2017年も今日で終わりである。今年も、ジョン・ウェットン、チャック・ベリー、アラン・ホールズワース、グレッグ・オールマン、トム・ペティ等々、多くの偉大なミュージシャンが天に召された。加えて、デビッド・キャシディも亡くなったとか。仕方ない事とはいえ、やりきれない気持ちもある。慎んでご冥福をお祈り致します。
そんな中、2017年最後のレコード・コレクターズは、なかなか読み応えがあった。メインの特集は、60年代のBBCライブの発掘音源が発売されたローリング・ストーンズなのだが、『ホテル・カリフォルニア』や『世界に捧ぐ』のアニバーサリー・エディション、或いは初期のアルバムが再発されるエブリシング・バット・ザ・ガールの特集も、実に面白かった。正直言うと、メインのストーンズより面白かったかも(笑) レココレ今月号の表紙を見た嫁が、「こないだもストーンズやってなかったっけ?」なんて言ってて(爆)、ま、確かにその通りで、ストーンズやビートルズ、ディランあたりは、レココレ的に最重要なアーティストで、些細なネタでも特集が組まれるのは、はっきり言って創刊以来の決まり事みたいなもんなんで(笑)、これはもう仕方ないのである(笑) 編集部が世代交代したら、少しは変わってくると思うけど。
そういう意味では、メインではないとはいえ、イーグルス、クイーン、エブリシング・バット・ザ・ガールあたりの特集がまとめて組まれるというのは、珍しいと言えば珍しい。普段、レココレで取り上げる事の少ないアーティストだし。クリムゾン、ツェッペリン、ザ・バンド好きがレココレ編集部に多いせいで、イーグルスやクイーンは、レココレでは黙殺される存在であったのだが、さすがにそうも言ってられなくなったのだろう。ただ、記事を書いてるのは、ほとんど後追いと思われる。
30年も40年も前に出たアルバムを検証する場合、やはりそのアルバムが出た時に、アーティストがどんな状態にあったのか、アーティストを取り巻く環境はどうだったのか、アルバムが発売された時の世間の反応はどうだったのか、といった、その当時の状況を改めて考察するのは、非常に重要と思うが、近頃は、アルバムが出た頃には生まれてすらいなかった後追いのライターが、資料を基に記事を書いているのが当たり前のような状況になっていて、当然リアルタイムでは知らないから、「完成までに数ヶ月かかりましたが、結局は失敗作だった訳ですね」とか「失敗作という評価ですが、名盤ですよね」とか、勝手に失敗作にするな、と言いたくなる事も多い。奴らは売れなければ失敗作にしてしまうし、また、当時は評価低かったけど、後年名盤と言われるようになりました、とか、これまた勝手に決めつけたりなんかして、例えばクイーンなら、そのアルバムが出た頃のクイーンはどういう状況にあったのか、当時のファンはどんなアルバムを期待してたのか、実際に出たアルバムを聴いてファンはどう感じたのか、といった事項が完全に抜け落ちている。要するに、そんな事どうでも良くて、とにかく、あの当時は失敗作のレッテルを貼られたけど、現代の我々は名盤として評価しています、みたいな事を喧伝したいだけ。当時のファンは分からず屋だったけど、自分たちは違いますよ、みたいな感じ。『ペット・サウンズ』なんて、このプロセスで悲劇の名盤に仕立て上げられた訳だが、クイーンに関しては、この手の後追いライターがなんか多いのだ。特にレココレでは、よく見かける。おそらく、リアルタイムで知ってるような世代の人間は、クイーンの事を書きたがらない、或いは書けないので、結局後追い世代に任せるしかないのだろう。70年代のクイーンは知らなくても、せめて80年代以降のクイーンについて、正当な評価をしてくれるといいのだが、何故か、後追いの連中も70年代のクイーン(それも初期)について語りたがるのが多くて、80年代以降はスルーされ、結局クイーンはまともに検証されないままなのである。なんて不幸なバンドであることか(爆)
で、今月のレココレで特集されているクイーンの『世界に捧ぐ』だが、前述したように、当時のクイーンに関する考察はほとんどない。が、代わりに、初めて見る記述があり、なんと驚くべきことに、1977年当時のクイーンは“アンセム”を必要としていたらしい。ほんと初耳である。アンセムつまり、コンサートで観客も一緒に大合唱出来る曲が、クイーンには欠けていたという訳だ。へぇ~、知らなかった。あまりにも意外過ぎて鼻血が出たね(爆) で、アンセムが必要だったクイーンは、『世界に捧ぐ』で「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」を発表し、ご存知の通り、この2曲はクイーンを代表する“アンセム”となった訳で、今や、クイーンのコンサートのみならず、世界中のワールドカップ等ビッグなスポーツイベントで必ず歌われている。ま、なんというか、これらはあくまで結果だと僕は思っていたが、実はクイーンによる“アンセム”プロモーション(笑)が実を結んだ物だったのだ。う~む、知らなかった(爆)
一応、当時既にファンであった僕からすると、クイーンが“アンセム”を必要としていた、なんて事は全く知らなかった。周囲にもクイーン・ファンはいたが、「クイーンって、一緒に歌える曲がないよね」なんて会話はした事ない。確かに、クイーンのコンサートを経験してた者は少なかった。けど、某ML等の音楽誌にも、クイーンにはアンセムがどうたら、なんて記事は載ってなかったと思う。でも、クイーンのメンバーたちは、観客が歌い足りないと思ってる、というのを感じていて、次作では“アンセム”を作らねば、と思っていたらしい。少なくとも、レココレの記事にはそう書いてある。ふ~ん。
やや話は変わるが、コンサートと言えば観客の大合唱、という風になったのは、いつ頃からなのか。個人的には、コンサートというのは、アーティスト(=ステージに立つ人)の歌や演奏を聴くものであって、一緒に歌うものではなかった。もちろん、好きな曲なら一緒に口ずさんだりはするけど、皆で合唱するのとは違う。集まった観客たちにも好みはあり、全ての人が好きで一緒に歌える一曲、なんてあり得ない、とも思っていた。コンサートで一緒に歌うのは、当時ならフォーク系くらいで、ロック・バンドのコンサートで大合唱なんて、考えられなかった。それとも、当時の僕が知らないだけで、ストーンズやツェッペリンといったビッグ・ネームのコンサートでは、皆で大合唱とか定番だったのか。いや、そんな事はないだろう。コンサートでの大合唱が定番になったのは、スタジアム級の会場で一度に何万人も集めてのコンサートが当たり前になってきて、コンサートが演奏会ではなくなり、イベント化し始めてからではないのか、と僕は思う。
知ってる人は知ってるけど、クイーンは非凡なバンドである。音楽面だけではなく、ビジュアルや演出に関しても、他のバンドより一歩先を行っていた。先程、クイーンは“アンセム”を必要としていたらしいけど本当かよ、なんて事を書いたが、『世界に捧ぐ』から約2年後のライブ盤『クイーン・ライブ・キラーズ』を聴いて度肝を抜かれたのは、正にその部分だった。「ウィー・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」が文字通り、皆が大合唱する“アンセム”になっていたのである。いや、この2曲だけではない。他にも観客が合唱する様子が、ライブ盤のあちこちに収録されていた。「ラブ・オブ・マイ・ライフ」なんて、明らかに“アンセム”ではない曲でも、観客の大合唱になっていた。これは新鮮な驚きだった。クイーンがロック・コンサートのイベント化の先鞭をつけたのは間違いない。彼らは、その非凡な感性で、いずれロック・コンサートが巨大化してイベント化する事を予見し、自分たちのコンサートにそういった要素を、早くから取り込んでいたのである。尚且つ、皆で歌えるイベント向きの曲を徐々に増やして、コンサートで定番化していった。なんと恐るべしクイーン。確かに、考えるのは誰にでも出来たかもしれない。しかし、本当にそれをやってしまうのは生半可なバンドでは難しい。フレディ・マーキュリーという希代のエンターテイナーを擁し、加えて優れた作曲能力を持つクイーンだからこそ成し得たのだ。
と、“アンセム”がどうちゃら言うのなら、せめて、こういう視点で書いて欲しいもの(笑) 真実は後から分かるものなのだ(意味不明) ま、でも、こう考えてみると、改めてクイーンの凄さが分かる。やっぱりクイーンは素晴らしい(結局そこかよ)
ところで、最後に余談だが、最近テレビで“懐かしの名曲”を紹介するのが多くて、昔のVTRを流すのもあるし、スタジオにオリジナルの歌手を呼んで歌わせるのもあるけど、曲の最中にスタジオにいる出演者(パネラー)を映すと、皆必ずと言っていいほど、一緒に口ずさんだりしてる(=口をパクパクさせている) あれ、わざとらしくありません? いくら懐かしの名曲と言っても、スタジオにいる人全員がその曲を知ってる、大好き、歌詞も一言一句間違えずに覚えてます、なんて事は、いくらなんでもあり得ないだろう。おそらく、スタジオの人たちは、カラオケみたいに歌詞が出るモニターを見ながら歌っている訳で、それは絶対演出だと、僕は思っているが、名曲は皆で歌うのが当たり前、って風潮に成りつつあるのがイヤだなぁ。一億総歌声喫茶化というか。第一、歌ってる人に失礼ではないのかね。ま、本人は気にしてないのかもしれないけど。
イベント化したコンサート等で、皆で大合唱するのもいいけれど、個人的には、それが普通という風潮になるのはイヤだな。合唱しようとしまいと、各自の自由ではないか。そこに集まった観客全てが、同じ行為をしないといけないのか。ナチスの集会じゃあるまいし。かつて、ロック好きが忌み嫌った歌声喫茶みたいになってるぞ(笑) 曲を知らないと合唱出来ないから、事前に曲を覚えていく“予習”なるものが当たり前になってるのも、おかしいと思う。曲を知らないのにコンサートに行くのも不思議だし、逆に曲を知らないと行っちゃいけない、というのもヘン。なんか、皆で同じ事しましょう、という風になってるのが気味悪い。しかも、ロックコンサートで。
なので、クイーンのコンサートで、合唱してなくても、僕は決して咎めたりしませんので、ご安心下さい(笑) それぞれがそれぞれに楽しめばいいと思います。僕は合唱してしまうでしょうけど(爆)
という訳で、2017年も終わりです。今年もお世話になりました。来年もよろしく願いしますm(_ _)m