日々の覚書

MFCオーナーのブログ

新たなる出発

2009年06月28日 20時58分19秒 | 与太話

昨日(6月27日)は、FOREFINGERのライブだった。

ま、知ってる人は知ってるけど、この4月より転勤になり関西を離れることになった。となると、関西でのバンド活動は不可能になるので、実に残念だが、辞めざるを得ない。ただ、転勤が決まった時点で、既に予定されていたライブはやらせて貰う事にした。特に、FOREFINGERの決定ライブは、なんとしてもやりたかった。ライブを前にいきなり辞めると、迷惑をかけるという思い込みもあったが、何よりも、いくつか掛け持ちしていたバンドの中でも、一番思い入れの強いバンドがFOREFINGERだったからだ。

思えば、忍者さんとバンド結成を思い立ち、ネットでメンバーを集めて初めてスタジオに入ったのが2002年9月、何度か消滅の危機を迎えながらも、よたろう帝國よたろう皇帝&ジョージくんのサポートを得て初ライブにこぎつけたのが2004年6月。あれから、もう5年も経っている。現メンバーになってからも、既に3年。早いものだ。フォリナーという地味なバンドのコピバンを、よくここまで続けてこれたなぁ、と感心している。

そんな訳で、4月以降FOREFINGERのライブは2回予定されていた。4月18日心斎橋soma、そして6月27日京都木屋町モダンタイムス、である。4月の方は久々の難波でのライブであり、場所柄かなり集客も期待できるという事で、気合が入っていた。6月のは、結成当初からの悲願(笑)であった「Starrider」を、初期ライブバージョンで演奏する、というのが決定しており、こちらも気合が入っていた。要するに、どちらも当事者としてはおいしいライブだった訳で(笑)、多少の犠牲は払っても参加したかったのだ。単なる我儘という見方も出来るが(爆)

そんな訳で、昨日はFOREFINGERのライブだった。そして、僕にとってFOREFINGERのメンバーとして最後のライブだったのである。

神戸を中心に活動するエムクラフト、元センス・オブ・ワンダーの田辺モット氏によるプロジェクト田辺モット×内田伸吾+CHIEZO、名古屋発のELPコピバンThe Sons Of Eve、といった豪華な共演バンドのおかけで、お客さんもたくさん来てくれて、最後のライブとしては申し分のない環境だったのだが、肝心の自分は今回ミスが多かった。悲願の「Starrider」もミスったしなぁ。演奏しながら凹んでしまった。ま、最後の花道のはずがしっかりミスをするとは、僕らしいといえば僕らしい(苦笑)。聴きにきて下さった皆さん、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

ライブ終了後、餞別を貰った。これがそう。

200906281848000

白のウクレレに、会場にいた皆さんが寄せ書きをしてくれたのである。写真にはないけど、表も裏もびっしりとメッセージが書かれている。なかなか良いアイデアだ、発案者は忍者さんかな?などと他人事のように言ってるけど、実は物凄く感激してたのだ。こういう餞別が一番嬉しい。皆さん、本当にありがとう。

このウクレレ、レプリカではなく本物だ。ちゃんと弾けるのである。どうやって保管するか? 色紙みたいに額縁に入れて飾っておく、という訳にはいかないし。人形を入れるような、ガラスのケースを買ってきて、その中に入れる、という手もあるが、置く場所がない。ならば、せっかく本物なんだし、弾く事にしようか。みんなのメッセージが書かれているので、汚しちゃいけにいし、弾きづらいとは思うけど、飾っておくだけでは、なんとなく勿体ないし。

という訳で買ってきた。

200906281853000

目指すは“ウクレレで聞くフォリナー(爆)”、まずは「衝撃のファーストタイム」を弾けるように頑張ります(爆爆)

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バラード嫌い

2009年06月25日 23時01分53秒 | 音楽ネタ

僕は何故かバラード嫌いと思われているらしい(笑)。別に、バラードだろうと何だろうと、好きな曲は好きだし、嫌いな曲は嫌いだ。けど確かに、「愛と青春の旅立ち」とか「アンチェインド・メロディ」とか「オープン・アームス」とか「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」とかは嫌いであり、これはバラードだから嫌いなのではなく、なんというか狙ってるような感じが気に入らないだけである(笑)

しかし、世間では猫も杓子もバラード大好きであり、ヒット曲が欲しければバラードをシングル・カットせよ、というのは常識みたいになってる。好きな曲は?と聞かれて「バラード」と答える女(年齢関係なし)を見ると張り倒したくなる、とまでは言わないが、デコピンくらいはしたくなってしまったりして(笑)。何故みんな(特に女)バラードが好きなのか? つーか、それ以前に、バラードって一体何なのだ?

バラードというのは、中世ヨーロッパの詩の形式からきている言葉な訳だが、現在、音楽用語としてバラードという言葉を使う場合、下記の条件に当てはまる楽曲を指すことが多い(特に日本では)。すなわち、

1.スローテンポの曲
2.ピアノなりギターなりのイントロで静かに始まり、徐々に派手に盛り上がる曲
3.2.と似てるが、派手な盛り上がりはなく、終始静かに進行する曲
4.ラブソング

案外間違ってないと思うけどね(笑)。でも、これだけではイメージしづらいので、巷に溢れる“バラード・コンピ”の収録曲を、上記に当てはめてみる。で、アマゾンで検索かけたら、真っ先にヒットしたのがこれ。

1.ウーマン(ジョン・レノン)
2.トゥ・ラヴ・ユー・モア(セリーヌ・ディオン)
3.オネスティ(ビリー・ジョエル)
4.ドント・ノー・ホワイ(ノラ・ジョーンズ)
5.エボニー・アンド・アイボリー(ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー)
6.ケアレス・ウィスパー(ジョージ・マイケル)
7.オープン・アームズ(ジャーニー)
8.パラダイス~愛のテーマ(アン・ウィルソン&マイク・レノ)
9.トゥ・ビー・ウィズ・ユー(MR.BIG)
10.ウィア・オール・アローン(ボズ・スキャッグス)
11.ア・ホール・ニューワールド~アラジンのテーマ(ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベル)
12.男が女を愛する時(マイケル・ボルトン)
13.タイム・アフター・タイム(シンディ・ローパー)
14.胸いっぱいの愛(バングルス)
15.ジェラス・ガイ(ロキシー・ミュージック)
16.愛の哀しみ(シニード・オコナー)
17.ソング・フォー・ユー(レオン・ラッセル)
18.ハッピー・エヴァー・アフター(ジュリア・フォーダム)

ジュリア・フォーダムの曲は聴いた事ないけど、それ以外で見ると、まぁ順当な線かな。東芝EMIとソニーの共同編集らしいので、多少の偏りはご勘弁を(笑)。ま、「エボニー・アンド・アイボリー」がバラードとは思えないけど(苦笑)。「トゥー・ビー・ウィズ・ユー」とか、単にゆっくりなだけじゃん(笑)。「ケアレス・ウィスパー」なんて、要するに“哀メロ”(Cジャスミンさん)だろ(爆)

全曲に共通してるのは、“スローテンポ”だということ。ま、スローと言っても、様々だけど(笑)。↑の項目2.に、見事なまでに当てはまるのは、「オネスティ」「オープン・アームズ」「パラダイス~愛のテーマ」「ウィア・オール・アローン」あたり。ここいらは、曲調といいテンポといいアレンジといい、いかにも世間一般で言うバラードである。「トゥー・ラブ・ユー・モア」や「男が女を愛する時」あたりは、項目2.プラス“歌い上げ系”バラードって感じか。

日本では、バラード=ラブソング、という刷り込みもある。30年以上前の話だが、ビートルズの編集盤『ラブ・ソングス』が出た時、日米でのラブ・ソングの解釈の違いが話題になった。欧米では、ラブ・ソングかどうかは歌詞で判断するが、日本では曲調で判断したらしい。なので、「抱きしめたい」は入ってないけど、「シーズ・リービング・ホーム」は入ってる、というミョーな『ラブ・ソングス』になってしまうのだ。『ラブ・ソングス』の収録曲はこちらで見れます。

ま、上記の、バラードの条件とコンピの曲目とを見て頂ければ、世間で言うバラードとは何か、がよく分かると思う。やや静かでスローで、途中から盛り上がって、ロマンティックでムーディであれば、バラードであり“ラブソング”なのだ。「バラードが好き」とのたまう女は、100%間違いなく、バラードはラブソングと思っている。もちろん、「シーズ・リービング・ホーム」の例を出すまでもなく、その認識はちょっとおかしい。彼女たちは、バラードではなく、静かなラブソングが好きなのだろう。静かな=バラード=ラブソング、と刷り込まれているだけなのだ。このことが、事態をややこしくしているのだが(笑)

以前、佐野元春が自分のスローな曲、つまりバラードを集めたアルバムを出したが、そのアルバムのタイトルは『Slow Songs』。パラードとは言わずSlow Song、ラブソングではなくSlow Song、と呼んだ彼の心意気というかセンスというかこだわりというか、とにかく小憎らしいくらいに見事なタイトルである。佐野元春、やはり只者ではない。

僕がバラード嫌いと思われているのは、こういう点にこだわって、あーだこーだ言うからだろう(笑)。それもこれも、「バラード」という形態や雰囲気に惑わされず、曲の本質を理解して欲しい、と思うが故である(えらそーに)。また、作り手も、「バラード」という目くらましで、リスナーを丸め込まないで貰いたい(笑)

という訳で、別に僕はバラード嫌いではない。その手のタイプでも、好きな曲は多々ある訳で、いずれそういうのを集めてCDを作ってみようと思っている。「MFCオーナー流スローソング」ってとこかな(爆)。MFCトップページのカウンターのキリ番踏んだ方に差し上げますので、お楽しみに(爆)。まだ、かなり先だと思うけど(爆爆)

という訳で、前振りが長かったが(前振りかいっ!)、今度の土曜日、つまり6月27日にFOREFINGERのライブがあります。

日  時  2009年6月27日(土) 開場17:30 開演18:00
場  所  モダンタイムス(京都・木屋町)
       http://www.mtimes.jp/
出演(順) エムクラフト
       田辺モット×内田伸吾+CHIEZO
       FOREFINGER
       The Sons Of Eve
チャージ  前売2800円 当日3300円 別途1ドリンク

フライヤーがこちらにあります。プリントアウトしてお待ち頂ければ、前売り料金で入場できます。

皆様のお越しをお待ちしております。FOREFINGERも、世間ではバラードと言われてしまうかもしれない曲を、2曲ほどやりますので(爆)。是非、よろしくお願いしますm(_ _)m

と、結局は宣伝なのだった(爆)

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フュージョン・ポイント交換・世界遺産

2009年06月21日 00時45分09秒 | 与太話

いつの間にか梅雨入りしたみたいで、ここんとこ蒸し暑い。朝晩は、まぁ涼しいんだけど、今日なんて、九州では日中最高35度を記録した所もあったらしい。もうすぐ夏なのである。

別に夏だから、というのでもないし、毎年夏になると聴きたくなる、という訳ではないが、近頃何故かフュージョンが聴きたいのである。フュージョン。なにやら、実に懐かしい響きだが、今ではフュージョンというジャンルが廃れてしまった訳ではあるまい。確かに、かつてほどの人気はないだろうけど、当時から活動を続けている人たちもいるだろうし、若い人たちも台頭してきてるはずだ。けど、申し訳ないが、僕が聴きたいのは昔のフュージョンなんである。あの、70年代後半から80年代にかけて、音楽界の一大潮流となり、オリコンのアルバムチャートにもランクインしてた頃のフュージョン、猫も杓子も、楽器やってる連中はプロアマ問わず、一度は齧ってみたフュージョン、本来の言葉の意味の通り、あらゆる要素を“融合”して、斬新でもあり衝撃的でもあったフュージョン、が聴きたいのだ。聴いてないのでなんとも言えないが、現代のフュージョンは、かつての衝撃性は見る影もないように思う。斬新なスタイルで登場したムーブメントも、一般に浸透するにつれ、最初の頃の精神性は薄れ、形式だけが一人歩きするようになる。プログレしかりパンクしかりヘビメタしかり。そういう形式だけのフュージョンなんて、多分つまらないだろう、なんて僕は思ってしまう訳だ。勝手な思い込みである事を祈る(笑)

という訳でフュージョンだ。聴きたいと思っていたら、こんなのを見つけた。

フュージョン・パラダイス~オレンジ・セレクション

これはおいしい(笑)。角松敏生の曲がミョーに多いのが気になるが(笑)、それを除けば、ほぼ文句のない選曲である。日本のフュージョン全盛の頃の曲が、一通り楽しめてしまう。ネイティブ・サンとか嬉しい。

と思えば、こんなのある。

フュージョン

こちらもおいしい(爆)。なんたって、日野皓正の「シティ・コネクション」が入ってるのがポイント高い。難があるとすれば、日本のと海外のがごっちゃになってる点だろう。ま、何故かジャズとかフュージョンのレコードって、国内外関係なしに、一緒に収まってるケースが多い。インターナショナルなんだな(意味不明)。

話変わるが、プロバイダーから「ポイントのお知らせ」なるメールが届いた。月々支払っている料金に応じてポイントが溜まっていくのだそうで、そういうのがあるのは知ってたけど、今まで気にした事はなかった。が、今回、ふと見てみようという気になり、自分のポイントを確認してみたら、結構溜まっている。こりゃ何か特典に変えた方が良さそうだと思い、「特典一覧」を見てみた。そしたら、「キャッシュバック(ポイント分料金を引いてくれる)」「ポイント提携(提携会社のマイルやポイントに交換できる)」「バラエティグッズ(好きな物に交換できる)」等々、あれこれと特典がある中に、いきなり凄いもんがある。

社会貢献(ポイントを募金いただくことで、社会貢献活動にご参加いただけます)

う~む、これをスルーするのは勇気がいる(爆)。そういう決断を迫らないで欲しい(爆)。こっちは弱いんだから(爆爆)

ところで、今や全世界で「世界遺産」ブームであり、検定まである。皆さんは、どの程度、世界遺産について知っているのだろう。ここで、ちょっと質問。

ユネスコに認定された世界遺産が一番多い国は?
1.中国
2.メキシコ
3.イタリア

こんなことはどうでもよく(笑)、今日の読売新聞にも載ってたのだが、日本の世界遺産・屋久島が、観光客が多過ぎて荒れてしまってるので、入山制限を設けることにしたらしい。屋久島に限らず、日本のその他の世界遺産でも、多くの観光客が国内外から押し寄せる為、遺産が荒れる・傷む、住民の生活が侵害される、等の問題があるそうな。もちろん、これは世界遺産以外の国立・国定公園でも問題になっているらしい。富士山が良い例だ。

ここで、考えてしまうのだが、何故世界遺産に登録しようとするのか。おそらく、地元の名所に世界遺産というブランドを付加して、世界中にその存在をアピールすると共に、観光客増を狙ってるはずだ。しかし、観光客が増えれば、満足なメンテナンスが出来なくなって、遺産自体が傷んでしまう、というのは屋久島の例を見ても明らか。いくら観光収入が増えても、肝心の遺産が傷んでしまっては、元も子もない。正にジレンマだな。ハリネズミの恋、というべきか(は?)

よく知らないのだけど、世界遺産に認定されれば、当然ユネスコから遺産の維持費が出るのだろう、と思うのだが、一体どうなんだろう? それを当てにしてるのでは、という見方も出来る。

ま、確かに、世界遺産に限らないけど、世界の史跡・名勝には、やはり実際に行ってみたい。写真をみてるだけでもいいんだけど(笑)。でも、来られると迷惑だ、と言われれば行く訳にはいかないなぁ。でも、見たいしなぁ。難しい問題だ。

こういうのは日本だけの問題かもしれない。海外では、世界遺産に認定された国立公園で密猟をする輩がいるらしく、そのせいで危機にさらされているとこもあるらしい。あと、内戦が絶えないとか。色々とあるもんだ。

いない人を思い、会えない人のことを考える。もうじき夏だ(意味不明)

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アーカイブ

2009年06月17日 23時12分36秒 | 与太話

ロックコンサートのダイゴ味

趣味についてといっても、他人様に胸を張って言えるような趣味を何一つ持っていない私としては、何を書けばいいのか非常に迷ってしまう。しかし、プライベートでは部屋にいても、車を運転していても、音楽が流れていないと落ち着かないという位の音楽好きである。音楽といっても色々あって、演歌と民謡以外なら一応何でも聴くのだが、主として、いわゆる外国のロック系を好んで聴く。この手の音楽はレコードで聴くのも良いのだが、コンサートでの、生の音の接した時の感動も捨て難い。今までにいくつかのコンサートを観に行ったが、その中でも特に印象に残ったものを書いてみたいと思う。

生まれて初めてロック・コンサートを観に行ったのは、忘れもしない昭和五十三年四月四日、日本武道館での“フォリナー”の初来日公演である。その日はちょうど、高校の入学式の前日だった。当時は武道館へどうやって行ったらいいのか分からず、結局、東京駅から四十五分程歩いて行った。初めて経験するロックコンサートには圧倒されっ放しで、観客の数、音の大きさ等、驚きの連続であった。何より演奏自体が大変素晴らしく、それ以来、私にとって“フォリナー”は非常に思い入れのあるバンドとなった。レコードは新しいのが出ると必ず買い、全て揃えて現在でもよく聴いている。

この“フォリナー”よりも前から聴き続けてきて、それ以上に思い入れの深いのが“クィーン”である。その“クィーン”のコンサートを初めて観たのが、昭和六十三年四月二十五日であった(於日本武道館)。

以前にも五回程来日していたが、一度も観ることができず、それだけにこの時の感激は今でも忘れられない。ステージで演奏している彼らを見つめているだけで、目頭が熱くなった。それまでで一番感動的な「ボヘミアン・ラプソディ」だった。当時、解散説が飛びかっていた“クィーン”だが、まだまだ現役として頑張っている。あれ以来来日公演はしていないが、そろそろ来てほしいものだ。もちろん、会社を休んででも観に行くつもりである。

ステージと客席とが、一体になって盛り上がるのがコンサートの醍醐味だが、その味を一度知ってしまうとなかなか抜け出せないものだ。ところがここ数年、違和感を感じることがある。コンサートに集まる客の平均年齢が下がった、というより自分が年をとってしまったのである。かつてのロック少年も今や背広にネクタイのサラリーマンで、連中よりはるかに年上なのである。その事を思い知らされたのが平成元年七月三日の“フェンス・オブ・ディフェンス”のコンサートだった(於渋谷公会堂)。会場に着いてみると、客のほとんどは高校生とおぼしき女の子ばかりで、会社の帰りに行った私はひたすら浮きまくっていた。しかも、演奏が始まるとすかさず席を立って踊り出したのである。ディスコじゃあるまいし、というよりこんな音楽でよく踊れるなあ、とあきれてしまった。我々の世代とは楽しみ方が違うのだろう。それはそれでいいのだが、背広姿だと肩身が狭いというのは困ったものだ。

その点、去年観た“ローリング・ストーンズ”と、今年やって来た“ポール・サイモン”は良かった(前者は平成二年二月二十七日、後者は平成三年十月十二日、共に場所は東京ドーム)。コンサート自体質の高いものだったし、観客も比較的年齢層が高く、落ち着いた感じだった。ストーンズは三十年近いキャリアにもかかわらず、初来日ということで歴史的瞬間に立ち会えたという気がしたし、ポール・サイモンは思ったより躍動感のある演奏が若々しく、アンコールでやった「アメリカ」には泣けた。どちらも大変満足のいくものだった。もっと私と同世代以上の人達もコンサートに足を運ぶようになってほしいものだ。

今後も、可能な限りコンサートを観に行きたいと思う。今年暮れにジョージ・ハリスンが来日するので、是非観に行きたい。エルトン・ジョンとかポール・ロジャースとかも来日しないだろうか。来日公演が実現すれば、必ず観に行くだろう。しかし、大した趣味もない私だが、音楽からは一生逃れられそうにない。

PS.中日が優勝していたら「日本シリーズ観戦記」なんてものを書きたかったな。

さて、いきなりで何だが、↑の文章は平成三年つまり1991年要するに今を去ること18年前に、我が社の社内報に掲載されたものだ。もちろん、僕が書いた(笑)。かつて、うちの会社でも、年に3~4回社内報が発行されていて、その中に「MY HOBBY」というコラムがあり、社員が変わりばんこにあれこれ書いていたのである。皆それぞれに趣味があり(当たり前だ)、蝶の標本作りとか競馬とか釣りとか、様々な趣味が紹介されていた。で、ある時、僕に順番が回ってきたので、音楽ネタで攻めてみたという次第(笑)。ちなみに、この社内報だが、現在では発行されていない。バブル崩壊後に、経費削減ということで廃止されてしまった。

それにしても、↑の文章だが、なんというか、今とほとんど変わってない(爆)。この頃既に、「フォリナーの初来日」と「クイーン最後の来日」を観た、というのをネタにしてるし(爆)。もちろん、これを書いた時はフレディは存命だったが(たぶん、10月頃に書いたはず)、掲載されたのは12月で、文末に“クィーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリー氏は、十一月二十四日、エイズのため他界されました。心よりご冥福をお祈りいたします”と加筆されている。僕ではなく、社内報編集の人が書いたのだ。ちなみに、この社内報の編集は外部の広告代理店が手掛けており、そこの担当者は僕の原稿を読んで、「自分もロック大好きなんですよぉ~、ストーンズのチケット持ってたんですけど、仕事で行けなくてねぇ~、いやぁ惜しいことしました」なんて電話してきた(笑)。そして、その人の発案で、文章と共に『ダブル・ビジョン』『クイーン・ライブ・キラーズ』『ラブ・ユー・ライブ』のジャケ写も掲載されたのである。

なんで今さらこんなものを、と思うでしょうが、ある人の机の上に昔の社内報が乗っていて、懐かしいな、よくこんな古いもんが残ってたもんだ、と思って見てみたら、丁度自分の原稿が掲載された号だった、というわけ。ある人というのは、うちの若い女子社員で、間違いなく、フォリナー初来日の頃には生まれてなかっただろう(爆)。下手すると、クイーン最後の来日の頃でも生まれてなかったかも(爆爆)。怖いんで、そこいらは確認してないけど(爆)

という訳で、僕という人間は18年前と全く変わってないのだなぁ、というのがよ~く分かった(笑)。変わってない、というのは「進歩がない」のか「この時点で既に確立されていた」のか。まぁどっちでもよろしいが、若き日のMFCオーナーを知る貴重な資料であるのは間違いない(違うって)。

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裁判員制度

2009年06月13日 00時57分36秒 | テレビ番組

先月から裁判員制度がスタートしたが、初めてとなる裁判が8月に行なわれる事に決まったそうな。まだ、“初の裁判員制度による裁判”になる可能性が高い、という段階らしいけど。来週にも候補者100人を選定し、通知を送るらしい。

実は数年前、裁判員候補のさらに候補、要するにプレ候補みたいなのに、あなたが選ばれるかもしれません、という通知を受け取った事がある。通知が来たのは一度きりで、その後何も言ってこなかったので、おそらくプレ候補にもリストアップされなかったのだろう(苦笑)。でも、候補に選ばれました、と言われても困ってしまうな。相当な覚悟というか、心の準備が必要だ。

不勉強で申し訳ないが、裁判員制度というのは、全ての裁判で適用されるものと思っていたが、違うらしい。刑事裁判なのはもちろんだが、傷害や殺人といった凶悪事件が、その対象なんだとか。巷でも散々言われているが、何故そのような事件の裁判に、裁判員制度を適用しなければならないのか、理解に苦しむ。場合によっては、というかほぼ間違いなく、有罪であるなら、死刑か無期かという決断を迫られる訳で、法律の素人であり、しかも本職ではない一般人には荷が重過ぎるのではないか。記者会見まで開いて、やりたくないという人がいるのも理解できる(ただ、この記者会見した元中学校教師という人も、かなり胡散臭いけど)。最初は、窃盗とか空き巣とか、軽いのからやりたいものだ(笑)。もしかして、死刑制度の是非にまで話を持っていこうとしてるのか。

アメリカでは、昔から陪審員制度があるが、聞く所によると、陪審員は被告が有罪か無罪かを決めるだけで、量刑は裁判官が決定するらしい。日本も、その程度から始めたほうがいいのではないか。だいたい、3~4日の公判を傍聴しただけで判決を下す、なんて無謀な気がする。裁判員に決まれば、公判前に資料に目を通す機会は与えられるのだろうけど。

先日、偶然テレビで裁判員制度を扱ったドラマを見た。会社をクビになり、ネットカフェで生活している若者の視点で描かれたドラマだが、その若者は裁判員に指名され、殺人事件の裁判に関わる訳だ。とある青年が3人の主婦を殺したという事件なのだが、その背景には、青年が長年に渡り地域ぐるみのいじめを受けていたという事実があり、主人公は死刑か無期かで悩む。裁判官たちは、情状酌量の余地はあるものの、過去の判例からみても死刑は避けられないとして、判決は死刑という方向に、なんとなく誘導しようとしている。裁判員の中でも、2つに意見が割れる。主人公の若者が被告の青年に以前会った事があるとか、弁護士はいじめにより同級生を自殺に追いやった過去があるとか、その自殺した人の妹が裁判員になってるとか、ちょっとあり得ない設定だらけではあったが(笑)、それなりに、判決を下すという行為の重さに戸惑う裁判員たちの心情はよく描かれていたと思う。様々な問題点も、しっかりと提示されていたし。

ただ、ラストの展開は??だったな。主人公は、結局死刑という判決が言い渡される前夜、ふとある事実に気づき、判決当日の法廷で裁判をひっくり返してしまうのだ。被告の青年は、実は殺人はしておらず、真犯人をかばって死刑になろうとしていた、というのである。そして、彼が犯人でないという証人も見つけ出し、被告は無罪となる。なんのこっちゃ、という感じ。今まで、登場人物だけでなく、視聴者をも散々悩ませたのは何だったのか。無罪を証明できる証人は、それまで何をしていたのか。何故、検察も弁護側も、その証人を見つけられなかったのか。裁判員の苦悩を描くドラマのはずが、いつの間にか意外な結末を迎える法廷ドラマになっていた。ならば、最初から、そういう作りにすればいいのだ。重い量刑を決めなければならない立場に置かれた者の苦悩、なんてものはどこかへ行ってしまい、制作陣も結論を出すのを嫌がって逃げたような印象を与えるドラマになってしまった。途中まで面白かったのに、勿体ない(笑)

ま、そんなこんなで、誰しも裁判員に指名される可能性はある訳だし、それなりに覚悟を決めておいた方がいいのだろう。ちなみに、僕は指名されたら受けるつもりだ。おかしな制度とは思うし、人の生死を決める立場には誰だってなりたくない、けど回避する訳にはいかない。制度が間違っているのなら、身を以ってそれを示すべきだろう。自分は安全な場所に立って、文句だけを言うのはサイテーの大人のすることだ。

もし、裁判員になった場合、我が社では有給休暇とは別に、特別休暇が認められている。大手を振って、裁判に臨めるわけだ。障害は特にない。裁判員になったら、もちろん当ブログでもレポートをアップしようと思ってるので、是非楽しみにしてて欲しい(笑)

と思ったら、守秘義務があるんだよね(笑)。惜しいなぁ、せっかく貴重な体験が出来るのに(爆) つーか、何でもブログネタにしようという根性は、何とかならないのか(爆爆)

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