つまんなそうな顔してますね~。さては、最近いい娘がいないなぁ、なんて思ってませんか?
うちには、いい娘たくさんいますよ。是非、見て行って下さいよ。どの娘もお薦めですよ。ま、とりあえず写真見て下さい。
ね、なかなかいいでしょ?
どうです、お気に入りの娘はいましたか?
どの娘も、必ずあなたを満足させますよ。よろしかったら、ご指名はこちらで。
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てな感じで、アマゾンにお薦めされているのである。困ったな(爆)
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今回のネタはカードである。といっても、特定の世代には懐かしい「仮面ライダーカード」ではないのであしからず(笑)
カードその1 “キャッシュカード”
誰しもキャッシュカードを持っていると思うが、初めて作ったのは何歳頃だったのだろうか。
僕が初めてキャッシュカードを作ったのは、大学に入った年の秋、20歳になったばかりの頃である(え? 計算が合わないって? いいんです)。キャッシュカードのみならず、銀行に口座を作ったのも、その時が初めてだった。その年の夏休みにバイトで得た給料を元に、口座を作りキャッシュカードを手にしたという訳だ。大人になったような気がした(笑) ちなみに、その時口座を作ったのは第一勧業銀行(以下、第一勧銀)で、今でも使用し続けている。
あまたある銀行の中から、何故第一勧銀にしたのかというと、当時の僕は神奈川・東京・埼玉を行き来していたのだが、その3県では、どの駅で降りても第一勧銀を見かけたからである。もちろん、我が地元茅ヶ崎駅前にもあった。
今にして思うと、当時は銀行のATM(こう呼んではいなかったような気がする)って、使いづらかった。平日の朝9時から夕方5時までしか使えなかったし、他行のATMでは引き出せなかった。ATMといっても、預金を下ろすのと残高照会しか出来ず、振込みや入金は窓口へいってた。同じ第一勧銀でも、口座を作ったのと違う支店で下ろす時は、手数料を取られた。案外不便だったのだ。
確か、大学4年になる頃だと思うけど、ATMも多少進化し、他行でも引き出せるようになった。都市銀とか地方銀とかのグループ内の銀行であれば、手数料はかかるけど、金が下ろせるようになったのだ。ちなみに、第一勧銀は都市銀で、同じグループ内に埼玉・富士・協和・太陽神戸・三菱・東京・拓殖・三井・住友・大和・東海といった銀行がいた。今では、ほとんど存在してないのばかりだけど(笑)
学生の頃はまだ良かったが、就職すると、案外不便なATMに苦労することが多くなった。まず、一応仕事中なので(笑)昼間に金が下ろせない。確か、就職した年あたりから、店舗によってはATMの営業時間が午後6時まで延長になったが、会社の近所には使えるATMがなかったので、街中の駅まで行かねばならなかった。特に、金曜日は定時に退社して、ATMまでよく走ったものだ。土日はATM休みだったから、金曜の、それも6時までに下ろしておかないと、週末金がない、という事になってしまう。実際、JR横浜駅周辺のATMは、金曜の5時過ぎると長蛇の列が出来ていた。金下ろすのに30分待ち、なんてしょっちゅうだった。
また、仕事であちこち行くようになり、行動半径が広がった結果、出かけた先で使えるATMが見当たらない、という事も多くなった。都市銀グループなんだから、日本全国どこへ行っても支店があるだろう、というのが甘かったのだ。ま、せいぜい、政令指定都市の繁華街か駅周辺を除けば、地方へ行くと都市銀なんて意外とないのである。ある時、車で出張に行って、高速道路でガソリンを入れたら現金が残りわずかとなってしまい、このままだと高速代も払えない、という状況となり、仕方なく、すぐ外へ出て、銀行を探した事があったが、都市銀が見当たらなくて焦りに焦ったことがある。ま、その時は、30分くらい街中を走り回って、ようやく都市銀を見つけたのであるが、忘れもしない、それは協和銀行だった。どうでもいい事ですが(笑)
そんなこんなで、社会人になって2~3年経つと、キャッシュカードだけでは心もとなく感じられるようになってきたので、バブル期にクレジットカードを作ったのである。その頃は、休日でも下ろせるATMが増えてきたとはいえ、相変わらず夜間は下ろせなかったしね。それと、ライフスタイルが多少変化したのもある(笑)
就職したばかりの頃は、別に大金使う事はないから、財布に常に10000円くらい入っていれば安心だったけど、仕事にも慣れ、色々な事を覚え始めると、そうもいかなくなってくる(笑) 夜食事したり飲みに行ったりして、いざ支払いとなったら金が足りない、なんて経験もするようになってきた(爆) それで、現金持ってなくても慌てないように、クレジットカードを作ったのだ。こういうクレジットカードというのは、それなりの社会的地位や年収等がないと作れない、とずっと思い込んでいたのだが、申し込んでみたら、あっさりと作ってくれた(爆)バブル期だったからか(違)
バブル期の終わり頃になると、地方銀や信用金庫のATMでも都市銀のキャッシュカードが使えるようになり、クレジットカードの効果もあって、かなり余裕を持って行動出来るようになった(笑) これこそ大人になったという事か(爆) それでも、コンビニで24時間ATMが使えるようになるのは、かなり後のことである。
結論:僕の成長はカードと共にあった(意味不明)
カードその2 “成人識別カード”
スモーカーの皆さん、taspo(タスポ)持ってますかぁ?(笑)
そう、知ってる人は知ってる(関係ない人は、ひたすら関係ない)けど、今年つまり2008年からtaspoがないと、自動販売機でタバコが買えなくなるのである。taspoとは何ぞや、というと、「タバコのための成人識別カード」の事であり、これを持ってない人には、タバコを売ってくれないのだ。それが導入される時期は、地域によって分かれており、3月から先陣を切って、宮崎・鹿児島で導入される。僕が住んでる大阪では6月から導入だ。まだ余裕がある、と思ったら大間違い。僕がよく出張に行く中国・四国・九州地方は、なんと5月から導入なのだ。taspoを持ってないばかりに、出張先でタバコが買えない、という事態になりかねない。ぼちぼち申し込みをしなければならないのだ。
しかし、このtaspoというヤツ、今時珍しく、申込書に必要事項を記入して、郵送しなければならない。ネット上で、申し込み画面にアクセスして送信をクリックすればOK、という訳にはいかないのだ。もちろん、ネットでも申し込みは可能だが、その場合でも、申込用紙をプリントアウトして、書き込んで郵送しなければならない。しかもその上、写真まで貼り付けなければならないのだ。はっきり言って、面倒くさい。こんなことまでせねばならないとは...
と、ここまで書いて、ふと気づいた。taspoが必要なのは自動販売機だけで、タバコ屋やコンビニで買うのなら、別に必要ないのだ。考えてみると、今までもタバコの自動販売機は夜11時になると使えなくなったりして、案外と不便なものだったから、これからは販売機はやめて店で買えばいい。それならtaspoなんていらないな。あー、気分が楽になった(爆)
結論:taspoの導入は、実はタバコ人口を減らそうという、政府の陰謀か?(あまり効果ないみたいです)
カードその3 “イエローカード”
先頃、日本・中国・韓国・北朝鮮の4ヶ国による東アジアサッカー選手権が行なわれ、韓国が優勝し、日本は2位だった。ちなみに、女子は日本優勝だそうな。
で、あちこちで話題になったけど、この大会における中国はひどかった。3試合で、なんと17枚ものイエローカードを喰らったらしい。罰金を課せられるのも当然だ。僕は見てなかったけど、日本戦では日本選手に飛び蹴りする中国GKがいたそうな。なんというか、無茶苦茶。そんなに日本が憎いのか、と思ったけど、よその国の試合でも似たような事してたらしいし、とにかく常識ゼロ。傍若無人。こんな国でオリンピックやっていいのか、なんて声がネットで飛び交うのも無理はあるまい。
ちっとは反省しろ、中国。金持ってりゃいいってもんじゃないぞ(笑)
結論:会社の先輩は、我儘で何でも他人のせいにする人の事を、「あの人は中国の人だから」と言います(意味不明)
先日、偶然見てしまった、とあるテレビ番組。恐ろしいというか、悲しいというか、やりきれないというか、とにかく、あまり見ていて気持ちのいい番組ではなかった。
知ってる人も多いと思う。整形希望の女性をスタジオに連れてきて、形成外科医、歯科医、美容師、メイクアップアーティスト、スタイリスト、といった、いわば美のエキスパートたちが、彼女たちを美しく変身させる番組だ。で、僕が見たのは、そのスペシャルという事で2時間枠だった。見たのは途中からだったけど^^;
番組では、その女性たちの変身前、数ヶ月後の変身後を見せる。その、変身前がなんというか、壮絶だ。失礼ながら、決して美しくはない女性が、この容姿の為にどれだけ周囲から冷たい仕打ちを受け、今までどれだけ悲惨な人生を歩んできたか、涙ながらに告白する。そして彼女たちは訴える。
「せめて普通の顔になって、普通の人生を送りたいんです」
そこで、司会者が「覚悟は出来てますね。変身しようという気持ちに迷いはありませんね。」と問いかけると、彼女たちは「決して後悔しません」と答え、先程の美のエキスパートたちの前に連れて行かれて面談を受ける。エキスパートたちはどういう方法で彼女たちを変身させるかを協議する。
見ている僕は、唖然とするばかりである。確かに、世の中には美人ばかりではない。容姿に恵まれない人もいるだろう。しかし、その容姿のせいで、いじめられ、友達も出来ず、働くことさえ出来ず、いつも下を向いて歩き、孤独な日々を過ごしている人がいるとは...現代でも、こういう事があるなんて思わなかった(ヤラセでなければの話だが...と、つい考えてしまうのも悲しいが)。「せめて普通の顔になりたい」なんてやるせない言葉だろう。
そんな女性たち、とにかく自分を外側から変えたい、人生やり直したい、という思いで、番組に応募してきたのだろうけど、ものすごく勇気のいる事だと思う。スタジオでは、はっきり言って晒し者だ。わざと醜い部分を強調してデフォルメしたのでは、と思わせるVTRをイヤというほど流し、耳を覆いたくなるような体験談をこれでもか、というくらい喋らされる。そして、それをブラウン管を通じて、日本中の人が見ているのだ。消えてしまいたい心境ではないだろうか。実際、見ていた僕の方が、テレビを消したくなってしまった。そんな思いをしてでも、彼女たちは自分を変えたいのだ。
一部の人を除いて、誰しも「もっと美しく生まれたかった」と、内心思っているはずだ。僕だってそうである。けれど、実際に整形してみましょうか、と言われると、多分尻込みすると思う。自分の顔にメスなんて入れたくない。それに、たとえ美しくなったとしても、鏡を見る度に違和感を覚えるだろう。ほんとにオレなのか?なんて。なんだか、精神は変わらないのに、顔だけ変わってしまうと、心のどこかが変調をきたしそうな気がする。変身したい、とは思っていても、いざその時になると、決心がつかない。ほとんどの人がそうではないのか。
かように、整形手術を受ける、というのは勇気のいる事なのだと思う。強靱な意志が必要、とでもいうか。それに、手術を受ける決意をしたとしても、大抵の人はこっそりと病院の門をくぐる、のがせいぜいではないか。テレビに登場して、変身したいんです、なんて晒し者になってまで訴えるなんて出来ないと思う。僕には耐えられない。スタジオから逃げ出してしまうだろう。
こうした試練を耐え抜き、女性たちは手術を受け、さらには髪型・メイクも変えて、変身する。実際、見事と言うほかない。最先端の技術は実に素晴らしい。大げさでなく、顔を作り替えてしまうのだ。全くの別人になってしまう訳ではないが、でも手術前の面影がほとんど残ってない人もいた。現代の技術をもってすれば、顔を変えて別人になる事は、決して不可能ではない。
しかし、こんな事すると、金かかるんだろうな。出演した女性たちは、費用はテレビ局持ちで、手術を受けられるのだろう。当たり前だ。あんな屈辱的な仕打ちに耐えているのである。逆に言えば、それだけの見返りがあるから、晒し者になるのも耐えられた、という事なのだろうか。
変身した女性たちは、見違えるような姿をスタジオで披露する。ゲストの芸能人たちも感嘆している。もちろん、全ての女性が美しくなる訳ではない。が、初めに吐露した、「せめて普通の顔になりたい」というのは、完全にクリアしている。その女性たちのほとんどが、なんとなく表情に乏しく、ただ笑ってるだけに見えたけど、おそらく変わってしまった自分の顔にまだ慣れてなくて、上手く表情をコントロール出来ないのではなかろうか。でも、すぐ慣れるのだろうね。
それにしても、この番組の意図はどこにあるのだろう? 最新の形成外科技術をアピールしたいのか。容姿で悩む女性たちに勇気を与えようとしてるのか。それとも、少々容姿が劣るだけで、悲惨な人生を送らねばならない理不尽を世間に訴えようとしてるのか。まぁ、どれもアリだろう。けど、この番組を見ていて感じるのは、真剣に自分を変えようとするなら、どんなに恥ずかしい事でも耐えなければならない、ということ、そして、高度な技術を享受するには、相当な金がかかる、ということ。どちらも、普通の人には無理な相談だ。本当に、容姿に悩む女性たちに勇気を与える事が出来るのかどうか、はっきり言って疑問。
そんな訳で、ある意味見れば見るほど、やりきれなくなる番組だった。見事に変身した女性を見ても、不思議と感動はなかったな。もし、この女性たちが、変身した事によって、幸せを掴んだりすると、余計にやるせない気持ちになるのだろう。
二度と見たくないです。自分のイヤな部分を暴かれたように気分になるし(笑)
ご存知の人も多いと思うが、かつてアメリカを代表するバンドとして人気を博した、シカゴとヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの2バンドが、日本で対バン、すなわちジョイント・コンサートを行なうそうな。近頃の外タレには珍しく、全国5箇所で公演するらしい。名古屋飛ばしはないのでご安心を(笑) 詳しくは、こちらでご確認下さい。
しかし、この2バンド、ほんとに凄い人気だったよなぁ。と、過去形で語らなければならないのが悲しいが(笑)、正直言うと、どちらも現在では昔日の面影はない。どっちもまだ現役だそうで、本国ではツアーをやったりしてるらしいが、80年代の頃のようにヒットチャートを荒らし回ったりしている訳ではないようだ。それでも、シカゴはマメに新作を出しているようだが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの方は、新作の話すら聞かないしなぁ。こんなんで来日公演やって大丈夫なんだろうか、なんてファンならずとも心配になってしまうが、青春時代に彼らを聴いてた世代(つまり、僕と同じもしくは10歳くらい下まで)が、懐かしさも手伝って足を運ぶのだろう。ただ、最近ロック・コンサートの客層もオジサンオバサンが目立つようになって、それはそれでいいんだけど、何か違うような気もする今日この頃(笑)
という訳で、せっかくの機会だし、僕もこの2バンドのジョイント・コンサート行こうかな、なんて考えている。どちらも、生で見た事ないし。特にファンというのではないのだけど^^;
けど、ヒューイ・ルイスはともかく、シカゴまで80年代のバンドに思えてしまうのは何故だろう? 70年代前半は、大人気だったのは知ってる。僕がリアルタイムで知ってるシカゴのアルバムは、『カリブの旋風』とかいう副題が付いてたヤツからで、「愛ある別れ」がヒットしたんだけど、当時のFMでは、ヒット中のこの曲より「長い夜」とか「サタデイ・イン・ザ・パーク」といった、過去のヒット曲の方がよくかかっていたような気がする。そして、その次作も話題になり、「朝もやの二人」「シカゴへ帰りたい」といった曲もFMで聴いたけど、それ以上に「長い夜」のオンエア回数の方が多かったような。つまり、なんとなく、シカゴは人気バンドだったけど、新曲よりも旧曲を耳にする事の方が多かった、つまりかこのバンド、みたいな物も感じていたのである。これは、アメリカでの人気とは別に、日本では「シカゴ=長い夜」というファンが多かった、という事だったのだろう。新作が出ても、「やっぱ長い夜の方がいいよねぇ~」って所か。
で、実際に、1977年の暮れか1978年の初頭だかに、メンバーのテリー・キャスが亡くなってから、シカゴは低迷していく。アルバムも話題にならず、ヒットチャートとも縁遠くなっていく訳で、70年代後半から80年代にかけての時期が、シカゴにとっての最初の“冬の時代”だった訳だ。
で、この“シカゴ冬の時代”というのが、僕が一番熱心に洋楽を聴いていた頃に当たる訳で、そんな時期に低迷していたのでは、こちらの印象が薄くなっても仕方ない所だ。そして、この冬の時代を経て、シカゴは1982年に「素直になれなくて」の大ヒットで甦る。その以降の活躍ぶりは非常に印象深いので、シカゴは80年代のバンド、みたいなイメージを持ってしまっているのだね、きっと。
余談だけど、シカゴの印象が薄い理由として、バンド名プラス作品番号、という区別しづらいアルバムタイトルも良くなかったような気もする。ジャケットも似てるし。そんな、どれも同じように思えたシカゴのアルバムの中で、唯一印象に残っているのが、1978年の『ホット・ストリート』だ。テリー・キャスの後任にダニー・デイカスを迎え、シカゴのアルバムでは唯一“タイトルのある”アルバムとなった『ホット・ストリート』、再出発にふさわしく、前向きなイメージだったのだが、今までほどは売れず、低迷のきっかけとなったアルバムとしても知られる。残念だ。良いアルバムと思うんだけどね。シングルの「アライブ・アゲイン」も好きだったし。
そんなシカゴと比べると、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは、バリバリの80年代だ。70年代から活動していたものの、チャンスに恵まれず、一時期はイギリスに渡ってエルビス・コステロのバックをやってた、というのは有名な話だが、1982年に「ドゥー・ユー・ビリーブ・イン・ラブ」のヒットでチャートに躍り出ると、翌年のアルバム『スポーツ』を大ベスト・セラーにして、アメリカのトップバンドになった。確かに、この『スポーツ』そして『FORE!』は名盤である。僕もよく聴いた。が、90年代に入ると、急激に失速してしまった。どういう訳だ。やはり、80年代に一世を風靡したホール&オーツも、90年代になったら突然失速してしまったけど、何かあったのか? いくらヒット・メーカーでも、時代の波に乗れなければダメだ、というのは分かるけど、80年代から90年代の境目で、急激に音楽シーンが変化したとも思えないのだが。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは、確か1985年頃に来日公演を行なったはずで、テレビで放送されたライブを僕も見た。実に素晴らしかった。強力なボーカリストのいるバンドは、やはり強い。ただ、彼らの場合、ヒューイ・ルイスに頼りきり、というのではなく、バンドメンバーも実力者で、ボーカルを盛り立てつつ、しっかりとしたアンサンブルを聴かせていた。アメリカン・バンドらしい大らかさもあったし。いいバンドだなぁ、としみじみ思ったものだ。レコードだけでは味わえない、バンドとしての一体感が感じられた。そんな雰囲気を、20年以上を経た彼らが、また体感させてくれるなら、是非今度の来日公演は見に行きたい。
聞けば、90年代以降、ヒットの出なくなったシカゴも、レコード会社と衝突したり等々、あれこれ苦労したらしい。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースも、レコード契約のない時期もあったらしいし。20年前を知ってる者としては信じられないけど。かつての勢いがなくなると、世間は冷たいものなのだ。ほんと、こんな話を聞くと、80’sは遠い昔になってしまった、という想いを強くする。
年取ったなぁ...君も僕も(爆)
この3連休、初日の2月9日には大阪市内は11年ぶりという大雪になった。大雪といっても、おそらく大した事はないのだろうと思うが、それでも交通機関に影響が出たりしたらしい。積雪による人身事故のニュースは聞かなかったけど、どうだったんだろう?
さて、3連休真ん中の10日、多くのロックファンは大阪ドームへポリスの来日公演を見に行ったのだろうが、僕はそれとは逆行して、夕方京都へ向かったのであった。北山MOJO WESTで開催される“My Generation '08 Vol.1”を見るためである。
この“My Generation '08 Vol.1”は、去年の1月と2月に行なわれた産業ロックイベント(詳しくはこちらまたはこちらをご覧下さい)を、タイトルも改めて今年もやろうという企画で、年に4回計画してるらしい。実は、今回のVol.1にも、FOREFINGERに出演依頼があったのだが実現しなかった。は? 理由ですか? メンバー5人のうち2人がポリスを見に行く事になってたからです(爆)
ま、そんな訳で、今回は観戦オンリーだった訳で、単なる客として、出演した4バンドの演奏を堪能させて頂きました。その4バンドとは、次の通り。
トップバッターは、去年も出演した詠時感。もちろん、エイジアのコピーである。機材のセッティングが大変なので、出番を一番にして貰った、という噂があったが(笑)、余裕のステージだった。メンバー全員が経験豊富だし、安心して観ていられるバンドである。曲は知らないのもあったけど^^;、だいたい知ってた。ラストは「ヒート・オブ・ザ・モーメント」これお約束(笑)
2番手は転石偽造団。ストーンズのコピーである。セッティングの為に、メンバーがステージに現れた時、一瞬揺れ名人さんがいるのかと思ってしまった(笑) なぜかというのは、写真を見て頂けばお分かりかと(ピンボケだけど^^;)。「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」などの定番曲に混じって、「スウェイ」とか「無情の世界」とかをやってる所に、コピバンとしてのこだわりを感じました(笑) ギターの人がずっと後ろ向いてるのは、気になったけど(写真では、偶然前を向いてる)。演出なんだろうか。
3番目は、こちらも去年出演したThe U2。その名の通り、U2のコピーだ。ま、U2という事もあり^^;、知ってる曲は少なく、しかもスタジオバージョンをそのままやるのではなく、本家のライブバージョンでやってるような感じだったんで、分かりづらかったけど、ファンならば唸ってしまう選曲なのだろう。ボーカルが実力者で、いい雰囲気だったと思う。
トリはAXIZ。このバンドは、福井で活動していたINAXというバンドの元メンバーが中心となって結成されたバンドだそうで、当然TOTOのコピバンである。あまり練習してない、という事だたが、実に手馴れた演奏で素晴らしかった。曲の方も「アフリカ」「グッドバイ・エリノア」「ロザーナ」など、お馴染みのヒット曲ばかりで、会場も盛り上がっていた。
とまぁ、こんな感じで、コピバン4バンドを堪能させて貰った。どのバンドを見ていても、演奏・選曲・進行・衣装・構成等々、非常に参考になる。FOREFINGERと比較してみて、自分たちの課題というのも、少し見えてきたような気がした。てな訳で、よし今度はオレたちだ、とミョーな闘志を燃やしながら帰ってきたのである(笑)
とにもかくにも、出演した4バンドの皆さん、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。そして、ポリスにも行かず(しつこい)観戦していた皆さんも、お疲れさまでした。
で、3連休の3日目はボーッと過ごしたのは、言うまでもない(爆)