なのだ。単なる観光資源ではないのである。

ちなみに、先代の国王が王宮で暗殺されたこともあり、現国王(先代の弟)は悪い思い出がある。と現在の王宮に引っ越されたのだそうな。19才の時に即位して、現在90才で在位なんと70年! 世界的に見ても長いらしい。

 

 

 



写真でなんとなく分かると思うが、物凄い人だった。さすが、バンコク一の観光名所である。で。やっぱりというか何というか、観光客は中国人が多かった。

続いては、ワットポーへ。バンコク最古の寺院だそうな。ワットプラケオからは近い。



 

こちらは礼拝堂。



ここの目玉は、なんといっても、涅槃仏でしょう。あの、横になってる大仏だ。

 

なかなかに感動的だったが、大き過ぎてよく分からなかった。全体が見れると良かったのだが。あと、改宗もとい改修工事中で、大仏の足の裏とか見れなかったのが残念。

それと、観光というか何というか、タイ舞踏を見る機会もあった。

 

 

 

多分観光客向けと思うけど、レストランでタイ舞踊ショーも見れるのだ。派手さはないものの、なかなか見応えがあった。指先で全てを表現するのがタイ舞踊らしいが、確かに独特の動きだった。ちょっとマネ出来ないな。

そして、旅の最大の楽しみと言えば、やっぱり食事であろう(笑)

 

まずは機内食である(笑) 行きも帰りもJALだったので、ある程度は期待していたのだが、ほぼ期待通りだった。写真左が行きで、メインはちらし寿司。右は帰りで、メインはガパオライス。

 



これはタイスキという、タイの鍋料理。意外とあっさりとしたスープで野菜等を煮込んでおり、全然辛くなかった。やや拍子抜け(笑) ビールはタイのシンハービール。とっても飲みやすい。タイはフルーツも美味しいそうで、同行者の一人がタイに来たらフルーツ食べるべき、と力説してた(笑) 写真は、バイナップル・ドラゴンフルーツ・すいか・パパイヤの盛り合わせ。確かに美味かった。



滞在中、何故か中華も食べた(笑) この写真のラーメンも飲茶も美味かったのだが、その後に続けて出てきた料理(酢豚みたいなのとか八宝菜みたいなのとか)は、普通にイメージする中華とは違う味がした。八宝菜みたいなのは甘かったし。



ついに登場、トムヤンクンである。これこそ、タイへ来たら食べなければ。美味かったと思う。やはり、ダメな人はいたけど。

 

余談だが、このトムヤンクンが出てきたレストランは、座席数が世界一という事でギネスに載ってるのだそうな。店内広いもんで、給仕はローラースケートで移動してる、ってんで、そのローラースケートボーイの写真を撮ろうと狙ってたのはいいとして、結局良い写真が撮れなかった。奴ら、急に現れるし速いし(爆) 中庭というか、蓮の葉がいっばいに浮かんだ池は見事だった。



これが、前述したタイ舞踊のレストランで食べたメニューである。タイカレーが美味かった。もっと辛くてもよかったけど、観光客向けに辛さを抑えてるのだろうか。

 

最後に、ホテルの朝食から(笑) バイキングなんだけど、種類が多くて、マジ悩んでしまうほどであった。僕は、1日目は洋食、2日目はライス系中心にしてみた。ここはレベル高い。とても美味かった。タイで食べた中では、ここが一番良かったかも(笑)

と、何しに行ったか分からない(笑)タイ旅行であったが、思ってた以上にバンコクが近代的な都市であったので驚いた(失礼)。町の中はきれいだったし(ゴミもなかった)、観光地がメインとはいえ、どこへ行ってもトイレが清潔で、全て水洗であったのも驚き。タイは微笑みの国と言われるが、皆が皆ニコニコしてるわけでもなかったけど、確かに感じ悪い人はいなかった。総じて好印象。正直な所、タイのイメージが、今回の旅行でかなり変わった。また行ってもいいかも。象が見れなかったのは残念だったが(笑)

で、最後に、今回の獲物というか収穫。

 

左は、日本メーカーのタイ仕様食品。観光の途中で、地元のスーパに寄ったので、買い込んできたのだ。かっぱえびせんにプリッツにコアラのマーチに出前一丁に日新カップヌードルに...この時が一番楽しかったかも(爆) 右は、タイならではのシルク製品等々。象のTシャツとかトートバッグとか、なかなか可愛いデザインのがなくて大変だった(爆)

という訳で、タイ旅行のレポートなのであった。最後またお付き合い頂いてありがタイ(爆)]

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初タイ験!

2016年03月26日 23時04分32秒 | 旅行記
唐突だが、タイへ行ってきたのである。そう、あのタイだ。東南アジアの王国で、日本にも馴染みのある、あのタイである。要するに海外へ行ってきたという訳なのだが、何故タイに行ったのかとか何とか、そういうのには触れないでおくが(笑)、ま、とにかくタイへ行ってきたのである。もちろん、タイは初めてだ。

という訳で、タイの滞在レポなのである(笑)

3月某日、僕は羽田からJALに乗り、タイはバンコク空港に向かった。約7時間のフライトの後、無事にバンコクに到着。やっぱり、タイは暑かった。

前述したけど、タイは王国なのである。ちゃんと国王がいらっしゃるのだ。

 

町中の至る所に国王の肖像画がある。これは空港で撮影したものだけど、とにかくあちこちにある。このおっさん誰?なんて言ってるとしばかれるので気をつけよう。

前述したように、僕はタイは初めてなのだが、タイって車は左側通行なんだね。知らなかった。車も右ハンドルが多くて、なんか親近感が湧いてきたりして(笑)

 

 

バンコク市内は、意外とセブンイレブンが多い。日本語の看板も目立つ。ただ、夜になると、人通りが少ないというか、明かりが少ないというか、日本に比べると暗いような気がした。

 

 

移動のバスの中から、バンコクを撮ってみた。ガイドさんによると、バンコクは今建設ラッシュで、古いビルを壊して新しいビルを建てる、というのをあちこちでやってるらしい。そのせいか、埃っぽいのだそうな。自分が見てた限りでは、見るからに近代的なタワーマンションやオフィスビル、ホテルが立ち並ぶ隙間に、人が住んでるのかどうか分からないような古いビルがたくさん建っていて、その周りにはジャングルというか、木が生い茂っていたりして、なんか、開発地域と未開発地域が混在してるような、そんな感じ。ガイドさんが、ジャングルみたいなとこを指さして、あそこはスラム街です、とか言ってたけど、それが本当なら、バンコクでは金持ちも貧乏人も同じようなエリアに住んでる、と思えた。

バンコク滞在中に泊まったホテルはここでは明かさないが(笑)、かなり良いホテルだった。窓から見えた景色がこちら。

 

 

上の2枚は自室から撮ったもので、下の2枚はロビーから撮ったもの。ホテルは川沿いにあり、船着き場もあった。夜も昼も、かなり大きく尚且つ派手な船が行ったり来たりしていた。静かだったけど。

ホテルに着いてすぐ、日本円をバーツに両替して貰った。



とりあえず10000円両替したんだけど、この日のレートでは、10000円は2800バーツだったらしい。ちなみに、ホテルの部屋掃除の人へのチップは、20バーツが相場だとか。が、記念すべき初バーツは、ホテル近くのセブンイレブンでのビール購入に消えた(笑)

テレビつけてみたら、もちろん言葉の分からないタイ語の番組ばかりなんだけど、HNKは放送してた。



『真田丸』やってた(爆)



そういえば、この人もあちこちにいた(笑)

という訳で、続く(続くんかいっ!)
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3/13 ムスターファ@六本木Club Edge

2016年03月14日 22時43分43秒 | 日記
キース・エマーソンの訃報のショックも冷めやらぬ(そのせいか肌寒かった)3月13日の日曜日、以前何度かセッションでご一緒させて頂いたKumaさんのクイーンのコピーバンド、ムスターファのライブに行ってきた。奇しくもこの日、大阪では有名な(笑)フォリナーのコピー・バンド、FOREFINGERが新メンバーを迎えての初ライブを行っていた。何故そっちには行かなかったのか?と言われてしまうと困るが(笑)、ま、遠くのフォリナーより近くのクイーンということで(意味不明)

ムスターファのライブが行われたのは、六本木のライブハウスClub Edge。もちろん初めて。中に入ってみると、旧知の顔がちらほら。久しぶりに会ったKumaさんにも挨拶したりしてるうちにライブが始まった。



オープニングが「アクション・ディス・デイ」だったんで、ちと驚いたけど、その後も「夜の天使」「クール・キャット」「セイル・アウェイ・スイート・シスター」「恋のゆくえ」等々、本家はライブではやらなかったであろう隠れた名曲が続いて、すっかり嬉しくなってしまった。コピバンはこうでなくては。「クール・キャット」のエンディングに、TOTOの「ジョージー・ポージー」のエンディングをくっつけたら面白いな、なんてふと思ったりして(笑)

フレディのソロでもお馴染み「グレート・プリテンダー」や「Radio Ga Ga」といった定番曲も取り混ぜて11曲(だったと思う)、堪能させて貰いました。Kumaさんの的確で安定したギタープレイも相変わらず良かったし。見ていて、こんなバンドやりたいなぁ、なんて思ってしまうくらい。もっとやって欲しかった(笑)

という訳で、楽しいライブだった。Kumaさん、ムスターファの皆さん、お疲れさまでした。レポが短くてごめんなさい^^;



ところで、開演前の会場内のBGMは、クイーンのカバーだったのだが、聴いた事ないバージョンばかりで、実に新鮮だった。なんか、ジャズみたいだったりパンクみたいだったりカントリー風だったり。特に凄かったのが「ポヘミアン・ラプソディ」で、終始ドンパッドンパッってリズムで引っ張ってて、アカペラもバラード・パートもオペラ・パートもハードロック・パートも、全部同じリズムになってた。斬新だ。正に目から鱗。こういうのもアリだな。誰がやってんだろう?このCD欲しいな(爆)

ムスターファとは全く関係ないが、六本木を“ぎろっぽん”なんて本当に言うのだろうか?(爆)

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耳こそはすべて

2016年03月12日 14時43分02秒 | 時事・社会ネタ
なんということか、またしても大物ミュージシャンの訃報である。それも2連発。ジョージ・マーティン(享年90才)にキース・エマーソン(享年71才)。慎んでご冥福をお祈り致します。

ジョージ・マーティンは皆さんご存知の通り、ビートルズのプロデューサーとして知られている。ビートルズを手がけるずっと前からEMIでディレクターとして働いており、ピーター・セラーズ等のコメディ・レコードも多く手がけたらしい。この時に培ったテープ編集やSE編集の技術、そしてクラシックを含む幅広い音楽的素養が、後にビートルズの作品をプロデュースする際に、多いに役立ったのでは、といわれている。確かに、ジョージ・マーティンがいなかったら、ビートルズはあり得なかったかもしれない。「ペニー・レイン」や「プリーズ・プリーズ・ミー」等での逸話が証明しているように、数多くのビートルズ作品に於いて、ジョージ・マーティンの貢献度は恐ろしく高い。ほとんど素人みたいなビートル達のアイデアを具現化し、見事なアレンジを施し、完成度の高い楽曲に仕上げた功績からしても、“5人目のビートルズ”の称号は文句なし、ってとこではあるが、ピート・ベストやスチュアート・サトクリフ或いはピリー・プレストンまでも“5人目のビートルズ”と呼ばれたりしてる訳で、レコーディングで一緒に演奏したりもしてるとはいえ、ジョージ・マーティンはビートルズのメンバーというより、もっと高いポジションの人であったように思う。育ての親というか教師というか。

プロデューサーと言っても出自は様々で、エンジニア出身もいれば元ミュージシャンもいる。宣伝マンみたいなプロデューサーもいる。元々は音楽家であったジョージ・マーティンは、良い楽曲を見定め、アレンジ等で完成度を高めていくタイプのプロデューサーだったと思う。特に楽曲にはこだわったみたいで、ビートルズが解散してから約10年、久々にポール・マッカートニーと組んだ時、ポールが10曲ほどのデモテープを渡して、後日どうだったと訊いたところ、そのまま使えるのは3曲くらいしかない、と言い放ったそうな。ま、当時のポール・マッカートニーにここまで言えたのは、ジョージ・マーティンくらいだろう。なんたって、育ての親である。

ジョージ・マーティンは、ビートルズ以外だと、ジェフ・ベックやアメリカのプロデュースを手がけている。ジェフ・ベックは考えてみると意外。アメリカは、なんとなく頷ける。デビュー曲のヒットの後、今イチ伸び悩んでいたアメリカだが、ジョージ・マーティンのプロデュースにより殻を破った感がある。あと、さらに意外な所では、リトル・リバー・バンドも手がけた事がある。これは、マーティン自身が所有するスタジオを使って貰う為の取引だった、と言う説もあるが(笑)

さて、もう一人のキース・エマーソンだが、こちらは自殺という説もあり、かなりショッキングなニュースだ。正直言うと、決してELPのファンだった訳ではないが、間違いなくロック界のスターでありカリスマでありヒーローであった。正に一時代を築いたミュージシャンであり、そういう人たちの訃報は悲しいなんて一言では済まされない。時代は変わっていくのである。

考えてみれば、僕がロックをはじめとする洋楽を本格的に聴き始めたのは、中学生の頃なので、かれこれ40年前の事になる。もちろん、当時僕は10代だった訳だが、その頃活躍していたミュージシャンたちは20~30代、現在は60~70代になる訳で、そりゃ亡くなる人も出てくるよな。こっちだって50代なんだし(笑)、みんな年取ってるのだ。病気にだってなるだろう。ミュージシャンだって人間なんだから当然のこと。これからショックな訃報はどんどん増えるだろう。大物の訃報が相次ぐ昨今、ボブ・ディランとかポール・マッカートニーとかチャーリー・ワッツとか、それなりに覚悟しといた方がいいよ(不謹慎)

閑話休題。前述したように、僕はELPはそれほど好きではなく、LPもファースト・アルバムを持ってる程度。ちゃんと聴いたのも、有名な『展覧会の絵』や『レディース&ジェントルメン』くらい(どっちもライブ盤だ)のもんだけど、2~3年前から、ちょっとELP聴きたいな、と思ってベスト盤を探したりしていた。ベスト盤と言っても、正直言うと、「タルカス」とか「悪の教典」とかの長い曲はいらなくて(笑)、もっと短めの曲、つまり「ナイフ・エッジ」「聖地エルサレム」「庶民のファンファーレ」といった曲が1枚のCDに収まってればいい訳なのだが、そんな都合の良い編集盤はなかなか見当たらず(笑)、まだ買ってない。

キース・エマーソンは、キーボードのスタープレイヤーの元祖と言える人だが、実は結成当初のELPはエマーソンをはじめとするメンバー3人が皆イケメンで、アイドル的な人気もあったのでは、と思われる。彼がスター・プレイヤーになったのは、その華麗且つワイルドなプレイだけではなく、ルックスの良さも要因のひとつではなかろうか。人前に立つ以上、実力だけでなく、ルックスだって良い方がいい。そういう点でも、一時代を築いた人だった。もう、こういう人は出てこないだろう。

知り合いのはじめちゃんがメンバーのThe Sons Of EveというELPのコピバンがあって、ここのキーボードの人が、とにかく凄い。一度見て欲しいものだが、彼もキース・エマーソンを崇拝してただけに、今回の訃報はショックだったろうな。正に茫然自失の態ってとこだろう。お察しします。

なんと言っていいのか、とにかく、なんか、寂しいな...
コメント (4)
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