レコード・コレクターズ最新号の特集は、「70年代のモータウン」である。1959年デトロイトに設立されたモータウン・レコードは、今年で50周年を迎える訳だが、60年代の頃はファミリー企業的な社風があり、アーティストはもちろん、ミュージシャンやソングライターも自社で丸抱えして、独自のサウンドを作り出し、ヒットチャートを席捲した。70年代になると、ファミリー的な雰囲気はなくなるものの、ニューソウルの波に乗り、数々の名盤を送り出した。正に、一時代を築いたレコード会社だったのである。洋楽を聴く人なら、誰でもモータウンという名前くらいは知っているだろう。
僕が洋楽を聴き始めた70年代半ばの頃、黒人音楽は「ソウル」というジャンルで一括りにされていた。R&Bなんて言葉は、よほどの通でなければ、使ってなかったように思う。白人がやってるのは「ロック」、黒人がやってるのは「ソウル」、とかなり単純というか乱暴に区別されていた。
この頃、僕はソウルはほとんど聴かなかった。なんというか、このジャンルは、どれを聴いても同じに聴こえたのである^^; それに、なんだか暑苦しいような印象も持っていた。当時よく聴いてたロック・ポップス系と比べると、曲の構成なども明らかに違っていたし、要するに中学生には馴染めなかったのである。未だに、ソウル系は詳しくない。
ソウルを聴かない、というのは黒人アーティストもほとんど知らない、という事を意味するが、もちろん例外はあった。スティービー・ワンダーやアース、ウィンド&ファイア、スタイリスティックスあたりは、FMでもよくかかってたから、他のロック・ポップスと同列にとらえて聴いてた。特に、あの頃(1976年頃)のスタイリスティックスの、日本での人気は凄かった。今でも耳にする「愛がすべて」をはじめ、「ファンキー・ウィークエンド」「16小節の恋」「フロム・ザ・マウンテン」等々、FMAM問わず、ラジオで毎日のように耳にした。もしかすると、カーペンターズやベイ・シティ・ローラーズ並みの人気というか浸透度だったかもしれない。
スティービー・ワンダーは、ジェフ・ベックに曲を提供してるのは知ってたので、ロックの人みたいな感じで聴いてた。実際、ロック系の番組でもよくかかっていた。アース、ウィンド&ファイアは、ディスコみたいな感覚で聴いてた。ソウルは聴かなかったけど、ディスコは好きだったのだ。もちろん、ディスコがソウルと非なる音楽である事は、当時も承知してた。アース、ウィンド&ファイアは、クロスオーバーというジャンルのグループとして、紹介されてたような記憶がある。
こうして名前を並べてみると、なんとなく見えてくる物がある。スタイリスティックスもスティービーもEWFも、いわゆるディープなソウルとは、一線を画した音楽だ。それ故、一般にも浸透したし、中学生にも馴染みやすかったのだろう。
で、そのレコード・コレクターズなのだが、ふと思い出したが、以前にロック・アルバム・ランキングに続き、ソウル・ファンク・アルバム・ランキングというのを掲載していた。てな訳で探してみたらありました。去年3月号で、特集が組まれていた。ロックの時と同じで、60~70年代の黒人音楽のベスト・アルバムをライターが選出し、編集部が順位をつけるのだ。1~100位まで掲載されている。その100枚の中で、僕が持っているアルバムを拾ってみたら、このようになった。
ホワッツ・ゴーイン・オン/マービン・ゲイ(1)
インナービジョンズ/スティービー・ワンダー(4)
ライブ/ダニー・ハサウェイ(8)
スーパーフライ/カーティス・メイフィールド(17)
オフ・ザ・ウォール/マイケル・ジャクソン(19)
3+3/アイズレー・ブラザーズ(26)
キー・オブ・ライフ/スティービー・ワンダー(33)
アイ・ウォント・ユー/マービン・ゲイ(39)
太陽神/アース、ウィンド&ファイア(86)
ディスコ・パーティ/マーサ&ザ・バンデラス(89)
アルバム・タイトルの後ろの( )内の数字は、レココレの順位である。
うむ、ソウル系ほとんど知らない割には、10枚持ってるというのは立派かも(違)。ま、ここにある10枚、いずれもソウルの定番であろうから、持っていて当たり前なのかもしれない。『サー・ジェント・ペパーズ』や『クリムゾン・キングの宮殿』『ジギー・スターダスト』『狂気』みたいなものか。
この10枚のうち、リアルタイムで接したのは、『キー・オブ・ライフ』『オフ・ザ・ウォール』『太陽神』の3枚だけ。『アイ・ウォント・ユー』は、雑誌の広告で何度も見た。『スーパーフライ』は、映画少年だった頃、タイトル曲だけ知ってた。それ以外は、かなり年いってから聴いたものばかりだ。
年いって聴いたせいもあるが、新しいというか意外な発見もあった。ワム!の「イフ・ユー・ワー・ゼア」が、アイズレー・ブラザーズのカバーだとは知らなかった。昔から曲だけは知ってた「ダンシング・イン・ザ・ストリート」「ヒートウェイブ」は、マーサ&ザ・バンデラスの曲だというのも、随分後になって知った。
ここに挙げた10枚、いずれも中学生の頃に、ソウルに対して持っていた“暑苦しい”という印象の作品ではない。マービン・ゲイやカーティス・メイフィールドなんて、ソフィスティケイトされた、クールでオシャレなサウンドだ。アイズレー・ブラザーズは、このアルバムに限っては、かなりロック寄り。スティービーやマイケルは、この時点でソウルを超越していた。もしかすると、ロック好きが聴くソウル、ってのはここいらなのかもしれない。ソウル好きが好むロック、というのに一定の傾向があるのと同様に。
80年代に入り、“ソウル”が“ブラコン”へと進化(?)するのに伴い、より黒人音楽は洋楽ファンに浸透し、白人でブラコンをやる者も増えてきて(それ以前の“ブルー・アイド・ソウル”とは、やはり非なるものである)、“白”と“黒”の境界線は、かなり曖昧になった。ボーダーレスと言っていいのか? ま、それも決して悪い事ではなかろう。だいたい、白人と黒人の音楽を区別する事自体、無意味と言えば無意味なのだ。ただ、一口にブラコンと言っても、かなり細分化され、こっちには訳分からなくなってるのも確か。これは、他のジャンルにも言えるのだけど。僕にとっては、かつての“ソウル”と同じように、“ブラコン”は皆同じに聴こえる。
そうなってくると、昔のように、ロックはロックらしく、ソウルはソウルらしくあった時代が懐かしくもある。こないだ取り上げた「夜汽車よ!ジョージアへ」みたいな曲に、非常に愛着を感じたりするのだ。
所で、ベーシストって、ソウル好きが多いような気がするんだけど、どう思われます?(笑)