日々の覚書

MFCオーナーのブログ

権威なき国際大会

2008年11月29日 23時46分37秒 | スポーツ

プロ野球シーズンも終わり、いよいよストーブリーグと思っていたら、今年はFAだのトレードだのより、WBC問題の方が騒がしいようだ。

WBC、ご存知の通り、World Baseball Classicの略で、要するに野球の国際大会である。2006年に第一回が開催され、日本が栄えある初代チャンピオンに輝いたのは、記憶に新しい。そのWBC第二回大会が来年行なわれる訳で、日本はディフェンディング・チャンピオンとして、連覇を目指し一枚岩となって大会に臨まなければならないのである。

所が、ここへきて、その足並みが乱れている。そもそも、今回のWBCは混乱続きだった。まず監督を誰にするか、という問題で揉めた。北京オリンピックの野球チームの監督を務めた星野仙一がそのままWBCチーム監督に就任する、というのが規定路線だったらしいが、オリンピックでメダルも取れない4位という結果に終わったことで、星野の監督就任に批判的な意見が多くなってきた為、現巨人監督の原辰徳が就任する事になった。そして、山田久志をはじめとするコーチ陣も決定し、メンバー選考を行なった所、中日からリストアップされていたメンバー全員が参加を辞退した為、チームぐるみのボイコットだという非難の声が上がり、一週間程前に、中日の落合監督が会見を開き、ボイコットを否定した。この会見での、落合監督の発言が、また物議を醸している、というのが現状である。

落合監督は、WBC代表に選ばれた場合、行く行かないは選手個人の意志であり、球団はそれを尊重すると述べた上で、「行きたくないと選手が言っている以上、無理強いはしないのは当たり前。辞退理由をはっきり言わなかった事を批判されているようだが、そもそも辞退理由を明記するよう求められていないのだから、それも当然。故障している選手をWBCに強行出場させるのは、球団・選手双方にとってマイナスにしかならない。WBCで選手が潰れても、NPBが補償してくれる訳でもない。選手はWBCを辞退する権利がある。」という意味の発言をした。これが日本プロ野球に対して非協力的とされ、批判の対象になっている訳だ。

ちなみに、この落合発言、大半のメディアからは批判されているが(あの文春、新潮ですら、落合批判に回っている)、ネットの掲示板等を見てると、落合を擁護する声も多い。

まぁ、あれこれ意見はあると思うが、この一連の経緯を見てると、釈然としないものもある。なんといっても、根幹となるWBCの位置づけというのが、あまりにも曖昧である事だ。

前述したが、WBCとは野球の国際大会である。と言えば、サッカーやラグビーなど、他競技では当たり前開催されているワールドカップの野球版か、と思ってしまうのだが、実際にはちと違うようだ。このWBC、主催がMLBであり、他のスポーツのように、国際サッカー連盟とか国際ラグビー評議会とか、国際的組織が開催するものではない。言うなれば、MLBが開催する大会に、他国も参加するという形式のものであって、いわゆる国際大会とは異なる。

2年前の第一回大会でも明らかだったが、WBCは日程・ルール等々MLBが有利になるような仕組みになっている。それは今回も変わらない。日本のプロ野球関係者が、WBCに難色を示すのは、開催時期の問題が大きい、と言われている。キャンプ或いはオープン戦という、シーズンに向けて調整を行なう大事な時期に開催される為、選手を取られたりして、チーム作りに影響が出る、という訳だ。あまり騒がれなかったけど、前回の時も、選手を出す・出さないで結構揉めたらしい。結果として、出場してたのはパ・リーグの選手が多かったような気もしたし。

今回もMLB主催だが、日本で行なわれるアジア予選は読売新聞の主催らしい。国際大会といってるのに、民間企業が主催というのもヘンな話であって、なんとなく各チームともそれほどやる気ないような気もする。中日から選手が出ない、という事で批判されているが、他チームも本音は似たようなもんだろう。「うちだって、出したくないけど、日本プロ野球のためと思って、我慢して協力してるのに、中日は何なんだ」という気分になるのは分かる。

野球の場合、これまで“国際大会”“代表”という概念は、ほとんどなかった。サッカー少年に将来の夢を尋ねると、「代表になってワールドカップに出たい」と答えるのが多いと思うが、野球少年で「代表に入りたい」と答えるのは、ほとんどいないだろう。ワールドカップのピッチに立つのが、選手としての最終目標、と考える者が多いサッカーに於いては、代表に選ばれたら、ケガ等の理由がない限り、辞退する者はいないだろうけど、野球にはそういう土壌はない。プロとして公式戦で良い成績を残して、年俸を上げて貰うのが第一と考えてるのが大半と思う。だから、栄えある代表に選ばれても辞退する選手がいるのも当たり前だ。

しかし、これからの時代、野球の国際化は避けられない、という声をよく聞く。日本人でもメジャー球団と契約するのが珍しくない時代である。もっと世界中に野球を広めなければならない、その為にはワールドカップを開催し、野球自体を国際的にアピールしていくべきだ、という意見もある。なにせ、オリンピックの公式種目から削られるくらいだからね。ま、とにかく、野球をワールドワイドなスポーツにして、井の中の蛙から脱却しよう、とアメリカをはじめとする野球先進国は考えている訳だ。日本はともかく、自国で一番になったチームを“ワールドチャンピオン”などと称するアメリカまでもが、そういう意識を持つようになった、というのは、野球の国際化に向けての、大きな一歩であるのは間違いない。

その割には、盛り上がっていないような気もするのだ。前回だって、アメリカはメジャーリーガーの参加は少なかったはず。日本に於いても、アジア予選が行なわれたことさえ知らなかった人も多かったのではないかな。監督だって、王貞治氏にいつの間にか決まっていた(オレだけか?)。国際大会とは言ってるけど、球団も選手もファンも、それほど盛り上がっていなかった、というのが第一回の現実ではないのか。結果的に注目を集めたのは、日本チームが決勝ラウンドに進んだからだ。今回だって、前回優勝してなければ、ここまで話題にはならなかっただろう。

要するに、WBCといえ、それほど権威のあるものではない、という事だ。誰かが言ってたけど、積極的に監督をやりたがってる人がいない、というのが、そもそもおかしい。代表監督といっても、別に名誉ではない、という事なのである。悲しいかな、WBCに対する意識はその程度のものではないか。“アメリカによるアメリカの為の大会”でしかない、と。

もちろん、WBCの歴史は浅い。これから、野球の世界一を決める、真の国際大会に育てていかねばならない。野球に関わる全ての人が目標とする、権威ある大会にしていくのであれば、それなりに運営等を見直す必要があると思う。やはり、主催は野球の国際組織であるべきだし、日程なども各国のリーグ戦を考慮して、慎重に決められるべきだろう。だいたい、日本もおかしい。WBCだオリンピックだ、と騒ぐ割には、そういう大会が行なわれる時には、リーグ戦を中断するとか、そういった配慮というか協力姿勢がないのがヘンだ。それだから、肝心の選手たちも、国際大会というものに対してモチベーションが上がらないのだ。

という状況下での落合発言、中日ファンの僕でも、100%支持する訳ではない。ただ、今まで述べたように、意外と安直に開催されているWBCというものについて、もう一度考え直してみるいい機会にはなるだろう。それにしても、落合博満という人、批判を恐れず、きちんと物を言う人だ。この点は評価されるべきと思う。言いたい事があっても、軋轢を恐れて発言しない人が多いからね、日本人には。

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自戒ってヤツ

2008年11月26日 22時30分48秒 | 与太話

よく居酒屋とか小料理屋とかで、色紙に書かれた(それも毛筆で)説教や訓示みたいなのを見かける。今日見かけたのはこんなヤツ。タイトルは「自戒」。

つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ
悲しいことが多いのは、自分の事しか分からないからだ
心配することの多いのは、今をけんめいに生きていないからだ
行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ

作者不詳。色紙の隅にハンコが押してあったが読み取れなかった。ま、どうせ、その辺の“有り難いお言葉”が大好きなオヤジだろう(笑)

ま、確かに、いい事を言ってると思う。ツラいとか苦しいとか感じるのは、結局本人が未熟だからである、という訳だ。その通りと思う。分からんでもない。けど、この手の言葉って、なんか胡散臭く感じられるのは何故?(笑)

なんつーか、抽象的な言葉の羅列で、いい事言ってるみたいだけど、はっきり言って意味不明。この文言の前半部と後半部を入れ換えても、関係ないのでは、なんて思える。

僕が気に入らないのは、この手の言葉が、結局自分を見つめ直しなさい、というメッセージに落ち着いてしまっていて、何の慰めにもならないし、気分転換にすらならない、という点だ。つまり、読むだけ無駄なのだ。なのに、酒を飲む場所には、この手の色紙が多い。愚痴こぼしながらやけ酒飲んでる奴が、ふとこの色紙を見てハッとする、という効果でもあるのだろうか?

一番腹立たしいのは、こういう事を言う奴に限って、周囲の人間にやたらとストレスを与えていたりする事だ。苦しみや悲しみの原因は、そいつだったりする。文句言う前に、自分を見つめ直せ、という奴ほど、自らを省みる事はない、という訳だ。それどころか、なんとなく“いい言葉”を吐いて、悦に入ってたりする。かくして、善良な市民ばかりがツラい思いをするのである。なんて不公平な(笑)

という訳で、この手の色紙がは胡散臭いのである。まともに読んじゃいけません(笑)

あ、茶碗や手ぬぐいに書かれた、“頑固親父の小言”とか“金の貯まる十個条”とかの類は許します(爆)

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A Night At RAG Vol.7

2008年11月25日 00時17分47秒 | あれこれレポート

今年もまた、フレディ・マーキュリーの命日が巡ってきた。あの衝撃的な日から、17年が過ぎた訳で、それだけの時間が経っていると多少風化した部分もあるとはいえ、やはりあの衝撃は忘れ難い。だが、フレディは死後も多くのファンに愛され続けており、皆の思い出の中に生き続ける限り、フレディは本当の意味で死ぬ事はないし、彼の残した作品が色褪せる事も決してないのである。

そして、恒例となったA Night At RAG、フレディの命日に合わせて開催され、この時期にはなくなてはならないイベントである。もちろん、今年も去る11月23日に開催された。今回で7回目だそうだ。僕は、一回目は観客として参加し、第2回~4回までは演奏者として出演させて貰ったが、一昨年の第5回は再び観客として参加、そして去年は所用の為不参加、でもって今年は2年ぶりの参加となった。もちろん、観客として、だけど(笑)

思えば、このRAGのイベントが、僕の原点である。関西に移ってきて一年程経ってから、このイベントの事を知り、見に行ったのが2002年の第一回。二回目から出演させて貰う事になるのだが、現在の音楽仲間の大半は、このイベントを通じて知り合った人たちだ。つまり、このイベントに参加してなければ、今の僕はない。そういった意味で、僕にとってはフレディを悼む以上に、特別なイベントでもあるのだ。

という訳で、行ってきました、A Night At RAG Vol.7、相変わらず大変な盛況ぶりだった。出演したコピバンも、どれもレベルが高く熱演で、楽しませて貰いました。観客も出演者も、ほとんどが知り合いで、久々に会う人も多くて、開演前からほとんど同窓会状態(笑) ほんと、楽しく過ごさせて頂きました。皆様に感謝^^

一応、出演バンドの写真を撮ったので、セットリストと共に紹介させて頂く。みんな暗くて似たような写真ばかりで申し訳ない^^; セットリストは記憶だけで書いてるので、違ってるかもしれませんが、ここはひとつ、フレディに免じて(?)勘弁してやって下さい(笑)

200811231715000

ろQ-MENきち
Father To Son
Sheer Heart Attack
Dead On Time
Sleeping On The Sidewalk
Liar

200811231745000

野望に燃えるバンド
Hammer To Fall
I Want To Break Free
Spread Your Wings
I Want It All

200811231816000

Jun Clean Project
Tie Your Mother Down
Let Me Entertain You
Innuendo
Is This The World We Created
The Show Must Go On

200811231854000_2

Wild Mercury + はじめちゃん
The Hero
Was It All Worth It
Some Things That Glitter
Killer Queen
Tear It Ip

200811231914000_2

ひろよん♪&魚肉ソーセージ極太
A Kind Of Magic
Now I'm Here
Stone Cold Crazy
Love Of My Life
Princes Of The Universe

200811231942000

Quenda
Sweet Lady
White Man
See What A Fool I've Been
Orge Battle
Seven Seas Of Rhye

この後、セッション形式で、

Bijou
Last Horizon
Brighton Rock
Crazy Little Thing Called Love
Bohemian Rhapsody
We Will Rock You
We Are The Champions

ラスト3曲はお約束の大団円。もちろん、大盛り上がりだった。

色々と、こういうイヘントに関しては、思うところもあるのだが、でも参加するとやはり楽しい。あーだこーだ言うけど、やっぱり自分はクイーンが好きなのだ、といつも認識させられるのである(笑) 来年もまた見に行こうと思う。

それにしても、気がつけば、フレディの亡くなった年を自分は今年追い越してしまったのよねぇ....^^;

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いつか...

2008年11月23日 00時55分04秒 | 与太話

2~3日前、出張先で立ち寄った店でビールを飲んでいた。そこでは地元のFMを流していて、聞くともなしに聞いてると、そのうちラジオドラマが始まった。タイトルは「Someday」。内容はこんな感じ。

オレは、昔不良だったけど、四十路を迎えた今は、親の跡を継いでパン屋を経営し、堅気な生活をしている。そんなある日、家に古い友人から電話がかかってきた。かつての不良仲間、奴がこの街を出て行ってから、もう20年も会っていない。駅前の居酒屋にいるから来てくれ、と言う。相変わらず強引な奴だ。仕方ないので、行くと答えて電話を切ったけど、不安が胸に広がる。20年ぶりに電話をかけてきて、一体何の用なんだ。また、ヤバい話に引きずり込もうとしてるんじゃないだろうな。

と、なんとなくイヤな感じを抱えながら、居酒屋の扉を押す。おや、奴はどこにいるんだ? と、その時、奥のテーブルにいたサラリーマン風の男が片手を上げた。奴だ。あれ、昔と全然違う。お前も堅気になったのか?

「久しぶり。オレも昔はワルだったけど、今は真面目なサラリーマンなんだ」
「そうか、それは良かった。で、今日は急に何の用なんだ?」

すると、奴は鞄から封筒を取り出して、テーブルに置いた。空けてみると、一万円札が数枚入っている。

「なんだ、これ?」
「ああ、この街を出る時、お前に借りた金だよ。いつか返そうと思ってたけど、遅くなっちまった」

思い出した。確かに金を貸した。けど、忘れていた。しかし、意外だなぁ。

「いつか、と言ってるうちに20年か」
「申し訳ない。それにしても、あの頃のオレらって、口を開けば“いつか”“いつか”ばかりだったよな」

そうだった。二言目には“いつか”ばかりだった。“いつか、いい女を見つける”“いつか、がっぽり稼ぐ”、なんの根拠もなく、いつかはいい事がある、となんとなく思っていた。あの頃は若かった。オレたちにも未来があった。でも、今は...

いや、いつか、またこうして古い友人と笑って酒が飲めるだろう。いつか、また楽しい事があるだろう。いつか、きっと。オレたちはまだ終わっちゃいない。

とここで終わり。そして、佐野元春の「Someday」がフェイドインしてくる、という訳。

「Someday」...間違いなく、佐野元春の代表曲だ。この曲が出たのは1981年頃だったかな。

僕は佐野元春は好きだが、この「Someday」という曲は好きではない。つーか、当時、佐野元春自体も好きではなかった。この曲を初めて聴いた頃、僕は19才か20才。以前にも書いたけど、17才くらいまでは自分には明るい未来がある、と漠然と思っていたが、その後ガールフレンドには振られるわ、大学受験には失敗するわで、20才になる頃には、明るい未来なんて信じられなくなっていた。今思えば、またまだ若いのだから、可能性は大いにあったのだが、あの頃はそんな気分ではなかった。そんな時に聴いた「Someday」が、嘘くさく感じられたのも無理はあるまい。

ご存知のように、この「Someday」、簡単に言ってしまうと、今はツラくても、いつかきっと良い事があるから、それを信じて頑張ろうよ、という内容の歌であって、さしたる理由もなく、いつか良くなる、なんて言われても、自分の未来は決して明るいものではない、となんとなく感じ取っていた僕には、ちっともリアルじゃなかったのだ。単に、キレイごとを並べてるだけのように思えた。60年代風のサウンドであったが、そこがまた僕には嘘くさかったのだ。こんなの聴いて喜んでいるのは、よほど脳天気な奴らだけだ、と思っていた。当時の僕は、佐野元春よりRCサクセションやオフコースの方に、リアリティを感じていたのだ。僕自身が、佐野元春に対する認識を改めるのは、1984年のアルバム『Visitors』を聴いてからである。

あれから25年以上、佐野元春は相変わらず、「Someday」を歌い続けている。今でも、この曲はあまり好きではないが、昔とは違った感覚で聴けるようになった。佐野元春も分かっていたのだろう。“いつかきっといいことがある”なんて、妄想に過ぎないって事を。若い時は、明るい未来があるような気がしてるけど、年を取れば現実をイヤという程知らされる。その時、“いつか”なんてのは、若さゆえの幻想だったのだと、皆気づく。けれど、そういう現実を知りつつ、佐野元春はあえて“Someday”を歌い続けた。“いつか”なんて妄想かもしれない。だけど、妄想じゃないかもしれない。生きているうちは、“いつか、きっと”という希望を捨てないようにしよう。常に前を向いて生きていこう。陳腐ではあっても、彼はそう訴えたかったのだろう、と思う。

また、佐野元春は、自分への落とし前として、「Someday」を歌い続けているのだ、という気もする。その時の心情に正直な歌を作るシンガー・ソングライターの場合、40才になったら20才の時の歌は歌えないだろう。フツーは、20才と40才では、心境に変化があるからだ。かつて、尾崎豊が若者のリアルな代弁者として、カリスマ的な人気を誇っていたが、彼がまだ生きていたら、「十七歳の地図」や「卒業」を歌うだろうか。歌えないんじゃないか、と思う。リアルじゃないからだ。このように、年を取ると昔の歌を歌わなくなる人も多いと思う。そして、それは場合によっては、ファンに対する裏切りとなる。けれど、佐野元春は「Someday」を歌い続ける。自分が作り世に送り出した歌だからこそ、そして多くのファンに愛されている曲だからこそ、決して封印したりしない。当時とは気分が違うから、なんて絶対言わない。自分は今も変わらないのだ、とファンに身をもって示すために歌い続けている。その姿勢が潔いと思う。「Someday」は単なる懐メロではない。

10年ちょっと前だが、佐野元春の武道館ライブの映像をテレビで見ていたら、「Someday」が始まった瞬間、観客が立ち上がり、皆で歌い出したので驚いた事がある。佐野元春自身は全く歌わず、観客だけに任せていた。カメラが客席を移すと、サラリーマン風がかなり目立った。決して、若い人ばかりではなかった。彼らは、それこそ少年少女の頃に「Someday」を聴いて感銘を受け、以来佐野元春のファンであり続けたのだろう。もしかすると、社会の荒波に揉まれる中で、「Someday」こそが拠り所だったのかもしれない。アンセムのように「Someday」を歌う彼らの姿を見ていると、ジーンとくるものがあった。たかが歌されど歌。長い間「Someday」を聴き続け、そのメッセージを年齢と共に噛みしめてきたファンに対して、佐野元春は「もう、この曲は歌わない」なんて、突き放すことはしない。武道館で「Someday」を合唱する観客、それをステージから見つめる佐野元春。場内が正に一体となった、本当に感動的な光景だった。

20才のときとは違い、今なら僕も“いつか、きっと”と思える。いや、40を過ぎた今だからこそ、“いつか、きっと”と思い続ける事が大事なのだ。確かに今までの人生、ろくなことはなかった。けど、この先はいい事があるかもしれない。ちっとくらい希望持ってもいいだろ。“つまらない大人にはなりたくない”とは、こういう事なんだ、となんとなく感じたりなんかしてる。

と、こんな思いにふけっていたら、いきなり携帯が鳴って我に返り、慌てて席を立ったのだった(笑)

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Out Of This World

2008年11月22日 15時40分48秒 | 音楽ネタ

Outofthisworld

先日、某バンド練習のため、某スタジオへ行った。30分程早く着いてしまったので、待合室(?)でぼんやりとしてて、ふと気づくと耳に覚えのある曲が流れている。

あーこの曲知ってる、だけどタイトルが思い出せない、なんだっけ? サビにくれば思い出せるはずなんだけど。あーもどかしい、このギターソロ終わるとサビに入るはずだ。もうすぐだ。あーサビはまだか。

などと、一人悶えていたのだが、サビのメロディーが出てきたら、やっぱり思い出した。ヨーロッパの「Superstitious」だったのだ。わっ、この曲聴くの何年ぶりだろ。当時も割りと好きだったけど、今聴いてもなかなかいいなぁ。そういやこの曲の入ったアルバム、なんていったっけ?

と、あれこれ思考が交錯するうちに「Superstitious」が終わり、次に流れてきたのも、知ってる曲だった。なんと、そのヨーロッパのアルバムの2曲目だったのだ。うん、これも良いねぇ、タイトルが出てこないけど(笑)。そうすると、もしかして、あのアルバムをそのままかけてるのだろうか。

と期待しつつ3曲目を待つ。すると、案の定「Open Your Heart」ではないか。これ、確かヨーロッパの2ndの曲のリメイクなんだよな。うん、いい感じ。

という訳で、そこではヨーロッパの1988年のアルバム『Out Of This World』をかけていたのであった。アルバムタイトル思い出すのも、数分かかってしまった(爆) 練習開始時間まで6曲くらい聴けたかな。うん、懐かしいというか何というか。

この『Out Of This World』というアルバム、当時レンタルしてきてカセットに録音して車で聴いてた。シングル・カットされた一曲目の「Superstitious」をはじめとして、キャッチーな曲が並ぶ好盤だった。重量感を強調したドラムの音や、クリアなシンセの音色が、様式というより産業ロックみたいな感じで、ギターもそんなに出しゃばっておらず(ジョーイ・テンペストではないらしいが)、加えて曲の出来も良いので、非常に聴きやすく、それまでに聴いたヨーロッパのアルバムの中では一番気に入っていた。けど、聴かなくなってから一体何年経つのか。

このアルバムには、もう一つ思い出があって、レンタルしてきたのが、昭和天皇崩御の日だったのである。この日と翌日、国民全員が喪に服す、という意味もあったのか、テレビは予定を変更して、どの局も昭和天皇を追悼する番組を放送していた。で、その時、さすがに一日中追悼番組ばかりを見るのもキツかったので^^;、レンタルへ行ってCDを何枚か借りてきたのである。そのうちの一枚が『Out Of This World』だったという訳。僕と同じ事を考えた人はたくさんいたらしく、レンタルの店員が「今日はいつもよりお客さん多いです」て言っていたのを思い出す。

ま、確かに、日本中が昭和天皇を悼んでいる時に聴く内容のCDではないな(苦笑)。ラストがピアノと歌だけの悲しげな曲で、これはなんとなく死者を悼む雰囲気あるな、なんて思ったような記憶が^^;

と、昭和の記憶と共に、忘却の彼方に追いやられていたアルバムではあるが、先のスタジオで耳にしたことにより、鮮烈に記憶が甦ってきた。自分で買って、じっくりと聴き返してみようかな。アマゾンあたりでは安いみたいだし(笑)

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