日々の覚書

MFCオーナーのブログ

閃光のモノリス

2021年07月24日 09時44分58秒 | 音楽ネタ

とにもかくにも、ついに東京オリンピックは開幕した。これほどトラブルに見舞われたオリンピックは前代未聞であろうと思われるが、それを乗り越えて開催にこぎ着けた事に意味がある。昨夜の開会式も見てたけど、とても良かった。きっと記憶に残る大会になるだろう。無事に最後まで行って欲しいもの。

と、そっちにはほとんど関係なく、最近買ったCDから。

Anderson, Bruford, Wakeman, Howe

ご存知プログレの大御所イエスの残党たちが、1989年に発表したアルバム。当時の邦題『閃光』。メンバーの姓を並べたバンド名でも分かるように、イエスの残党どころかイエスそのものであるのだが、クリス・スクワイアとトレバー・ラビンが中心になっていた当時のイエスは、往年のイメージからすると既にイエスではなく、実はこちらの方が本物なのだ、と古くからのファンは期待し、実際、本作も高い評価を得ていた記憶がある。確かに、メンバーもそうだし、ジャケットはロジャー・ディーンだし、邦題もアレだし(笑)、ファンならずとも、古き良きプログレいやイエスの復活を期待してしまうのも無理はない。時代はバブルど真ん中だっただけに、余計にその期待は高まった訳だ。ただ、あれから30年以上が過ぎた今聴いてみると、本当に当時のイエス・ファンの期待に沿う内容になっていたのかどうか、は疑問。

80年代に入り、プログレはかつての勢いを失い、急速に変化していかざるを得なかった。エイジアの成功は、重厚長大の70年代プログレが、80年代も生き残っていく為にはどうすれば良いか、という格好のサンプルであった。ただ、そういった流れの中でも、70年代プログレの精神・スタイルを継承していこうとするバンドもいたが、テクノロジーやプロモーション戦略の変化もあり、やはりかつてのプログレとは違う、80年代ならではのプログレであったのは間違いない(悪いと言ってるのではありません)。

イエス全盛期のメンバーが集まって制作された『閃光』も、その流れを汲む内容だ。後に聞いたところによると、このプロジェクトはジョン・アンダーソンとクリス・キムゼイが中心で進行し、この2人で作った音源に、各メンバーがそれぞれ手を加え、それを最終的にこの2人が仕上げる、という感じだったらしい。そのせいか、全体的に打ち込みっぽい感触がある。シンセを多用してるしね。それでもアルバム前半は、曲もいいし構成も巧みで演奏もスリリングだし、昔とは違う感触だけど、トレンディなプログレ(なんのこっちゃ)として見事な出来映えと思う。それから、イエスというかジョン・アンダーソンの一人舞台みたいなアコースティックな曲が続く中間部を経て、後半はプログレとは思えない明るい曲調になっていって、最後はジョン・アンダーソン得意の牧歌的雰囲気の小品で締める、という構成。まぁ、悪くないんだが、どうなんだろう?(笑) 個人的には、当時友人かり借りて聴いたのだが、つまらなかった訳ではないけど、特に強い興味も覚えずに終わってしまったというな気がする。異論はあろうが、あの頃、決してプログレはトレンディではなかったのだ(笑)

その後のイエスを見ていても、結局イエスはジョン・アンダーソンなのだ、という感慨しかない(笑) 『閃光』もそんな一枚。いや、決して悪いと言ってるのではありません(爆)

Monolith/Kansas

モノリス(英語:Monolith)は、建築物や遺跡の内で配置された単一の大きな岩や、幾つかの山々のように一枚の塊状の岩や石から成る地質学的特徴を表すものである。一枚岩とも言う。(出展:ウィキペディア)

カンサスの6作目。1979年発表。当時の邦題『モノリスの謎』。カンサスをプログレ・バンドとして捉えるなら、オーソドックスなプログレのスタイルで作られたのは、本作が最後なのではなかろうか。あまりカンサスには詳しくないのだが^^;、これ以降のカンサスはメンバー・チェンジ等もあり、他のプログレ系と同様、音楽性をシフトしていったように思う。後年、彼らの『パワー』というアルバムを聴いたが、自分の知ってるカンサスとは違うバンドになっていた。ま、これも時代の流れで、仕方ないというか何というか。苦労したのはカンサスだけではないしね。

という訳でこの『モノリスの謎』、やっぱカンサス待望の新譜、という事で話題になり、結構売れたのではないか。FMでもよくかかっていた。あの頃、本作の曲でラジオでよく耳にしたのは「オン・ジ・アザー・サイド」と「まぼろしの風」で、後者はシングル・カットされたので、ラジオで耳にするのは自然なのだが、前者がよくかかっていた、というのは、この曲自体が名曲であるというのはもちろんだが、メランコリックな旋律、変拍子ビシバシだけど決して難解ではない曲調、6分台というプログレとしては適度な長さ、といった、カンサスのイメージが見事に集約されていたから、というのもあるのだろう。確かに今聴いても素晴らしい。聴くのも良いが、バンド小僧たちがコピーしたくなる魔力にも溢れた曲だ。ほんと、この頃のロックって分かりやすかったよね(爆)

ここで告白すると、僕も一応70年代のカンサスは一通り聴いているのである。個人的なベストは1枚目かな。「キャン・アイ・テル・ユー」って名曲と思う。あと好きなのは「帰らざる航海」、これも出た頃はよくかかってたなぁ。この曲収録のアルバムも、プログレ的展開ではあるが、短くまとめた感じで、聴きやすくて良いのでは。80年代以降のカンサスはほとんど聴いてないが、色々とあったけどまだ活動してるそうで、最近新作も出したようだし、そういう話を聞くとホッとする。今誰が残っているのだろう? と言っても、カンサスのメンバーの名前はあまり知らないので、聞いても分からないだろうけど^^;

ところで、今回紹介した2枚は、どちらもオランダのMusic On CDというレーベル(たぶんソニー系列)からの再発である。が、『閃光』の方は、歌詞と共にメンバーのクレジットやレコーディングデータも記載されたブックレット付きだが、『モノリスの謎』の方は、曲目と”Produced by KANSAS”とだけ書かれた紙が封入されているだけで、歌詞はもろん、メンバーの名前も各曲の作曲クレジットもない。これはひどい。同じ会社から出ているのに、何故こんなに仕様が違うのか。アーティストにも失礼だ。もしかして担当者が違うと、対応も違うのか。なら、担当者出てこい!(笑)

来週は土用だ。上手い鰻食べたいな^^

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黒い夜

2021年07月18日 22時43分20秒 | 音楽ネタ

なんと、神奈川県にも緊急事態宣言が発出されるらしい。黒岩知事が言ってた。詳しくはこちらで。

それにしても、一体どうなっているのか。確かに、神奈川県も新型コロナ感染者がなかなか減らないけど、かといって緊急事態宣言を発出するほど逼迫している訳でもあるまい。なんか、やたらと東京というか都知事に気を遣ってる感じ。ま、これは神奈川県だけに限った事ではないけどね。というか、国までもが都知事の意向に振り回されてる感がある。緊急事態宣言中は飲食店で酒類の提供禁止とか、東京オリンピックは無観客で開催とか、いかにも政府が決定したかとのような報道がされているが、実は都知事の意向だという話も聞いてる。都知事は決して自分からは発信せず、政府が決定したので自分には責任はない、というスタンスを維持してる訳だ。都知事がこういうスタンスでいられるのは、バックに自民党の幹事長がついているからで、オリンピック後の総選挙で国政に戻ってくる、という噂もある。自民党も何やってるのか。この先、日本は大丈夫なのか?

と、祖国の行く末を心配したりしつつ、最近買ったCDから。今回はブラック系。

Live At The London Palladium/Marvin Gaye

マービン・ゲイが1977年に発表したライブ盤。当時はLP2枚組で、D面に収められたスタジオ録音の新曲「Got To Give It Up」がシングルカットされ、全米No.1となったのを覚えている。実際、今回このライブ盤を買ったのは、「Got To Give It Up」が聴きたかったからだ(笑)

とはいえ、初めて聴いたけど、なかなかに素晴らしいライブ盤である。まず、ブラスセクションも含めた大所帯のバンドがよろしい。実に洗練された音を出している。そのバンドがメロウに奏でるイントロに導かれてマービン・ゲイが登場するオープニングも、見てた訳ではないが、実にカッコいい。ファンキーに迫るのではなく、あくまでメロウにしっとりと歌いかけるマービンに、会場の女性客はイチコロだったであろう(笑) 構成もなかなか巧みで、メドレーが3パターン収録されているが、それぞれ60年代の曲、70年代の「ホワッツ・ゴーイング・オン」関連の曲、女性シンガーをパートナーにしたデュエット曲、とテーマ別に披露しているのも心憎い。ラストの「アイ・ウォント・ユー」も感動的。実に素晴らしい。エレガントというか何というか、とにかくそういう感じなんで、あまり疲れないのがいいと思う。

ディスコ調の「Got To Give It Up」もいいね。当時の邦題「黒い夜」。こういうのを聴いていると、マービン・ゲイという人は、僕がイメージしていたソウルとは違うタイプのシンガーなのだ、というのが良く分かる(今さらですが^^;)

随分前だが、とあるバーで、「ホワッツ・ゴーイング・オン」がかかったら、カウンターの僕の隣の隣あたりにいた客が、いきなりノリノリになって、半分踊りながら聴いてたのだが、こっちの視線に気づくと、「いやぁ、マービン・ゲイ大好きなんですよ」なんて言い訳(?)してたのだが、その後同じマービン・ゲイの「悲しい噂」がかかったので、喜んでるのかなと隣の隣を見たら、全くの無反応でスマホなんかいじってて、その後何曲か後にまた「ホワッツ・ゴーイング・オン」がかかると、やはりノリノリだったもんで、この人はマービン・ゲイが好きなんじゃなくて「ホワッツ・ゴーイング・オン」が好きなんだな、と思った記憶がある。そういう人多いと思う。けど「ホワッツ・ゴーイング・オン」は確かに名曲だな。

オチなくてすまそ。

The Essential Earth, Wind & Fire

アース、ウィンド&ファイア(以下EWF)である。この人たちも、キャリアは長いしヒット曲は多いし、という事で、かなりの種類のベスト盤が出ている。特にファンというのではないが、僕もEWFのアルバムは何枚か持ってて、けど、「シング・ア・ソング」とか「ゲッタウェイ」といったEWFを知るきっかけになったヒット曲をまとめて聴きたいと、ずっと思ってたのだが、ベスト盤の種類が多過ぎて却って決められなかった、という経緯があり、ま、『ベスト・オブ・EWF』のVol.2とVol.2を買えば、主要なヒット曲は押さえられるので、それでも良かったのだが(笑)、どうせベスト盤買うなら、1983年の「フォール・イン・ラブ・ウィズ・ミー」も入ってるのがいいな、と思っていた。そう、この曲何故か好きなのだ(笑) という訳で、色々あったけど、この『エッセンシャル』にしたのである。貫禄の2枚組。もちろん、「フォール・イン・ラブ・ウィズ・ミー」も入ってます(笑)

という訳で、さすがEWFである。ほとんど文句なし。特定のアルバムからの曲が目立つのと、80年代後半以降のアルバムからは選曲されてないのがやや不満だが、主要なヒット曲の漏れはないし、こうして聴いてみると、やっぱりEWFは良いなぁ、と思ってしまうのである。今や、リーダーのモーリス・ホワイトもこの世の人ではなく、バンドとして活動しているのかどうか知らないが、かつてのヒット曲たちは今でも色褪せる事なく素晴らしい。

The Definitive Collection/Dionne Warwick

ディオンヌ・ワーウィックは、本国アメリカでは国民的歌手として今も人気が高いらしい。失礼ながら、そんなイメージがなかったのだが、このベスト盤を聴いてみると、60年代から70年代にかけて、バート・バカラックの元でヒット曲を連発していた時期の印象が強いのかも、なんて気がした。このベスト盤でも、20曲中9曲がその頃の曲である。ただ、個人的には、この頃のバカラック作品が、ディオンヌに向いてたのかどうか、やや疑問である。

僕にとっては、ディオンヌ・ワーウィックと言えば、1979年にバリー・マニロウのプロデュースでヒットを飛ばし、80年代に入っても、バリー・ギブのプロデュースによる「ハートブレイカー」がヒットし、仲間たちと共演した「愛のハーモニー」が全米No.1になったりと、安定した活動をしていた時期の印象が強い。もちろん、60年代から活躍してる、というのは知ってた。けど、ポップで小粋なバカラック作品を可愛らしく歌うディオンヌより、「愛の別れ道」や「ハートブレイカー」を朗々と歌い上げるディオンヌの方が、彼女らしいような気もするのだ。80年代に入って、ディオンヌは再びバカラックと組んでヒットを出すようになったが、以前とは違うブラコン風サウンドになっており、そちらの方が彼女の歌にフィットしてた感じがする。黒人ではあるが、ソウル系には分類されてないように思えたディオンヌだが、やはり根はソウル・シンガーなのだ。

という訳で、ディオンヌ・ワーウィックのベスト盤なのだが、今後、初期のバカラック作品は飛ばして、10曲目の「愛のめぐり逢い」から聴いてしまうような気がする(笑)しかしこの曲も名曲だ。あと、個人的には、やはりバリー・マニロウのプロデュースによる「デ・ジャ・ヴ」が好きだな。

梅雨も明けて、これから熱くなるし、コロナはまだ収束してないし、ついでにオリンピックもあるし、ってんで、色々と大変ですが、皆さま、どうぞご自愛下さい。

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オサリバンはオサリバン

2021年07月11日 00時16分31秒 | 音楽ネタ

少し前の事だが、ドラゴンズ、ファイターズで活躍した元プロ野球選手の大島康徳氏が亡くなった。享年70歳。癌で闘病中で、3~4年前に余命1年と宣告された、と本人が公表してた。今年になって、他にも転移してた事が分かったらしいが、結局力尽きてしまったようだ。残念である。謹んでご冥福をお祈り致します。

大島選手といえば、言うまでもないが、80年代のドラゴンズを支えた主力選手であった。世間的には一発長打の印象が強いと思うが、実はクレバーで状況を読んだバッティングをする人だったと思う。あの頃、ランナーを置いて大島、谷沢に打席が回ると、絶対何かが起きるとワクワしたものだ。個人的には、1984年のドラコンズが実はドラコンズ史上最も強かったチームだったのでは、と思っているが、その時の打線の中軸が大島だった。

大島選手で思い出すのは、1984年でなくて恐縮だが、優勝した1982年終盤に2試合続けてサヨナラヒットを放ったこと。ジャイアンツとデッドヒートを繰り広げていた頃だっただけに、間違いなくチームは上昇気流に乗って、セ・リーグ最終試合での優勝決定に繋がった。この2試合のサヨナラヒットのうち、2試合目の相手はジャイアンツで、6-2で江川が完投勝利目前の9回裏にドラゴンズが4点入れて同点に追いつき、10回裏に大島がサヨナラヒットで決めた、という伝説の試合であった。ほんと、あの時は大島に後光が差してたね。

また一人、古き良き時代のプロ野球人がいなくなった。

閑話休題。今回のお題は野球ではなく、何故かギルバート・オサリバンである。

ギルバート・オサリバンと言えば、やっぱり「アローン・アゲイン」であろう。オサリバンの代表曲であると同時に、1970年代をも代表するヒット曲だ。それ故、特定の世代にとっては「アローン・アゲイン」のインパクトが強過ぎて、他にもヒット曲があるのに、ギルバート・オサリバンを一発屋扱いする人もいたようだ。けど、ベスト盤でも何でもいいが、オサリバンのアルバムをじっくりと聴いてみれば、とても才能に溢れた人である事はすぐ分かる。決してギルバート・オサリバンは「アローン・アゲイン」だけの人ではない。

僕が中学生の時、1975年か76年頃と思うが、当時購読していた某FMfanという雑誌のグラビアにオサリバンが登場したのを見た。記憶が曖昧だけど、ゴルフ場のカート(のようなもの)に乗ったオサリバンの写真に、誰が書いたか分からないコメントが添えられていただけの、何の色気も変哲もないグラビアだったのだが(昔はそういうの多かった気がする)、そのコメントの筆者は、「アローン・アゲイン」で一躍時代の寵児になったものの、その後「アローン・アゲイン」を超えるヒット曲を生み出していないオサリバンに対して、焦る事はない、世間を気にする事なくマイペースで活動していれば、彼はまたいつか名曲をものにするだろう、だってオサリバンはオサリバンなのだから、とエールを送っていた。当時の僕はギルバート・オサリバンも「アローン・アゲイン」も知らなかったけど、この誰が書いたか分からないコメントを読んで、なんとなく感動したのを覚えている。”オサリバンはオサリバン”といういう部分が特に良かったな(笑)

そのグラビアを見てからしばらくして、オサリバンは「二人の願い(To Each His Own)」というシングルを出した。この曲を僕はとても気に入ってしまったのである。ラジオでも結構かかってたし、FM東京の『ポップス・ベスト10』にもランクインしてたと思う。明るく軽快な曲調で、歌い出しの「You say someday Ooh baby let's get away」という歌詞も覚えてしまうほど好きだったのだ。原題は知らなかったけどね(笑) その時点でもまだ「アローン・アゲイン」は知らなかったけど、「二人の願い」は「アローン・アゲイン」を超える名曲に違いない、と僕は思った。”オサリバンはオサリバン”と書いた人の気持ちが分かったような気がしたのである。

その後、残念ながらオサリバンはヒットに恵まれず、70年代終わり頃から80年代にかけては、すっかり地味な存在になってしまったけど、80年代後半になって、突如復活した。それも日本で。きっかけは、テレビドラマにオサリバンの曲が使われて注目され、その勢いで出した日本独自のベスト盤が結構売れた、という事だったらしい。オサリバンに注目したのは「アローン・アゲイン」なんて知らない若い世代で、彼らからすると、「アローン・アゲイン」も他の曲も、同じように良い曲であった訳で、先入観も何もなく、実に正当にオサリバンを評価した。つまり、オサリバンは初めて日本で正当な評価を受けたのである。再評価されたオサリバンは、80年代後半以降、日本公演も頻繁に行い、新作もコンスタントに発表して、すっかり日本でもお馴染みのアーティストとなった。今や、彼を一発屋と呼ぶ人はいないだろう。

という訳で、最近買ったCDから。

Southpaw/Gilbert O'Sullivan

オサリバンが1977年に発表した、通算5枚目のアルバムである。初めてオサリバン自身がプロデュースも手がけたアルバムで、「トゥモロウ・トゥデイ」とか「ミス・マイ・ラブ・トゥデイ」といった、後のベスト盤にも収録されることになる曲も含んでいる。僕が買ったのは、2012年に出たボーナストラックを加えたリマスター盤で、目当てはずばりボーナストラックとして収録された「二人の願い」である(笑)

実は、しばらく前から「二人の願い」がやたらと聴きたかったのである。曖昧な記憶だが、「二人の願い」は1976年から1977年にかけてヒットしていて、同じ頃のヒット曲としては、ブレッドの「愛のかけら」、レオ・セイヤーの「恋の魔法使い」といったところがあり、一緒に聴いてたような気がする。前述したように、「二人の願い」はとても好きな曲だったのだが、時期が過ぎると、記憶も薄れてしまった。ま、よくある話だ(笑)

その後、これまた前述したオサリバン再評価の際、僕もオサリバン聴いてみようかな、と日本編集の『アローン・アゲイン』というベスト盤を買ったのだが、それには「二人の願い」は含まれていなかった。僕も多少は期待したけど、原題も分からないし、まぁしょうがないか、と割にあっさりと諦めたりなんかして(笑) 後に、新たに編集されたベスト盤に「二人の願い」が入っている、なんて情報もあったが、さすがにほぼ同じ内容のCDをまた買う気もなく、そのまま時は流れたのであった。最近になって、何回目か分からないが「二人の願い」熱が再発して(笑)、調べたところ、『サウスポー』のリマスター&ボーナストラック盤に収録されている事を知り、紆余曲折を経て、ついに手に入れたのである(実際、『サウスポー』のリマスター盤は2012年頃に出ていたらしく、2021年の今となっては入手困難と思われた)。「二人の願い」とは実に44年ぶりくらいの再会であった(笑)

と、44年の時を経て改めて聴いた「二人の願い」、全く色褪せる事のない名曲であった。実に素晴らしい事なのだが、それ以上に素晴らしいのは、この『サウスポー』というアルバムの出来映えである。ゆったりとした雰囲気の曲とアップテンポのハードな曲が見事に共存し、収録曲全てが、いかにもイギリスらしい、ややウェットで洗練された、格調高い雰囲気に溢れている。これは、ウエストコースト系のシンガー・ソングライターには出せない味だろう。曲も佳曲揃いだし、クリス・スペディングらが参加した演奏も素晴らしい。ボーナストラックが「二人の願い」を含む9曲も収録されているのも良い。しかも、シングル曲のみならず、B面曲もクォリティ高いし。実は、というか、やはり、ギルバート・オサリバンは才能豊かな人だったのである。決して「アローン・アゲイン」だけの人ではない、というのは、このアルバムを聴けば誰でも分かるだろう。当時の評価が低かった、という事は、誰もちゃんとオサリバンを聴いてなかった、という事だ。ついでに言うと、ジャケットも良い。

そう、やはり、オサリバンはオサリバンなのである。これを書いたライター氏は正しかった。そして、後に正当に彼を評価した日本のファンも。

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