日々の覚書

MFCオーナーのブログ

イアン・マクドナルドを悼む

2022年02月13日 21時05分14秒 | 時事・社会ネタ

またしても訃報である。あのイアン・マクドナルドが亡くなった。享年75歳。癌を患い闘病中だったらしい。ニューヨークの自宅で、家族に囲まれながら安らかに息を引き取ったそうな。偉大なるミュージシャンがまた一人いなくなってしまった。謹んでご冥福をお祈り致します。

イアン・マクドナルドと言えば、なんといっても、まずはキング・クリムゾンだろう。オリジナル・メンバーとして1969年のデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に参加し、50年以上を経た現代に於いても超名盤としての評価を欲しいままにするデビュー・アルバムに多大な貢献をした。曲作りはもちろん(収録曲の作曲クレジットは、は基本的にはメンバー+ピート・シンフィールドとなっているが、タイトル曲と「風に語りて」はイアン・マクドナルドとピート・シンフィールドの二人だけのクレジット)、演奏面でもマルチ・プレイヤーとしての才能を発揮している。アルバムのクレジットを見ると、イアン・マクドナルドの担当は“reeds, woodwind, vibes, keyboads, mellotron, vocals”となっていて、これだけでも十分だが、ギターのクレジットはない。けど、「エピタフ」や「宮殿」のアコースティック・ギターは、実はイアン・マクドナルドが弾いている、という話もあり、実はクリムゾンはイアン・マクドナルドのバンドだったのだ、とも言える訳で、実際、イアン・マクドナルド(とマイケル・ジャイルス)が脱退すると言い出した時、ロバート・フリップは、それなら自分が辞めるから思いとどまって欲しい、と逆に提案したそうな。当然ながら、フリップも分かっていたのだ。クリムゾン=イアン・マクドナルドなのだ、という事を。

僕もクリムゾンに関しては完全に後追いなので、フリップのコンセプトの元に動いているバンド、と思い込んでいたのだが、『宮殿』を買った際、前述のクレジットを見て音を聴いて、バンドの中心はイアン・マクドナルドだったのだ、とようやく理解した。地味だけど凄い人だったのだ。

キング・クリムゾンを脱退してから、マイケル・ジャイルスとの『マクドナルド・アンド・ジャイルス』を発表。こちらも一見地味ながらも名盤であり、人気も高い。1971年の発売以来、一度も廃盤になっていないというから、その人気のほどが窺える。個人的には、かなり後追いで聴いたのだが、「明日への脈動」とか好きです。

そして、時は来たりて1977年、イアン・マクドナルドはフォリナーの結成に参加する。バンド自体はミック・ジョーンズが中心で、イアン・マクドナルドはいわばサポート役、共同プロデューサーにも名前を連ねているが、完成した1stアルバムに於いて、少なくともサウンド面では、イアン・マクドナルドはさほど目立っていない。元クリムゾンのメンバーがいる、という事で話題になり、フォリナーに注目した人も多かったようだが、フォリナーの音には、特にプログレらしさとかクリムゾンらしさとかは感じられなかった。サックスやフルートを演奏している曲も2~3曲で、それ以外はギターを弾いていたようだ。ただ、少ないとはいえ、イアン・マクドナルドのフルートをフューチャーした「スターライダー」はアルバム中でも聴き物のひとつであるし、ライブでも目玉となっていた。また、アルバム中1~2曲は、イアン・マクドナルドが作曲に関わった曲が収録されていて、それらの曲が良いアクセントとなり、アルバムに深みを与えていた。クリムゾンの頃とは違うけど、やはりバンドに多大な貢献をしていたのである。

イアン・マクドナルドは、1980年頃までフォリナーに在籍し、3枚のアルバムに参加した。ポップでキャッチーだけど、それだけでもないフォリナーの音楽に、欠かせない存在となっていたように思えたので、脱退後の『4』を聴いた時、このハード路線が、イアン・マクドナルドの志向に合わないので脱退したのだろう、と解釈していたが、後にミック・ジョーンズが「イアンには非ロック的部分での貢献に期待していたが、段々それも叶わなくなってきた」と発言しているのを見た事があり、それが本当だとすると、ハード路線に行きたかったのは、イアン・マクドナルドの方だった、という事になる。『4』でのハード路線は、イアン・マクドナルドがいなくなったので、結果的にそっちに行かざるを得なかった、というのが真実なのか。3作目の『ヘッド・ゲームス』では、あまりにもイアン・マクドナルドがギターを弾きたがるもんだから、ミック・ジョーンズも困っていた、という話も耳にした。確かに、ギターが目立つアルバムではあったけど、ミック・ジョーンズからすると、ギタリストは2人もいらない、ってとこかな。今となっては、どうでもいい事ではあるが。

そういえば、数年前のフォリナー同窓会ライブに、イアン・マクドナルドは参加してたのか?

フォリナー脱退後は、目立った活動はなかったけど、1999年にキャリア初のソロ・アルバムを発表した。

Drivers Eyes/Ian McDonald

非常に申し訳ないのだが、このアルバム、出たのは知ってたが聴いた事はない。なかなか力作のようで、色々なゲストが参加しており、フォリナー時代の盟友ルー・グラムも一曲で歌ってるとか。聴いておけばよかった。ちなみに、イアン・マクドナルドの訃報を受けてのことか、アマゾンの売れ筋ランキングに、昨日あたりからこのアルバムが登場している。

ソロ・アルバムといえば、ウィキペディアによると、2019年にも『Take Five Steps』というアルバムを出してるらしいが詳細は不明。

その後、21世紀になってから、“21世紀の精神異常者バンド”を結成してツアーしてたのは、皆さんご存知の通り。日本にも来たよね。

やや地味だけど、イアン・マクドナルドは非常に才能あるミュージシャンだった。目立つのが好きでないのか、作品も少ないのは事実だけど、今回の訃報に際し、あちこちのニュースの見出しの大半が、クリムゾンとフォリナーだけの人、みたいな感じで、かなり不満はあるが、一般的な認識はその程度かも。ま、仕方ないと言えば仕方ないが、それではあまりにもイアン・マクドナルドが気の毒なので、これを機に再評価されることを望みたい。

ところで、プロデューサー等の裏方としても活動していたイアン・マクドナルドだが、なんと、90年代にはゲーム音楽を手がけた事もあったらしい。飲み仲間(笑)のゆーじさんが教えてくれました。こちらでそれに触れられていますので、是非ご覧下さい。

という訳で、また一人偉大なミュージシャンが、この世を去った。何度も言ってるけど、我々はその現実を受け止めていかねばならない。悲しいことだが。

余談だけど、イアン・マクドナルドが作曲したフォリナーの曲の中では、個人的にはこの曲が一番好きである。『ヘッド・ゲームス』収録。

Do What You Like

合掌

コメント (8)
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世界は彼方に

2022年02月05日 13時23分06秒 | 音楽ネタ

パブロ・クルーズの名前を知ったのは1977年頃と思う。最初はサーフ・ロック(当時はこんな言葉なかったかも^^;)のバンドと思っていた。何故なら、とある雑誌でカラパナあたりと一緒に紹介されていたからだ。

あの頃、ブームという程ではないが、ハワイのロック・バンドに注目が集まっており、僕もカラパナとかは知ってて、FMで曲を聴いて、やや軟弱な印象を持っていたもんだから(笑)、パブロ・クルーズも似たようなバンドと勝手に思っていたのだ。当時のアルバム・ジャケットで、メンバー4人が上半身裸で写ってるのがあって(これ)、海辺て遊んでるから軟弱、みたいな(笑) ただ、このジャケ写、今見ると大変暑苦しい(爆) 当時はこれ見て爽やかとか思ったんだろうか?(爆爆) アルバム・タイトルも『ライフライン』だから、サーファーというよりライフ・セーバーだな。

と、決して印象の良くなかったパブロ・クルーズだが、それがひっくり返されたのが「恋の水平線(Love Will Find A Way)」である。1978年ちょうど夏頃のヒット曲。いやほんと名曲である。素晴らしい。20世紀が誇るべきマスターピースと言っても過言ではない(笑)くらいの超名曲だ。高校生をノックアウトするには十分。この一曲で、軟弱なバンドという、僕のパブロ・クルーズに対する印象は一変した。いや、別に「恋の水平線」がハード或いはヘヴィな曲というのではなく、実に洗練された雰囲気の曲で、人によっては軟弱と感じるのだろうが(笑)、ま、一年程の間に趣味も変わったんだろう、この曲が大のお気に入りになってしまった訳だ。多感な年頃という事で勘弁して(笑)

それからしばらくして、「恋の水平線」を含むアルバム『世界は彼方に(Worlds Away)』をFMで聴いて(全曲ではなかったが)、さらに僕のパブロ・クルーズ熱は上がってしまった。FMでかかったアルバムの曲がめちゃカッコ良かったのだ。当時、僕が最も熱中していたバンドはフォリナーだったが、パブロ・クルーズはその次くらいの位置にきていた。アルバムを聴いてみたいと思ってはいたものの、周囲は誰もパブロ・クルーズなんて持ってなかったし(というか、知ってる方が珍しかった)、10代の頃はLP一枚買うのにも一大決心が必要で、一曲しか知らないアルバムなんて、怖くてなかなか決心がつかなかったのだが、FMで聴いた「恋の水平線」以外の曲が好印象だった事にも後押しされ、小遣いを貯めて『世界は彼方に』を買ったのである。MFCオーナーまだ16歳の時だった(爆)

で、その『世界は彼方に』だが、いざ針を落としてみたら、ちょっと印象が違った。思うてたんとちゃう、みたいな。僕としては、「恋の水平線」みたいな洗練された感じと、FMで聴いたようなフュージョン的アプローチが全編に渡って展開されているのを期待したのだが、そうでもなかった。洗練というかポップな曲が多くて、インパクトが弱かったのだ。曲によって出来に差があったりしたし。意外とフツーだな、というのが当時の偽らざる感想だった。

でも、よく聴いてたな。「恋の水平線」はもちろん超名曲だが、第二弾シングルとなった「愛の確信(Don't Want To Live Without It)」もファンクっぽさを取り入れた実にカッコいい曲だし、「アウト・トゥー・ルーズ(You're Out To Lose)」もフュージョン風の曲展開で素晴らしい。浮遊感のあるイントロからダイナミックに展開する「ファミリー・マン」、賑やかな「アイ・ゴー・トゥー・リオ」も楽しい。でも、他の曲はやはり今イチだったかな。悪くはないんだけど...ここいらがこのバンドの限界なんだろうか。惜しいなぁ。なんとなくプレイヤーと雰囲気近いかも。

この後、パブロ・クルーズのレコードは買ってない^^; フォリナーに次ぐ2番手の位置からも滑り落ちてしまった(笑) けど、パブロ・クルーズは順調に活動を続けて、アルバムを発表し、ヒットも出した。僕も買わなかったものの、「アイ・ウォント・ユー・トゥナイト」とか「クール・ラブ」といったヒット曲は結構好きだったな。その後浮き沈みはあったものの、現在でも活動を続けており、数年前には来日公演も行ったとか。こういう話を聞くとホッとするね^^

現在では、パブロ・クルーズはAORに分類されるらしい。そんなにオシャレではないような気がするが(笑) 確かにウェスト・コーストのバンドらしい清涼感とかはあったと思う。椰子の木をあしらったバンドロゴは、完全にサーフ・ロックのイメージだけどね。でも、本質はちょっといなたいアメリカン・ロックだったのかもしれない。ここんとこ、AOR或いは入手困難盤の再発企画で、パブロ・クルーズの70~80年代のアルバムが出てるので、『世界は彼方に』から40ン年を経た今、改めて聴いてみたい気もする。前述の「クール・ラブ」収録の1981年の『リフレクター』とか。このアルバム、トム・ダウドのプロデュースだし、案外良いかも、なんて思ったりもして。本当は、ベスト盤でもいいのだが、パブロ・クルーズって、この手のバンドには珍しく、意外とベスト盤がないのだ。ちょっと不思議。

余談だが、1990年頃に公開されたスティーブ・クローブス監督の『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』という映画があって、ご存知の人も多いと思うが、バーでピアノ演奏をする兄弟の物語で、現状を打破する為に女性シンガーを入れようと、オーディションをするシーンがある。数人の女性が数秒間歌うカットをつなげているのだが、その中の一人が「アイ・ゴー・トゥー・リオ」を歌っていた。何故か覚えている。

最後に疑問。実は、そのイメージとは裏腹に、パブロ・クルーズのメンバーにサーファーはいない、と聞いたことがあるが実際はどうなんだろう? いや、別にどうでもいいことですが(爆)

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