日々の覚書

MFCオーナーのブログ

未来・過去

2024年06月30日 23時03分56秒 | 音楽ネタ
我らが中日ドラゴンズだが、6月も終わろうという今、相変わらずBクラスのままどころか、6月30日現在、74試合消化して31勝37敗6分けでセ・リーグ最下位に沈んでいる。定位置という声もあるが(苦笑)首位カープとのゲーム差は7。今月の戦績は10勝12敗1分け。なんか、3連戦1勝2敗ペースの無限ループに陥ってしまいそうで怖い(笑) ま、セ・リーグの混戦状態がまだ続いているのも、逆に言えば、スワローズとドラゴンズの下位2チームが、意外と踏ん張ってるからでもあって、この状態で喰らいついていれば、オールスター明け頃にはチャンスがある、と思っているのだが、明るい材料も少ないし、ファンとしては勝っても負けてもイライラが続く梅雨となりそう。

今朝ネットニュースを見たら、「ドラゴンズ68年振りの屈辱」なんて書いてあるもんで、一体何が起こったのか、と思ったら、ここ最近なんとドラコンズは10試合連続で2点以内しか得点出来ておらず、10試合というのは68年振りなんだそうな。誰が調べるのだ一体(苦笑) ま、今年のドラゴンズの特徴は投高打低、有体に言ってしまえば貧打であるので、こういう記録は仕方ないかも(笑)

ま、この10試合、ドラゴンズの戦績は3勝6敗1分け、正に1勝2敗ペース(爆) 10試合のうち、1点差ゲームが3試合で、あとは2点差以上つけられて負けている(言い忘れたが、1点差ゲームの3試合は、いずれもドラゴンズの勝ち)。10試合の前の試合は、ドラゴンズ4得点で勝っている(やっぱり1点差だけど) とにかく点が取れないのが今年のドラゴンズ、ついでに言うと、今シーズン、ドラゴンズが5点以上取ったのはわずか7試合、戦績は5勝1敗1分け、と、やはり点さえ取ればピッチャーが抑えてくれる、というのを体現してます(笑) 

ちなみに、10試合続いた2得点以下だが、6月30日のベイスターズ戦に3-0で勝って、連敗と2得点以下の両方を止めた。もし、2得点以下が11試合になると、球団記録を達成してしまうところだった。ま、貧打なら貧打で仕方ないけど、貧打ならではの試合の進め方もあるはず。くどいようだが、こんな状態でも、まだ首位とはたった7ゲームである。くじげずに頑張って下さい。

という訳で、最近買ったCDから(唐突)




何回か書いているが、僕はデュラン・デュランも結構好きなんである。ニュー・ロマンティックの旗手として登場した頃から、メンバー・チェンジを経てファンキーなサウンドを標榜した時期、打ち込みメインのエレポップ風だった時期、そして21世紀に入ってからのオリジナル・メンバー再集結、と一応彼らのキャリアは一通り追いかけているのだ。その間、デュラン・デュランは解散はもちろんだが、長期にわたる活動休止やブランクもなく、割に安定した活動を続けてきた。これは凄い事である。正直申し上げると、デビューから40年以上過ぎても第一線で活躍し続けるバンドになる、なんてあの頃は全く想像もしてなかった。見た目以上に、デュラン・テュランには音楽の才能と実力そして時代を見る目が備わっていたのである。そう、これは単純に凄い事なのだ。デュラン・デュランって実は凄いのだ(なんか、とても失礼な事を言ってる気が...笑)

と言いつつも、僕がデュラン・デュランのアルバムで最後に聴いたのは2007年の『レッド・カーペット・マサカー~美しき深紅~』で、それ以降はずっと遠ざかってた。別に、デュラン・デュランに興味がなくなった訳ではないし、コンスタントに新作を出しているのも知ってたが、とにかく遠ざかってたのだ。何故だろうね(笑)

で、これも何故だが分からないが、久々にデュラン・デュランを聴いてみようと思って買ったのが、この『フューチャー・パスト』である。2021年発表。これがなかなか良い出来だ。デジタルなビートやファンキーな音作りは影を潜めているが、相変わらず曲は良いし、ミステリアスな雰囲気がたまらんし、サイモン・ル・ボンの声や歌い方も全く変わってなくて、とにかく往年のファンなら満足のいく出来栄えではなかろうか。やはりデュラン・デュランは凄いのである。



引退という噂もあったシェリル・クロウだが、こうして新作が出たのはめでたい。まだまだ本人はやる気満々なのだろう、と思いたい(笑) シェリルは僕と同い年の62歳、この21世紀においては62歳なんて、まだ引退する年なんかではないのだ(笑) まだまだ続けて下さい。

で、前作『スレッド』以来の新作な訳だが、相変わらずアメリカン・ロックの王道を行く音作りが聴ける。ロック調もフォーク調も全てシェリルそのもの、本当にこの人に"はずれ"はない、と思わせる内容だ。後半、シェリル一人の弾き語りが続くのはちょっと、というのはあるけどね(苦笑)

ただ、気になる事もあって、僕にしては珍しく、シェリルの新作を歌詞カード見ながら聴いていたのだが、なんかヘンだな、と感じるのがあった。2曲目の「Do It Again [Explicit]」というフォーク調の曲で、かつての売れっ子プロデューサー、ジョン・シャンクスとの共作なのだが、出だしの歌詞が、

Well I've read some Eckhart Tolle
And Deepak Chopra, too
They say when you go pointing fingers
You get three pointing back at you
<MFCオーナーによる翻訳>
エックハルト・トールも読んだし、ディーパック・チョプラも読んだ。
人に後ろ指を指すと、3本の指があなたを指しているものよ

ま、自分はやましい事はしていない、だから人に批判される筋合いもない、だから私に対してああだこうだ言わないで、と解釈できるような歌詞と思うが(かなり意訳だな)、問題なのは、著作を読んでるとして名前が挙げられている人たちのことだ。ぜひ調べてみて欲しいが、ちょっと危ない雰囲気がある(考え過ぎ?)。昔からシェリルは政治的メッセージを自作曲に込めたりする人ではあったが、政治的メッセージはある意味分かりやすいけど、そうでないもの(スビリチュアル系とか)はちょっとね(笑)。シェリルがヘンな方向に進まない事を祈る(笑)



去年あたりから、僕にとってはちょっとした"中森明菜リバイバル"だったりするのだが、この『La Alteracion』は1995年発表。デビューからずっとワーナーパイオニア所属だった明菜が、90年代に入ってから移籍したMCAビクターからの第2弾アルバムである。当時、レンタルして聴いてたのを思い出す。ほんと、よく聴いたなぁ。なんというか、久々に明菜らしいアルバムという感じがして、気に入ってよく聴いてたのである。

音の感じとしては、サーフ系からスパニッシュ的なものやシティポップ風もハードロック調もあり、それらが"中森明菜"というフィルターを通して提示されることで、アルバム全体が統一感のあるものに仕上がっている。とにかく、どの曲も"中森明菜"以外の何物でもない。最近知ったのだが、本作制作時、明菜は珍しく何も言わずにスタッフに任せていたという。自分が口出ししたり要望を伝えるのは止めて、作り手たちが考える"中森明菜"的なものというのはどんなものなのか、それを知りたかったから、らしい。その試みは成功していると思う。出来上がった作品が"中森明菜"でしかない作品になっているからだ。しかも、マンネリやワンパターンではない。この時点でのベストの"中森明菜"なのである。素晴らしい。

明菜本人はどう思ってるか知らんが、この『La Alteracion』は明菜の代表作と言ってもいいアルバムと思うし、ある種のターニングポイントになったアルバムとも言える。"中森明菜"は"中森明菜"なのである、それを世間に知らしめたというか。ちなみに、アルバム・タイトルはスペイン語で「変化」という意味だそうな。なんかよく分からんけど(笑)、中森明菜の『La Alteracion』が名盤であるのは間違いない。
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フュージョンの夏・日本の夏

2024年05月25日 16時49分52秒 | 音楽ネタ


唐突だが、最新のレコード・コレクターズ(以下レココレ)の特集は、2号続けてフュージョンである。なぜいまフュージョンなのかは不明だが(笑)、いつも通り、レココレのライター諸氏がフュージョンの名盤を30枚づつリストアップし、それを編集部が集計してランキングを決める、という毎度お馴染みの企画であり、先月は洋楽、今月は邦楽のフュージョン名盤100枚のランキングなのである。まぁ、いつもの事ではあるが、かつてフュージョンと呼ばれた音楽に、短期間とはいえハマった事のある僕からすると、なかなかに興味深い内容だし、言いたい事も多い(笑) 今回は長くなりそうだ(爆)

ほとんどのポピュラー音楽に於ける、いわゆる"ジャンル分け”というのは定義が曖昧で、ライターが100人いれば100通りの"ジャンル分け"が存在したりするので、要するに"ジャンル分け"なんてものは不毛なんである。フュージョンも同様で、今回のレココレの特集に於いても、1969年から1989年の間に発表された"フュージョン"のアルバムからリストアップする、というルールになっていて、1969年と限定している事に編集部の意図を感じ取るライターもいるが、ま、とにかく、様々な解釈が乱れ飛んでいる。僕個人の感覚だと、後にフュージョンと呼ばれるようになった音楽は、それ以前はクロスオーバー或いはソフト・アンド・メロウと呼ばれていた。70年代半ば頃、主にジャズ系のミュージシャンたちが、ジャズだけでなく、ファンクやソウル、後のワールド・ミュージックといった、様々な音楽の要素を取り入れ、(やや矛盾するが)ジャンル分け不能な音楽を志向するようになり、ブラック系やロック系のミュージシャンたちもこの動きに呼応して一大ムーブメントとなって、それらを当時"クロスオーバー"と呼んだのである。1975年頃の音楽雑誌の広告には、あこちでクロスオーバーの文字が躍っており、アーティストでいうと、チック・コリア、ボブ・ジェームス、ハービー・ハンコックといったジャズ系だけでなく、アース、ウィンド&ファイアあたりも、当時はクロスオーバーとして紹介されていた。その後、ジョージ・ベンソンや渡辺香津美が登場すると、彼らをソフト・アンド・メロウと呼ぶようになり、ま、敢えて言うと、クロスオーバーという言葉から連想されるエキサイティングな雰囲気がジョージ・ベンソンあたりにはあまりなく、けど、新しい流れではあったので、違う言葉でジャンル分けしようとしたのだろう。そういう流れもあり、僕が最初にフュージョンと認識したのは、実はリー・リトナーあたりではないかと思っているが、フュージョンを確立させたのは、実は日本のミュージシャンたちではないのか、とも考えている。

という訳で、まずはレココレのフュージョン・アルバム・ランキングの上位10枚を紹介させて頂く。

フュージョン(洋楽)
1位・・・ヘッド・ハンターズ/ハービー・ハンコック
2位・・・リターン・トゥー・フォーエバー/チック・コリア
3位・・・ブリージン/ジョージ・ベンソン
4位・・・ヘビー・ウェザー/ウェザー・リポート
5位・・・イン・ア・サイレント・ウェイ/マイルス・デイビス
6位・・・スタッフ!!/スタッフ
7位・・・ジャコ・パストリアスの世界/ジャコ・パストリアス
8位・・・ビッチェズ・ブリュー/マイルス・デイビス
9位・・・ナイト・バーズ/シャカタク
10位・・・オン・ザ・コーナー/マイルス・デイビス

フュージョン(邦楽)
1位・・・ススト/菊地雅章
2位・・・KYLYN/渡辺香津美
3位・・・ネイティブ・サン/ネイティブ・サン
4位・・・シティ・コネクション/日野皓正
5位・・・カリフォルニア・シャワー/渡辺貞夫
6位・・・ミント・ジャムス/カシオペア
7位・・・オン・ザ・ムーブ/深町純
8位・・・プリズム/プリズム
9位・・・SEYCHELLES/高中正義
10位・・・JOLY JIVE/高中正義

能書きたれるより、こういうのを見て頂く方が、ずっと話が早い(笑) 稚拙ながら僕が感じている事を分かって頂けたかと(笑) 10位までのランキング、洋楽の10枚は、僕的には"クロスオーバー"に分類されるものが大半で、逆に邦楽の10枚は正に"フュージョン"である。

ランキング作成にあたり、1969年~1989年と期間を限定したのは何故か、特に1969年にどういう意味があるのか、というと、この1969年はマイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が発表された記念すべき年らしい。いわゆる、電化マイルスの幕開けとなった重要作であり、言うならばフュージョンはここから始まったのだそうな。ここでのマイルス・デイビスのアプローチがどれだけ衝撃的だったか、というのは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』をはじめ、『ビッチェズ・ブリュー』『オン・ザ・コーナー』と、電化マイルス期の作品が10位内に3枚もランクインしている事からも窺える。まさに、新たなジャズいや音楽のスタイルを提示した問題作たちであり、先駆けとなった『イン・ア・サイレント・ウェイ』には、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザビヌル、ジョン・マクラフリン等々、後のジャズ(フュージョン)シーンを牽引していく錚々たるメンバーが参加している事もあり、とにかく、この頃のマイルスは凄かったのだ、というのは間違いないと思う。僕はマイルスはほとんど聴いてないけど(笑)

ウェザー・リポートは、よく聴いてたけど、実はジャコ期のアルバムしか聴いてない、というのに最近気づいた(笑) 曲の良さと構成力そしてスリリングなアンサンブルがウェザー・リポートの魅力と思っているので、4位に入った『ヘビー・ウェザー』は正に代表作と言えるし、確かに名盤である。でも、フュージョンとは違うなぁ。ジョージ・ベンソンやスタッフは、確かにフュージョン的かも。シャカタクが10位内にランクインしたのは、はっきり言って無茶苦茶意外。ま、総じて、フュージョンというよりクロスオーバーでしょ、って感じの顔ぶれと言えるかな。

前述したが、僕はフュージョンというと日本の方が印象深い。マイルスをはじめとするジャズ・ミュージシャンたちがクロスオーバー化していた頃、日本ではどんな動きだったのか、実は何も知らない(爆) ただ、フュージョンなんて呼び名もない頃、サディスティック・ミカ・バンドの1975年作『HOT! MENU』では、フュージョン的アプローチのインストが聴けるし、四人囃子の1976年作『ゴールデン・ピクニックス』には、正にフュージョンとか言いようのない「レディ・バイオレッタ」が収録されていたりなんかして、海外のクロスオーバー化の影響は、日本のミュージシャンにも及んでいたと思われる。そして、渡辺香津美や高中正義が台頭し、ネイティブ・サン、渡辺貞夫、日野皓正といったベテランがCM絡みとはいえヒットを出す事で、フュージョンは呼び名も音楽スタイルもすっかり定着した。1979年から1980年にかけてのことと記憶しているが、このころ流行った"フュージョン"は、実は日本特有のものだったのではないか、とひそかに僕は思っている。

いや、それにしても、あの頃のフージョン・ブームは凄かった。猫も杓子もフュージョンって感じだったなぁ。ジャズ畑の人たちだけでなく、森園勝敏とか山岸潤史とか竹田和夫とかのロック系もフュージョンに参入してた。高中正義だって元々はロックの人だ。また、そういった、すでに実績のあった人たちだけでなく、カシオペアやスクェアのように、最初からフュージョンとしてデビューする人たちも現れ、そういう様々な出自の人たちが、それぞれの主張を盛り込んだフュージョンをやる事で、シーンが活性化し、聴き手の裾野を広げ、日本のフュージョンを盛り上げていたのだ。今思うと、なんか、この頃は楽しかった気がする(笑) 個人的には渡辺香津美をよく聴いてたけど、FMで何回か耳にした佐藤允彦とメディカル・シュガー・バンクも気になるバンドだったな。あと、本多俊之も一時期聴いてた。

フュージョン・ブームの2年くらい前、渋谷陽一が『ヤング・ジョッキー』でスティーリー・ダンの『Aja』の曲をかけた時、日本人はブルースやハードロックより、この手の音楽をやる方が向いているのではないか、という発言をしていたのを覚えている。さすが渋谷陽一、やっぱりこの人は慧眼だ。その後、日本のミュージシャンたちは、海外の影響を受けつつも、日本ならではのフュージョンを作り上げてしまうのである。正に、模倣の中からオリジナルを生み出す日本人の面目躍如。クロスオーバーの概念や精神はそのまま踏襲して、さらに新たな魅力を追加した親しみやすい音楽、それがフュージョンだった。曲もわかりやすくメロディックで、いろいろな要素を取り込んだ演奏も刺激的、強靭でしなやかなグルーブを叩き出すリズム・セクション、流麗にメロディを奏でるギターやシンセ、曲も演奏もスタイリッシュでカッコよく、けど決して小難しくはなく、さりげなく高度なテクニックもひけらかしたりするなんかする(笑)、そんな日本のフュージョンは海外でも勝負出来る日本発信の文化、いわばクール・ジャパンだったのだ。インストだから言葉の壁もないし(笑) 実際、当時もカシオペアとかは海外進出もしていた。レココレによると、当時も今も海外のクラブでは日本のフュージョンは結構人気らしい。ここ数年海外で人気だというシティ・ポップにも通じるな。

ただ、そんな一大ムーブメントだったフュージョンも、80年代半ばあたりから、勢いを失ったような気がする。いや、フュージョン人気が衰えたというのではなく、最初の頃の刺激が薄れたのではないか、と僕は思う。僕自身も70年代から80年代にかけての頃、フュージョンにハマって、聴くだけでなく、ドラムを始めた頃だったので、必死でマネしたりしていたけど、徐々に興味を失っていった。早い話、飽きたのかも(笑) ま、衝撃的に登場し、一大ムーブメントとなった音楽ジャンルであればあるほど、注目されて売れて確固たる地位を築き、フォロワーや参入者が増えてくると、スタート時の精神はどこへやら、次第にスタイルの模倣と焼き直しにすぎなくなり、次第に形骸化して廃れていく。これはポピュラー音楽の常で、モダン・ジャズもビーバップもロックンロールもプログレもパンクもみんなそう。フュージョンも例外ではない。今回のレココレで、とあるライターが昔書いたフュージョン批判がネタにされているが、ちょっと長いが引用すると

ツルツルに磨き上げられたアルト・サックス、型通りのチョッパー・ベース、個性のないギター、空間をべったりと埋め尽くす均質的なデジタル・シンセサイザー。陰影というものがまるでなく、耳当たりの良さだけを注意して作られたようなのっぺりした楽器の音色と録音。決定的に思えるのは、すべてが計算づくで、ディテールまでプログラムされたように型通り演奏が進行していくスリルのなさだ。ソロは奏でられるが、そのすべては決められたように空虚で、人間臭さが欠如しているように聞こえる。」 

まぁ、言いたい事はよく分かる。ここで俎上に載せられた音楽こそが、正に形骸化したフュージョンなんである。こういうフュージョンの形骸化は、80年代半ば頃には始まっていたと思う。前述の文章は、すばりTスクエアを槍玉に上げているのだが、実は僕もスクエアのあのF1のテーマがどうも好きではなく、フュージョンもつまらなくなった、と当時感じていたくらいで、やはりこの頃すでに、大半のフュージョンはただのBGMになっていたのだ。思い起こしてみると、フュージョン・プームを作ったベテランたちは、早々と新たなスタイルを模索していたし、誰もが認める第一人者の渡辺香津美も、『TO CHI KA』を最後に、フュージョンとは別次元の世界に向かっていた。80年代半ばには、フュージョンは終わっていたのである。

その後主要なミュージシャンの顔ぶれも変わり、1991年にマイルス・デイビスが亡くなったのも影響したのか、、ジャズやクロスオーバー(この言葉も90年代には完全に死後になってた気がする)はかつてのように刺激的な音楽ではなくなった。もちろんフュージョンなんて、名前も音楽もどこかへ行ってしまった。全盛期の盛り上がりぶりからすると、嘘のようにアッと言う間にフュージョンは消えてしまったのだ。実に残念なことではある。でも、僕自身は90年代以降のフュージョンの動向(特に日本)には、冷たいようだが全く興味がなく、何も知らなかったけど、その路線をずっと追求してた人たちはいたのだろう。そういえば、2003年か4年頃、テレビで偶然現代(当時)のフュージョン・バンドのライブを見た事がある。敢えてフュージョンを標榜していると語った彼らがやってたのは、正に往年のフュージョンであり、21世紀にかつて世間を席巻したフュージョンを現代風に再現していた。不勉強ながら、ドラムの沼澤尚以外は知らない人ばかりだったけど、こういう人たちがいるのなら、頑張って欲しいものだ、と当時思ったけど、その後彼らはどうしているのだろう?

という訳で、レココレ見てたら買ってしまいました(笑)



前述のとおり、レココレ・フュージョン・ランキング洋楽部門で堂々の一位である。意外なような当然のような、不思議な感覚もあり、聴いてみたくなって買ってしまった。なかなかにすごい作品である。

以前にも書いたと思うが、ジャズ系の中でも、ハービー・ハンコックという人は、我々ロック側からしても名前を知られている人だ。やはり、その活動が多彩だからだろう。僕がその名を知ったのは、ハービー・ハンコックが映画音楽を結構手掛けていたからだ。クロスオーバーという言葉が登場する前後から、彼はサウンドトラックに於いては、ジャズともロックともファンクともつかない、正にクロスオーバーとしか言いようのない音楽を作っていた。また、ロック・ミュージシャンとの交流も多く、セッション参加も多い。80年代になってからは、ヒップポップの台頭とMTVの流行の両方に目配りした「ロックイット」を発表したりもしてた。

そのハンコックの代表作にして問題作『ヘッド・ハンターズ』なのである。レココレの解説にもある通り、とにかくやってる事はひたすらファンク。同じリズム・パターンやベースのリフが延々と繰り返され、それに鍵盤やホーンの音がコーティングされる、といった感じで曲は進行する。が、意外と退屈ではない。同じパターンが繰り返されるのは確かだけど、コーティングされる音がバラエティ豊富で、これはこれで慣れてくると結構楽しい。クセになる(笑) エレピの音やフレーズが、ジェフ・ベックの『Blow By Blow』を連想させたりもなんかして、やはりそれなりに影響されていた(していた)のかな、なんて思わせる。今聴いても刺激的なアルバムではないかな。

続いて、



渡辺香津美が日本のフュージョン界いやポピュラー音楽界を代表するギタリストである事に異論はないだろう。その渡辺香津美だが、今年の2月自宅で倒れ、現在も治療中らしい。聞くところによると、病名は脳幹出血というらしく、それだけでも実に危険な状態なのでは、と非常に心配になるが、何とか克服してまた元気でギターを弾く姿を見せて欲しい、と痛切に願うものである。

その渡辺香津美は、天才少年として有名で十代でレコード・デビューした。最初のリーダー・アルバムを出したのは17歳の時で、そのころは比較的オーソドックスなジャズをやっていたらしいが、1977年、渡辺香津美24歳の時に発表した本作で、一躍クロスオーバーの騎手として、一般にも名前が知れ渡るようになる。実は、恥を忍んで告白するが(笑)、僕は昔渡辺香津美をよく聴いてて、フュージョンが好きなのではなく、実は渡辺香津美が好きなのではないか、と思ったりもするのだが、にもかかわらず、実はこの『Olive's Step』は今まで聴いていなかった(恥)。もちろん、当時から知ってたんだけど、どういう訳か聴いてなかったのだ。すいません(誰に謝ってるのか。笑)

この『Olive's Step』、当時は"ソフト・アンド・メロウ"という言葉で紹介されていたように思う。ここで展開される音楽は、正に後の"フュージョン"なのだが、1977年当時はフュージョンという言葉もなく、でもクロスオーバーではない、という事で、ソフト・アンド・メロウと呼ばれたのであろう、と僕は思っている。言うならば、日本初の本格的フュージョン・アルバムなのである。

という訳で、フュージョンである。スタイリッシュな曲構成といい、流麗なメロディといい、ファンキーなバッキングといい(Keyはクラビネットを多用してるのがポイント高い)、正にフュージョンである。これ以前の渡辺香津美を聴いた事ないのでよくわからないが、突然変異的にこの路線になったのか、それとも何か兆候はあったのか、非常に興味深いとこだが、1977年という時代を考えると、本作こそフュージョンのプロトタイプという気がする。やっぱり凄い人だ。LPでいうA面とB面とで、曲調はあまり変わらないけど、ミュージシャンが違っていて、つのだひろ・坂本龍一・後藤次利が参加したA面はかなりロック的。いつものライブのメンバーとレコーデングしたB面の方が広い意味でフュージョンっぽい。どちらも素晴らしいけど。

てな訳で、この『Olive's Step』日本のフュージョン黎明期の名盤というか、フュージョンはここから始まったと言っていい重要作である。前日のレココレのランキングでは42位で、まぁ意外と低い(笑) 渡辺香津美はこのフュージョンベスト100に5枚ランクインされてて、2位の『KYLYN』はもちろん、11位になった『TO CHI KA』も、個人的には忘れえぬ名盤であり、高校生の頃何度聴いたか分からないが、僕からすると、フュージョンは突き詰めていくとこの2作なのではないか、と思ってしまうくらいのアルバムであり、やっぱり渡辺香津美は凄い人なのである。この時期、早くも「フュージョン後」を見据えた創作活動をしていたのも凄い。

早く元気になって下さい^^

これだけ書いたのに、まだ書き足りない気がする(爆) 続きはまた今度(いねーよ)
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Smoky

2024年03月10日 22時42分32秒 | 音楽ネタ
唐突だが、海外だけでなく、日本にも素晴らしいミュージシャンは大勢いる。ギタリストで言うなら、ジャズ・フュージョン系の渡辺香津美、セッション・ミュージシャンとして名を馳せた松原正樹や今剛、といったところが、すぐ名前が挙がってくる人たちと思うが、ロック系で言えば、なんといってもチャーこと竹中尚人だろう。この人こそ、日本のロック・ギタリストではNo.1だと僕は思っている。

皆さんご存知の通り、チャーは1976年にソロ・ミュージシャンとしてデビューした。それ以前から天才少年と騒がれ、注目されていたそうで、正に満を持してデビューとなった訳だ。この当時、日本のロックは非常に刺激的ではあったと思うが、FMやテレビで紹介される事が少なく、実際の音に接する機会が少なかった。が、チャーはさすがにレコード会社の力の入れようも違ったとみえて、割とFMでかかってたので、「Smoky」「空模様のかげんが悪くなる前に」といった曲は知ってた。もしかすると、テレビでも見たかもしれない。この1stに関しては、今や代表曲と言ってもいい「Smoky」や「Shinin' You Shinin' Day」に顕著なように、ロックではあるが、いわゆるハード・ロックとは違う、ちょっと都会的な雰囲気も漂わせたロックといった感じ。当時は気づかなかったけど(笑) 

デビュー翌年の1977年(だと思う)、驚くべきことに、当時の文部省主催によるロック・コンサートが開催され、チャーも出演していた。確か、その頃の文部大臣がロック好きで、このコンサートの開催が決まったらしい。当時も今も、省庁主催でこういった大衆演芸的な演目の興行を行うなんて聞いたことないし(歌舞伎とかは別として)、大臣がロック好きだからといって、文部省主催のロック・コンサートを開催しなくても別に構わないのだが(笑)、とにかく、そういうイベントが開催されたのである。確か、ポップスの部とロックの部に分かれていて、出演者ではっきりと覚えてるのは、ポップスがハイ・ファイ・セット、大橋純子&美乃屋セントラル・ステイション、ロックの部がチャー、クリエイション、カルメン・マキ&OZ、といったところ。ハイ・ファイ・セットや大橋純子は当時売り出し中、ロック部門も某ML誌の人気投票の上位に並ぶ人気者ばかりで、正に旬な顔ぶれであったのだ。考えてみたら、よく集めたよな(笑) このコンサートはテレビでも放送され、僕もそこで動くチャーを初めて見た気がする。いや、チャーだけでなく、クリエイションもOZも初めてだった。実に貴重な体験だったのだ(笑)

そこで見たチャーは実にカッコ良かった。いや、他の人たちも皆良かったけどね(笑) チャーは、演奏を始める前に、ウォーミングアップ風にバンドで音を出しながら、例の、ジェフ・ベックが『ライブ・ワイヤー』でやってた、車のクラクションみたいな音をギターでマネする、というのをやってもんで、ちょっと笑えた(笑)

チャーを初めて生で見たのは、1996年11月15日場所は日本武道館、チャーのデビュー20周年記念コンサートである。友人に誘われて行ったのだが、これが実に素晴らしかった。「Smoky」をオープニングに、初期の曲を中心にした前半が特に盛り上がってたな。バックのメンバーも腕達者揃いで、グレード高い演奏が聴けた。ギターだけでなくボーカルもやってるのに、サポートのギタリストなしで最後までこなしたのも凄い。やぁほんと、凄い人である事を改めて実感した(遅いけど)。

実は、もう一回、生でチャーを見ている。2002年5月2日渋谷公会堂、四人囃子と再結成のスモーキー・メディスソとのジョイント・ライブだった。スモーキー・メディスソは、オリジナル・メンバーが全員揃わなかったので、メディスンじゃなくてメディスソになってた(笑) その時は、金子マリが中心のバンドだったこともあり、チャーは一歩引いた感じだったけど、でもさすがに的確なバッキングを披露していた。やはり凄い人だ。

チャーが凄いのは、そのプレイがいつも高水準である、というところだ。プロだから当然でしょ、なんて言われそうだが、色々聴いてると、どんなに上手い人でも、常に最高の演奏が出来る訳ではなく、日によってはブレイの出来に差があったりするのは仕方ないところで、ま、プロとはいえ人間がやる事でもあるし、それはそれである程度仕方ない、と僕は思っているが、チャーの場合は、プレイの水準が常に高い、つまり、いつ聴いても素晴らしいブレイをするのである。良いプレイをする確率が高い、と言ってもいいかも。ま、チャーのライブは全部追っかけてる、という人から見れば、出来の悪い時もしょっちゅうだよ、なんて言われるかもしれないが、それでも、この人は当たり外れがほとんどない、と思えるのだ。いつ聴いても凄いブレイをする。有名な人なんだけど、たまにテレビで見てたりすると、良い時もあれば悪い時もある、というのを何回か見てるが、チャーにはそれがない。加えて、どんな曲でも実に的確なブレイをする。随分前だけど、テレビ番組でKinki Kidsと共演してて、「硝子の少年」を演奏したのだが、原曲にはないギターソロをチャーが弾いていたのが、これがまた素晴らしいプレイだったのである。やっばり凄い人だな、と思ったね(何度目だよ)

という訳で、なぜか近頃チャー関連を買って聴いてたりするのである。



チャーはデビュー後、一時期歌謡曲路線に走ったが(この頃が実は一番有名かも。笑)、それを脱すると、ルイズ・ルイス加部(Bs)とジョニー吉長(Ds)と組んでロックトリオ、ジョニー、ルイス&チャーを結成した。確か、結成は1978年のことで、歌謡路線のすぐ後だ(笑) 何年かしてからピンク・クラウドと改名し、1993年まで活動した。そのピンク・クラウドの1990年発表の通算13枚目のアルバムが、この『Index』である。

ピンク・クラウドの他のアルバムは未聴だが、本作はシンプルなリフと構成によるオーソドックスなハード・ロック・アルバムだ。なんで本作だけ聴いてるのかというと、当時たまたま買ったチャーの江戸屋レコードでのベスト盤に、本作収録の「Drive Me Nuts」が収録されていて、その曲に大変な衝撃を受けたからだ。チャーはギタリスト、ボーカリストとしてだけではなく、ソングライターとしても有能な人であるが、正直言ってしまうと、リフやコードはカッコいいけど、それほどキャッチーな売れ筋メロディを書く人ではない。聴いた事あるようなのもあるし(笑) このベスト盤(『Days Went By 1988-1993』)の収録曲もそういうタイプの曲が多く、万人にウケるタイプではないと思うのだが、この「Drive Me Nuts」は、そこを突き抜けていた。で、その「Drive Me Nuts」が入ってるアルバムを聴いてみたくなり『Index』をレンタルしてきたという訳なんである。

ま、とにかく、傑作と呼ぶべきアルバムだ。前述した通り、キャッチーでシンプルなリフが印象的な、いわゆる硬派なロック曲が大半を占めているが、アコギをフューチーャーしたインストやブルース・マナーの曲もあり、ほんと、オーソドックスなロックを堪能出来るアルバムだ。で、その頂点に燦然とそびえ立つのが「Drive Me Nuts」なのである。いや、ほんと、初めて聴いてから30年近くが経過しているが、今だにこの曲を聴くと鳥肌が立つ。そのカッコ良さには当時も今も言葉がない。

ピンク・クラウドのメンバーのうち、チャー以外は鬼籍に入っている。時の流れは非常だが、本作の価値が色褪せる事はない。

続いては



ピンク・クラウド解散後にチャーが結成したサイケデリックスの2作目。1994年発表。当時、本作の「Rowdy Boys」がシェーバーだかシェービング・クリームだかのCMで流れていて、興味を持ってレンタルで聴いてみた。余談だが、チャーというかサイケデリックスは意外とCMで流れていて、前作の曲も、とあるCMで流れていた。面接を受けに来た女性が、面接官に「自分がキレイだと思ってるんでしょ」とか言われて、「思ってます。私、脱いでも凄いんです」って言うCMだ。覚えてる人もおられるのでは(笑)

ま、そのCM曲につられて聴いてみた訳だが、このアルバム、実に素晴らしい。名盤である。基本的には、ピンク・クラウドと同じ、オーソドックスなスタイルのロックであるが、ピンク・クラウドより曲調の幅が広がり、バラエティに富んだ印象(あくまでもロックというフォーマットの中で、という事だけど^^;)。得意のセブンス・コードを交えてジミヘン風に迫る、その名も「Hey Jimi」、泣きのメロディとギターの「Cry Like A Baby」「Lady (Don't Fade Away)」、ストレートに迫る「In Your Eyes」といった曲たちに混じって、ラストを飾る「Missing You」がこれまた名曲なのである。メロディ展開といい感動的なエンディングといい、とにかく素晴らしい。チャーにとっても会心の一曲だったのではなかろうか。

本作の収録曲は、今までのチャーの作風と同じ、カッコいいリフを元に構成されている曲が多いが、今までと違うのは、案外キャッチーなメロディを持つ曲が多いこと。CMの「Rowdy Boys」にせよ「Come And Go」にせよ「Livin' In Tokyo」にせよラストの「Missing You」にせよ、歌メロが分かりやすくてキャッチーである。そこいらが本作を名盤たらしめているのだ。

ほんと、チャーって、ロックの人なんだな、と『Index』と『Psychedlix Ⅱ』の2枚を続けて聴いてみて、改めて思う。他のスタイルも十分こなせるのに、ひたすらロック一筋というのが、実にカッコいい。

ところで、サイケデリックスといえば、こんなのもあった。


1996年に出た、サイケデリックス名義の5曲入りミニ・アルバム。タイトルは『Smoky』。1996年と言えば、前述の通り、チャーは武道館で20周年記念コンサートを行ったのだが、その時のドラマー、ジム・コプリーとのレコーディングで、この時点でのサイケデリックスのメンバーはチャーとジム・コプリーの2人になっている。ギター、ボーカルはもちろん、キーボードやベースも、ほとんどチャーが演奏しているが、気のせいか、ミックスもボーカル・ギター・ドラムがやたら目立つ。ちなみに、前述の『Psychedelix Ⅱ』のドラムも、ジム・コプリーだ。この人、ポール・ロジャースと一緒にやってた事もある。確かに、いいドラマーだ。

この『Smoky』というミニ・アルバム、タイトルはもちろん、あの曲だ。その「Smoky」のリメイク以外は、チャーとジム・コプリーによる新曲。例によって、カッコいいけど、なんか聴いた事ある感じの曲(笑) でも良い。相変わらずオーソドックスなロック。相変わらず英語だし。やはりブレる事はない。

最後に。

友人に音楽業界に身を置いてる人がいて、彼はイベントの手伝いというか裏方というか、そういう仕事もよくやってたらしい。で、ある時、チャーが出演するイベントの仕事をしたそうな。で、無事、イベントも終わり、打ち上げの会場で彼ら裏方さんたちは、皆さんが集まるのを待っていた。とそこへチャーが現れ、「みんなお疲れさん。飲んでよ」とビール瓶の栓を抜き始めたので、慌てて「まだ誰も来てませんから」と言ったら、チャーが「何言ってんだ、今日のイベントが成功したのは、裏方をやってくれたお前らのおかげなんだ。だから、お前らが最初に飲む権利があるんだよ」と言ってくれたらしい。感激した、とその友人は言ってた。このエピソードでも窺えるが、チャーという人は本当に侠気のあるロッカーなのだ。正にナイス・ガイである。
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バンド・オン・ザ・ランも50年

2024年02月18日 10時59分13秒 | 音楽ネタ

皆さんご存知の通り、ポール・マッカートニー&ウィングスの1973年の名盤『バンド・オン・ザ・ラン』の50周年記念エディションが発売されている。『バンド・オン・ザ・ラン』と言えば、2010年頃にデラックス・エディションが出ていたはずで、確かポール・マッカートニーのアーカイブ・シリーズの第一弾ではなかったかと思うのだが、今回は50周年記念エディションなんである。前回のデラックス・エディションとの違いは何か、というと、デラックス版は、イギリス・オリジナル盤を基準にリマスター等されているが、50周年版はアメリカ盤を基準にしている、という点や、デラックス版にはプロモビデオや当時のテレビ出演の映像が収録されてDVDが含まれているが、50周年版はDVD等はないものの、オーケストラなどをダビングする前のバージョンを収録したCDが目玉となっている、等々らしい。ま、さほど熱心なファンではない僕からすると、別にどうでもいいって感じ(笑) 今さらではあるが、デラックス版DVDのテレビ番組用の映像(この時点で未発表だったらしい)には、非常に興味あるけどね。

とはいえ、歴史的名盤である『バンド・オン・ザ・ラン』である。2010年も今回も、それなりに話題になっていないはずがなく、前回のデラックス版の時も、レコード・コレクターズで特集してたはず(特集しない訳がない)と、探してみたらありました。↑の写真の左が2010年12月号、右が最新号である。なんか、最新号の方がそれらしい表紙だな(笑) ついでに言うと、当ブログでもネタにした(爆) こちらです。よろしければどうぞ(笑)

くどいようだが、歴史的名盤の『バンド・オン・ザ・ラン』であり、自分にとっても、想い出の名盤であり、もちろん、ポールの代表作と言ってもいいアルバムだ。今と昔で、それほど評価が変わるタイプのアルバムとは思えない。実際、レココレは2010年と今回と、どちらも特集を組んでいるが、内容はほぼ同じと言っていい(笑) 『バンド・オン・ザ・ラン』が出た頃の音楽界(ロック界)や元ビートルたちを取り巻く状況、制作に至るまでのポールの動向、等々の記述に違いはほとんどないし、何故かレコーディング場所をナイジェリアのラゴスに決めたいきさつとか、そのラゴス出発の前日にメンバー2人が脱退したとか、到着してみたらスタジオはまだ建築中でろくな機材もなかったとか、フェラ・クティからアフリカの音楽を盗みに来たとあらぬ疑いをかけられて一触即発とか、ボールとリンダが強盗に襲われて金とデモテープを持ち去られたとか、ジンジャー・ベイカーのスタジオがラゴスにあったので行き掛かり上そちらも使わざるを得なかったとか、といった有名なエピソードついても変わりなし。

ただ、例のローリング・ストーンの名盤500選では、確実に人気を落としていて、2003年版では418位にランクインしているが、2020年改訂版ではランクインしていない。ま、ロック・ファンだって世代交代しているから、50年も前のアルバムが今でも高い支持を得られる訳ではないと思うので、仕方ないことだろう。僕自身の評価はずっと変わらないけど(笑)

というのもあり、久々に聴いてみた『バンド・オン・ザ・ラン』やはり素晴らしい。で、この際なんで、軽く全曲ガイドなぞ(爆)

A-1. Band On The Run/バンド・オン・ザ・ラン
異なる3曲を繋げて1曲にした曲で、こういうのホールの得意技、という記述は2010年も今回もある。が、僕はずっと、Aメロ→Bメロ→サビ、みたいな感じて聴いてて、メドレーみたいに捉えた事はない。歌い出しから曲調が変わる曲なんて、たくさんあるしね。こういう風に無理なく曲の展開を変えていく、という点に於いては、ポールは凄いと思う。個人的には、♪If I ever get out here~、の部分が好き。シンセのフレーズもいい。出だしのギターとエレピの絡みもたまらん。

A-2. Jet/ジェット
タイトルは犬だか馬だかの名前らしいが、そんなのはどうでもいい。とにかくカッコ良い曲だ。イントロのインパクト、ジェットのコーラスの掴み、♪Ah mater~から本編に戻る展開、簡単そうだけどカッコいい間奏のシンセのソロ、どこを取っても完璧な無駄のない良く出来たポップソングである。あの頃のポールは、こんな曲を連発していたような...ほんと凄かった、あの頃は(爆)

A-3. Bluebird/ブルーバード
個人的には、本作で一番好きな曲であり且つ名曲である。淡々とした感じなんだけど、きっとコード進行は斬新なんだろうね、知らんけど(笑)  パーカッションの使い方がセンスがあって良い。

A-4. Mrs Vandebilt/ミセス・バンデビルト
歌い出しのメロディが1回しか登場しない、とレココレで言われて初めて気づいた(笑) 確かに言われてみればそうだな。ただ、ポールってこういう曲多い気がする。「あの娘におせっかい」だって、最初のメロディはちょっとしか出てこないし。と、それはさておき、この曲も好きだ。同じフレーズを繰り返しているようでも、歌だったり楽器だったり変化をつけてて楽しい。♪ホ、ヘイホ、と一緒に歌ったもんです(爆)

A-5. Let Me Roll It/レット・ミー・ロール・イット
最初に聴いた時は、この曲の印象が強烈だった。あのリフに導かれて進行していくが、サビの盛り上がりはあるものの、あくまてもクールに進んでいくのが、実にカッコ良く感じられた。若い頃、バンドでコピーした事があるが、この手の曲は難しい。

B-1. Mamunia/マムーニア
ずっと人(女性)の名前と思ってたけど、実はアラビア語で”避難所”とかいう意味らしい。アコギのイントロから歌に至るまで、とても品の良いナンバー。マムーニア、マムーニアのリフレインが心地よい。隠れた名曲だ。

B-2. No Words/ノー・ワーズ
本作唯一のデニー・レインとポールの共作。「マムーニア」もだけど、こういうアルバム中の目立たない曲がさりげなく名曲だったりするのが、この頃のポールの凄いとこで、この曲もイントロから歌に入るところとか、実に素晴らしい。

B-3. Picasso's Last Words (Drink To Me)/ピカソの遺言
実は重要曲らしいが、個人的にはさほど重要視してなかった(笑) さすがに飛ばしたりはしなかったけど(笑) 「ジェット」や「ミセス・バンデビルト」のフレーズを挿入してくるあたりはプログレッシブだ。

B-4. Nineteen Hundred And Eighty Five/西暦1985年
正直言うと「ピカソの遺言」よりこっちの方がずっと重要だ(笑) 個人的には、タイトル曲以上にこの曲が本作のハイライトである。ピアノのイントロからして不穏な雰囲気で、その雰囲気は最後まで変わらない。僕自身は、この曲の方にラゴスの影を感じるけど、どうなんでしょう?(笑) ピアノ→歌で進行する構成もいいし、後半のオーケストラを交えた混沌とした演奏もいい。いつ聴いても鳥肌モノのエンディングだ。歌ってるのはデニー・レインだと長年思ってたけど、実はポールらしい(恥)不朽の名盤のラストを飾るにふさわしい名曲。いや、この曲で終わるから『バンド・オン・ザ・ラン』は名盤なのかも^^;

あくまでも個人的見解ですが、「愛しのヘレン」は『バンド・オン・ザ・ラン』にはなくてもいいと思われます(笑)

そんな訳で、やっぱり『バンド・オン・ザ・ラン』は名盤である、と改めて強く思った次第。ちなみに、MFCオーナーの私的歴代最高のアルバム500選に於いては、『バンド・オン・ザ・ラン』は122位です(だから?)。

ビートルズ解散から現在に至るまでの、ポール・マッカートニーのキャリアに於いて、ウィングス時代、アルバムで言うと『ワイルド・ライフ』から『バック・トゥー・ジ・エッグ』まで、期間としては1971年から1981年までのほぼ10年、やはりこの10年はポールにとって別格なのではなかろうか。とにかく、この時期のポール(ウィングス)の作品は、本当に素晴らしい。50年近くを経過しているにもかかわらず、決して古びる事のない曲たち、こういうのを真のエバーグリーンというのである。あの頃、ウィングスを率いてポールはビートルズ以来の全米ツアーを行い、30回の公演で60万人を動員したそうで、あまりの勢いに、ウィングスはビートルズを超えた、なんて言われたりもしてたけど、本当にあの頃のポール・マッカートニー(ウィングス)は光り輝いていたと思う。何度も言ってるけど^^; そんな時期の作品たちが悪かろうはずがない。その頂点に立つのが『バンド・オン・ザ・ラン』なのである。これからもずっと。なんだかんだで、やっぱりポールは凄い人なのだ。

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ミック・ジャガーに微笑みを

2024年01月28日 13時39分48秒 | 音楽ネタ

これを読んでいる皆さんの中にも、いわゆる時間貸し駐車場を利用される人は多いと思う。僕もしょっちゅう利用している(公私共に)のだが、謎というか不思議な事がある。利用後、自動精算機で料金を支払う際、僕は領収書が必要なので、金を入れてから領収書発行ボタンを押して領収書を受け取るのだが、領収書出口にその領収書が何枚も溜まっている事がよくある。一回の精算に対して領収書は一枚しか出ないので、自分のではない領収書がたくさんある、つまり金は払っても領収書を持って行かない人が多い、という事なのだが、これが非常に謎で、前述したように、領収書は領収書発行ボタンを押さなければ出てこない、つまり領収書が欲しいから発行ボタンを押す訳で、じゃあ何故、わざわざ領収書を要求しているにも関わらず発行された領収書を持って行かないのか。持って行かないのであれば、発行ボタンを押す行為が実に無駄というか無意味である。なのに何故領収書発行ボタンを押すのか。非常ベルであれ呼び鈴であれ、ボタンを見ると押さずにはいられない、という習性の人がよくいるが、それと同じなのか。

とにかくよく分からん。領収書が何枚も溜まってると、自分のがどれなのか分からなくなるので、発行されたら不要でも持ち帰って貰いたいものだ。

領収書というかレシートと言えば、インボイス制度が導入されてあーちゃらこーちゃら言ってるにも関わらず、会計の際レシートをくれない店は今でも結構多い(バーやスナックは別にいいけど)。個人的には、レシートを出さない店って、脱税してますよ、と公言してるように思えて仕方ないので、会計の内容はともかくレシートは発行して欲しい。非課税事業者だからとかいうのはこっちには関係なくて、レシートがある事こそ明朗会計の証しと思うのだが。

という訳で(どーゆー訳で?)最近買ったCDから。

CRIMSON/中森明菜

以前にも触れたが、中森明菜の通算10作目のオリジナル・アルバム(1986年発表)の、デビュー40周年を記念した復刻盤である。あの問題作『不思議』の次だったので、一体どういう内容になるのか興味津々だったが、アダルトな雰囲気を漂わせるアルバムとなった。後に物議を醸した竹内まりや作詞・作曲の「駅」が収録されているアルバムでもある。

本作での明菜は、声を張らずに囁くような歌い方に徹していて、AOR的な曲調とアレンジの曲が大半を占めている事もあり、非常に落ち着いたムードである。その分、歌詞が聴き取りにくいというのもあって、賛否は分かれてたような。個人的には、こういうのも、それはそれでいいんじゃないの、なんて感じで聴いていた。今改めて聴いても、その印象に変化はなかった。ただ、やはり気になってしまうのは「駅」なんである。

以前にも書いたけど、本作収録の「駅」を聴いて、作者の竹内まりやの夫である山下達郎が激怒した、という話がある。解釈がひどすぎるという訳だ。達郎は竹内まりや自身の歌でこの曲を発表するように働きかけ、その際はアレンジもやらせてくれ、と頼んだそうな。もちろん、明菜版「駅」に相当な不満があった故である。このことは、竹内まりやのベスト盤のライナーに、達郎自身が書いているらしいので、単なる噂話ではないのだろう。ま、その辺については、好みや感覚の問題でもあり、僕としてはどちらの肩も持つつもりはないのだが、『CRIMSON』に於ける「駅」はちょっと浮いてるように思う。

前述した通り、『CRIMSON』は都会的でアダルトな雰囲気のアルバムだ。制作時のコンセプトが、若い(=当時の明菜と同世代)女性それも都会に住む独身の女性の支持を得る、という事だったらしく、作詞も作曲も全て女性ライターで固め、作曲に関しては全10曲中竹内まりやと小林明子が5曲づつ、編曲は女性ではないが(竹内作品は椎名和夫、小林作品は鷺巣詩郎)、ブックレットの写真と相俟って、コンセプト自体は成功してると思う。けど「駅」はちょっと違う雰囲気だ。決して明るい曲調ではない上に、明菜の囁くような歌い方が「駅」に関しては逆効果で、他の収録曲以上にくぐもったような感じで歌詞が分からない。アレンジも「駅」だけは歌謡曲調になってしまい、コンセプトにそぐわない感じ。これは「駅」が悪いのではなく、「駅」を『CRIMSON』に収録してしまったのが失敗だったのではなかろうか。この曲だけアルバムから外し、歌い方を変えてシングルとして発表した方が良かったような気がする。

聞くところによると、「駅」の竹内まりやによるデモが完璧な出来映えで、明菜は一体どうしたらいいのか、と困ってしまったらしい。だからと言って、あれはないよな。山下達郎の肩を持つつもりはないが(笑)

と、そこを除けば良いアルバムである。実は、本作の竹内まりや提供の5曲のうち、「駅」以外にも一曲やや浮いてる曲があって、それがラストを飾る「ミック・ジャガーに微笑みを」で、タイトルからも想像出来る通り、ロックンロール風の作品で、アルバムのコンセプトとは合わない感じなのだが、ちょっと手を加える事で、無理なくアルバムにはまるようになった。何をしたかというと、女性(明菜か)が部屋で聞いているラジカセからこの曲が流れてくる、とう設定にした訳だね。これが実に大成功。個人的にも、実はこの「ミック・ジャガーに微笑みを」がベスト・トラック要するに推し曲だったりする。途中に♪フーフーと合いの手(笑)が入るのもいい。歌詞はちと他愛もないんだけど^^;

という訳で、色々問題はあれど、明菜が絶好調だった時期のアルバムであり、なんだかんだで内容は素晴らしいと思う。やっぱりこの頃の明菜はいいな。

続いては、

After Hours/The Weeknd

新しいものは知らない・聞いてない・分からない、の3重苦である僕であるが(笑)、現代のアーティストでも、たまに気になるのもあったりするのだ。最近の洋楽だと、ブルーノ・マースとザ・ウィークエンドあたりかな。

で、ザ・ウィークエンドである。↑のスペルが間違ってるよ、と言われそうだが、これは間違いではなく正式な名前である。WeekendではなくWeekndにしたのは、他と差別化したかったから、らしい。ま、詳しい事は知らないけど、ここ10年くらいアメリカでは大人気のバンドというか、エイベル・テスファイ(1990年生まれというから若い)というカナダ出身のシンガー・ソングライターによるプロジェクトである。僕が何故このザ・ウィークエンドを知ってるのかというと、2020年に全米No.1となった「Blinding Lights」をFMで偶然聞いたからだ。一度や二度ではなく、それこそヘビロテ状態で、80’s風というか、ずばり言ってしまうとa-haの「Take On Me」みたいな曲調だったもんで興味を持ち(笑)、他にもFMで何曲か聞いてるうちにCDを買ってしまった、という次第。

で、このCDだが、僕にとっては初めての珍しい仕様になっていて、なんと、ブックレットにアーティスト名はおろか、曲名も作詞作曲やプロデューサー等のクレジットも全く記載されていないのである。従って曲も分からない。知ってるのは「Blinding Lights」だけ。仕方ないので、ネットで曲名と曲順を調べた^^; 全体の印象としては、アップテンポが以外と少なく、静かに展開する曲が多いのだが、曲がしっかりと作られているせいか、退屈することはない。音もほとんどシンセのみ、それも音数が少なくシンプルな作りで、なんかストイックな感じがする。そう、「Blinding Lights」みたいな曲もあるけど、全体的にはストイックな雰囲気のアルバムだ。こういうのって、説教がましいというかスビリチュアル系というか意識高い系というか、そういう方向に走りそうだけど、なかなかのポップセンスのせいか、そっちには向かわずギリギリ踏みとどまってる感じ。ま、とにかく、「Blinding Lights」は良い曲だ(笑) エイベル・テスファイという人、なかなかに才能豊かと見た。

あ、そういや、クイーン+アダム・ランバートの来日公演ドームツアーもそろそろ始まるのかな。行かれる人は是非楽しんできて下さい。僕は行きませんが(笑)

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