ご存知の人も多いだろうが、桑名正博が亡くなった。享年59歳。今年7月に脳幹出血で倒れ、意識不明のまま手術を行い、手術そのものは成功したらしいが、結局意識は戻らないまま帰らぬ人となった。慎んでご冥福をお祈り致します。
桑名正博といえば、なんたって「セクシャル・バイオレットNo.1」である。化粧品か何かのCMソングで1979年の大ヒット曲だ。現在のように、猫も杓子もCMやドラマのタイアップをする時代ではなかったが、それだけに、CMソングとして起用されると、かなりのヒットが見込めた時代でもあった。特に化粧品関係は、そのキャッチコピーと共に、印象的なCMソングが多かった。また歌ってる人が、いわゆるニューミュージック系の、テレビの歌番組を活動の中心にしている人たちではない、というのも特徴であったような気がする。当然のことながら、桑名正博も「セクシャル・バイオレットNo.1」でポッと出てたきたのではなく、ファニー・カンパニーを皮切りに、それなりのキャリアを重ねてきた人であった。そういう人たちが、CMソングとはいえヒットを飛ばしてメジャーになるのを見てると、ファンではなくても、当時は何だか嬉しかったものだ。
前述したように、桑名正博はファニー・カンパニーというバンドでデビューしている。その頃、“東のキャロル、西のファニカン”なんて言われていたそうだが、上昇志向の強いキャロルに対して、金持ちのボンボンが多かったファニカンは、“甘い”と言われてたらしい(笑) 僕はファニカンは聴いた事ないのだが、結構ブルース寄りのロックだったらしく、やっぱり関西だなぁ、なんて気もした(笑) そして、ファニカン解散後、桑名正博はソロになる訳だが、当時購読してたFMfanに、桑名正博自身のインタビューやアルバム評がよく載ってたので、僕なりに興味は持っていた。松本隆-筒美京平コンビによる、ロックテイストな歌謡曲を歌い始めたのもこの頃からで、「サード・レディ」を歌う桑名正博をテレビで見た事もある。
これまた前述したけど、70年代後半、いわゆるニューミュージック系の人たちが、CMソング等のヒットを放つようになるのだが、桑名正博はじめ大橋純子、庄野真代など、筒美京平作品を歌ってヒットさせた人が意外と多いのが面白い。後年、筒美京平自身のインタビューを読んだら、「桑名君や大橋君みたいに、自分で曲を書かないで僕に発注してきたのは、自分たちの持ち味と僕の感性に合致する部分を感じたからだろう。彼らに曲を書いたから、その後の自分がある。」と言っていた。うむ、なるほど、という感じ。確かに、ロック(=洋楽)と歌謡曲の中間あたりに、筒美京平は位置していたような気がする。あの頃、ロックやニューミュージックの人たちは、歌謡曲の側の人たちを毛嫌いしていたらしいが、筒美京平だけは特別だったのだろうな。
そういう、歌謡曲ではない人たちが、歌謡曲のフィールドで、しかも単に大衆に迎合する事もなくヒットを放つ、というムーブメントの象徴だったのが、桑名正博だったのである。少なくとも、僕にとっては。けど、歌謡曲を駆逐するほどでもなく、両者がほと良いバランスで共存していた。いい時代だったな(また言ってしまった。爆)
その後、桑名正博は、大きなヒットはないものの、着実に活動していたように思う。90年代以降は、あまりアルバムも作ってないようではあるが。ま、大阪の大企業の跡取りとしても知られている人で、社長に就任してからは、そっちの方が忙しくなったようで(そりゃそうだ)、音楽活動を縮小したのは仕方なかろう。
けど、その活動のを通じて、あちこちに影響を与えていたのは間違いない所だろう。チャリティにも積極的だったらしい。そういえば、12~3年前、桑名正博が大阪の障害者を中心としたバンドの結成に協力し、様々な援助もしている、というのをテレビで見た事がある。そのテレビ番組は、あくまでもバンドを紹介するのがメインで、桑名正博は援助してる人、という事で少し登場しただけだったけど。援助、と簡単に言うけど、誰にでも出来る事ではない。気持ちもさる事ながら金も必要だ。両方が備わっていた桑名正博が、そんなチャリティ活動に乗り出すのは、実に素晴らしい事である。若い頃は素行にも問題あったらしいが(笑)、実際には出来た人だったのだと思う。役者やタレントみたいな芸能活動を、あまりしなかったのもよろしい。
所で、大阪で7年以上も生活してた割には、全然知らなかったのだが、大阪のスナックでは閉店時間になると、締めの一曲として、桑名正博の「月のあかり」がよく歌われるのだそうな。確かに、そんな雰囲気の曲ではある。別れをテーマにはしているが、決して悲しくも暗くもなく、またすぐ会えるような、そんな感じの曲。淡々としてるけど、聴いてるうちにその良さがじわじわと分かってくるような曲。1978年のアルバム「テキーラ・ムーン」に収録されているのだが、そんな昔の曲が、ヒット曲でもないのに、未だに歌い継がれているというのは素晴らしい事だ。作曲した桑名正博自身も、作曲者冥利に尽きるのではないだろうか。
正直言って、桑名正博の訃報は、僕にとってもショックだった(7月に倒れたのもショックだったけど)。今はとにかく、この曲で桑名正博を偲びたい。またすぐ、戻ってくるような気がしたりして。
http://www.youtube.com/watch?v=xLScIc5b9uM
それにしても、こういうシチュエーションで、この曲を聴く事になるなんて...