秋の便りを聞く頃になると、毎年引退を表明する選手が現れる。そして今年もまた、日本プロ野球界に輝かしい足跡を残した選手が引退する。その名は立浪和義。中日ドラゴンズ、背番号「3」。
実は知らなかったのだが^^;、今日は2009年ドラゴンズ主催のラストゲームだった。と、同時に、立浪選手の引退試合でもあった。その模様はBS-TBSで中継されて、偶然とはいえ、見る事が出来た。実にラッキーだった。
今日の試合、相手は読売ジャイアンツ。残念ながら、6-2でドラゴンズは負けてしまったが、立浪選手は6番ファーストでフル出場し、3安打を放った。9回裏ノーアウト2塁で迎えた第4打席では、タイムリー2塁打を打った。さすがミスター2塁打、さすがミスター・ドラゴンズ。ナゴヤドームを埋め尽くした38000人の観客の期待に、見事応えてみせた。この姿を見る事が出来るのはあとわずか、と思うと悲しい。
1987年秋のドラフトで、立浪はドラゴンズに一位指名され入団、翌1988年のシーズンでは開幕スタメンに起用され、早くもプロ初安打・初打点を記録。正に彗星のようなデビューであった。この年は、ほぼ全試合にスタメン出場し、ホエールズ(当時)の屋舗と盗塁王を争う程の活躍を見せ、ドラゴンズの優勝に貢献し、新人王を授賞した。
入団2年目のシーズンは、さすがにルーキーの時ほど順調にはいかず、ケガ等もあって満足な活躍が出来なかったが、3年目からは不動のレギュラーとなり、華麗な守備とシュアなバッティングでファンを魅了した。通算2塁打数はプロ野球歴代一位。2003年には2000本安打を達成。文句なしに、ドラゴンズの看板選手だった。投の山本昌、打の立浪、この二人が平成のドラゴンズを牽引してきたのだ。
それほどの選手であるにもかかわらず、打撃タイトルはゼロ。ベストナイン2回、ゴールデングラブ5回、というのも、あまりにも少な過ぎる。記者連中には評判悪かったのだろうか(笑)
ここで思い出すのは、1996年か1997年のジャイアンツ戦。6月頃だったかな^^;。場所は東京ドーム。ドラゴンズ1点リードで8回から宣銅烈を投入するが同点に追いつかれる。が、9回表ジャイアンツの木田を攻め1点返して、さらにランナー二人を置いて、立浪がダメ押し3ラン。これは物凄い当たりだった。外野席の上の看板に当たったのではなかろうか。立浪の印象的な一打、というと、僕はこの試合のホームランを思い出してしまう。
そんな立浪選手にも、ついに引退の時がやって来た。今日の試合前の記者会見で、「打って守って走って、というのが自分にとっての理想の野球選手像だが、今の自分は打つだけの選手。もう潮時かと思っていた」と語っていたように、近年の立浪選手は、スタメンはなく、代打の切り札として出場していた。本人も、それを潔しとしなかったのだろう。僕も、ここ一番の代打としての立浪選手には、全幅の信頼を置いてはいたが、かなり違和感を感じていたのも確かだ。やはり、立浪選手といえば華麗な守備。ショート或いはセカンドを守れなくなった時点で、引退してもよかったのかもしれない。
とか何とか言ってるけど、立浪選手、ほんと22年間お疲れさまでした。「ありがとう」なんて、上から目線の物言いはしたくない(笑)。立浪選手のいなくなったドラゴンズにも、来年以降新しいスターが誕生するだろうけど、僕は貴方をずっと忘れません。ただ、まだシーズンは終わってないので、クライマックス・シリーズもしくは日本シリーズで、出来たら決勝タイムリーを打って下さい(笑)
余談だが、立浪選手の背番号3を永久欠番に、という声もあるらしい。確かに、それが当然の選手ではあるが、背番号3というと、長嶋茂雄と同じなんだよね。そこがちと不満だなぁ(爆)