日々の覚書

MFCオーナーのブログ

最近のあれこれ(令和6年12月中盤)

2024年12月22日 09時15分54秒 | 時事・社会ネタ
皆さん既にご存知の通り、読売新聞社社長や読売ジャイアンツのオーナーなどを歴任したナベツネこと渡邉恒雄氏(読売新聞グループ本社代表取締役主筆)が亡くなった。享年98歳。長らく読売新聞およびジャイアンツに君臨し大きな影響力を誇ったのは周知の事実で、正に我が世の春を謳歌しての大往生と言えよう。慎んでご冥福をお祈り致します。

ま、確かに、"読売のドン"という称号がふさわしい人だった。もちろん、新聞記者出身だが、記者というより実業家みたいな人だったように思う。読売系列の新聞では、渡邉恒雄氏(以下ナベツネ氏)の功績として、新聞業界やプロ野球界に多大な影響力を誇り、読売新聞やジャイアンツの発展に貢献し、圧倒的なリーダーシップで業界の改革を推し進めた、という意味の記事を載せていて、まぁ間違いではないが(笑)、確かに、プロ野球のFA制度確立の後押しをしたり、1リーグ制への移行を提唱したり、改革には積極的だったように見えるが(野球ではないが、当時Jリーグ・チェアマンだった川淵三郎氏とのバトルも記憶に新しい)、実際にはプロ野球の事を考えてというのではなく、単にジャイアンツが有利になるように画策してただけで、そういう意味でも実業家って感じ。要するに、自分ファーストなのである。全体の事なんて考えていないのだ。僕が、ナベツネ氏の事を凄いとは思いつつも、好きになれなかったのは、この点にある。

かなり前だが、魚住昭著の『渡邉恒雄 メディアの権力』というルポを読んだ事がある。これだ。ナベツネ氏の礼賛本ではなく、攻撃してる訳でもない、実に冷静に公平に事実に忠実にナベツネ氏について書かれた本だ。いち新聞記者だったナベツネ氏が、仕事で得た人脈を駆使して、闘争に勝ち抜き、頂点に上り詰めていくさまを読んでると、やはりこの人はジャーナリストなんかではないな、と思う。でも何故、読売新聞グループという民間企業とはいえ、長期に渡りトップに立ち、思うままに権力を振るう事が出来たのか。故中曽根康弘氏は、「君のおかげで首相になれた」とナベツネ氏に感謝したそうだが、相手は一介の新聞記者である。こんな事言うかね普通。凄い人だとは思うけど。

ま、そういった影響力も業界内部の事に過ぎず、他の世界からの反応は冷ややかだったようだ。そういう意味でも、結局自分とこの利益しか見えてない実業家だったのだな、と思わざるを得ない。ただ、今後の読売新聞に与える影響は気になる。なにせ、我が社にとっては一番の顧客なもんで(笑)

さて、早いもので2024年も残すところ10日程になった。年の瀬は何かとせわしないが、その"わさわさ"感がなんとなく楽しかったりもする。そんな、我々にとって年末の風物詩となりつつあるのが、これだ。

 

はい、年末恒例、ベートーベンの『交響曲第9番』の演奏会である。今年もNHK交響楽団、場所もNHKホール、とほんと恒例になってしまった。第九聴かなきゃ年越せない、みたいな感覚になりつつあるのが怖い(笑)

演奏会自体は、なんたってN響である。実に安定した素晴らしい演奏だった。やはり、生楽器の生演奏を体験するのは良い事だ。気のせいかもしれないが、今回は特に良かったような気がする。合唱隊が違うのだろうか。たぶん、気のせいと思うけど(笑) 

N響の人たちは、毎年それも何年も続けて、この時期第九を演奏している訳で(N響に限らないけど)、ほとんど楽譜見ないでも弾けるんだろうな。もしかすると、練習しなくても、当日の音合わせ程度で大丈夫なのかも。



クラシックの演奏会の場合、暗黙の儀式みたいなのがあって、毎年第九を聴きに行く度に思うのだが、演奏が終わった後、鳴りやまぬ拍手と歓声の中、指揮者と合唱ソリストが、何度も舞台袖に引っ込んだり出てきたりして、観客に応えるという場面があって(カーテンコール?)、これ必要なのだろうか。いや、あってもいいけど、ここまでせんでも、なんて思ってしまうのだ。指揮者及びソリストたちは、観客に応えるだけで、挨拶をする訳でもないし、もちろん演奏する訳でもない。「おおきにおおきに。ほな、もう一曲やりまひょか」なんて事には決してならないのである。観客もそれを分かってて拍手し続けているのだろうけど、「そろそろ終わってくれないかな」なんて思っていたりなんかして(笑) 知らんけど。それと、曲が終わったら、間髪入れずに拍手するものらしくて、これも何とかならんのかな、と毎回思う。ま、いいけど(笑)

今日M-1の決勝が行われる。これもいつの間にか年末の風物詩となった。確実に、2024年は終わろうとしている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の考えるジャズ

2024年11月04日 21時19分10秒 | 時事・社会ネタ
またしても訃報である。ジャズ界のみならずポピュラー音楽界の最重要人物のひとりと言っても過言ではないであろう、クインシー・ジョーンズが亡くなった。享年91歳。慎んでご冥福をお祈り致します。
 
たぶん知らない人はいないと思うが、クインシー・ジョーンズと言えばなんたってマイケル・ジャクソンである。マイケルのキャリアを代表する3枚のアルバム、すなわち『オフ・ザ・ウォール(1979)』『スリラー(1982)』『BAD(1987)』のプロデュースを担当し、これらが爆発的ヒットを記録したため、クインシー・ジョーンズはアメリカ・ポピュラー音楽界の重鎮に上り詰め、大きな影響力を誇った。あの『ウィー・アー・ザ・ワールド』のプロデューサーというか製作総指揮を務め、ビデオにも登場していたのは、40年近く前の事ではあるが、まだまだ記憶に新しい。
 
クインシー・ジョーンズの大きな功績は、ブラコンというジャンルというかスタイルを定着させたことだろう。諸説あると思うが、クインシー・ジョーンズが70年代終わり頃から、新感覚のブラック・ミュージックを確立させたい、と考えていたのは間違いないところだろうし、マイケルはそのための絶好の素材だったであろう。マイケルとクインシーの試みは、まず『オフ・ザ・ウォール』でだいたい成功し、『スリラー』でほぼ完成したと思うが、この時期クインシーは、マイケル以外にもプロデュースしたルーファス(チャカ・カーン)、ジョージ・ベンソン、ドナ・サマーといった人たちの作品や、自身の『愛のコリーダ』などで、着々とブラコンを完成させていった。そして、彼が志向したブラコンは、その後のアメリカ(だけではないと思うが)音楽界において、一大潮流となるのである。
 
そんなクインシー・ジョーンズであるが、元々はジャズの人だ、というのは今となっては知られてるのかそうでないのか。僕自身は、かなり前からクインシー・ジョーンズの名前を知っているが、それは僕がジャズを聴いていたからではなく、1960年代から70年代にかけて、クインシーが映画音楽も多数手がけていたからである(でもジャズの人だというのは知ってた)。クインシーの映画音楽作品で、最も有名なのはやはり『夜の大捜査線』だろうね。個人的にはスティーブ・マックイーン主演の『ゲッタウェイ』が好きだな。哀愁溢れるハーモニカのメロディがたまりません(演奏はトゥーツ・シールマンスだと言われている)。あと『冷血』とか『ショーン・コネリー盗聴作戦』とかいった作品では、後のクロスオーバーのような感じの音楽になってて、やはり先見性のある人だったんだな、と今さらながら思う。
 
で、関係あるのかないのか、レコード・コレクターズ(以下レココレ)最新号の特集は、ブルー・ノートである。
 
 
ジャズに興味ない人でも、ブルー・ノートの名前は聞いた事あるのではないか。ジャズの専門レーベルである。同じ名前のライブハウスもあるね。そんな、数々の名盤を世に送り出した事で知られ、現在も活動しているブルー・ノートの黄金期(1950年代から60年代あたり)の名盤たちの中から、ベスト100を決めよう、という例によって無謀な企画なんである(笑) ただ、僕なんか、ブルー・ノートもジャズもろくに知らないにもかかわらず、なかなか面白い企画ではあった。
 
何故面白かったのかというと、随分前の事なのだが、レンタルで『This Is Jazz』という編集盤を借りた事があって、全てではないものの、気に入った曲もあったりして、例えば、アート・ブレイキーの「モーニン」、バド・パウエルの「クレオパトラの夢」、ハービー・ハンコックの「処女航海」、マイルス・デイビスの「マイルストーン」、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」、デューク・エリントンの「シング・シング・シング」といったあたりなのだが、ちょっと興味を覚えて、少し齧ってみた事があるのだ(笑) 前述の曲たちは、その方面ではチョー有名な曲ばかりだそうで、しかも、ブルー・ノートの作品も多かった、というのが、今回のレココレの特集で分かったのだ。多少でも知ってる曲があれば、レビューも理解しやすくなる。
 
それと、ブルー・ノートに限らず、あの頃のジャズ全般に言えると思うのだが、ジャケット・デザインが秀逸なんである。内容が分からなくても、ジャケット眺めてるだけでも、十分楽しい。今の感覚だと、単なるポートレートじゃんとか文字並べてるだけじゃんとかになってしまうのだろうけど、それだけのジャケットがとにかくカッコいいのだ。
 
という訳で、なかなかに楽しめたレココレのブルー・ノート・ベスト100だったのだが、それの影響でもないのだが(笑)、最近買ったCDから。
 
 
 
このアルバムは、同じレココレでも、ブルー・ノートではなく、フュージョン特集の時に登場していた。その時のランキングでは10位だったのだが、ずっと興味は持っていて、この度入手して聴いてみた訳だが、その時のフュージョン特集で1位になった、ハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』と、非常に似たものを感じる。というか、同じ方法論で作られたものなのだろう。
 
ま、とにかく、延々と同じリズム・パターンとコードが繰り返され、その上でサックスやトランペットのソロ合戦、という感じ。反復がグルーブを生む、という事か。だが、この手の音楽で意外なのは、同じ事を延々と続けているだけと言えなくもないけど、それが思ったほど退屈ではなく、最後まで聴けてしまう、という事だろうか。そうなのだ。『ヘッド・ハンターズ』も本作も、僕は割と面白く聴いてしまったのだ(笑)  レココレの解説によると、ファンクだけでなく、コールマンやバックマスターの音楽理論、、シュトックハウゼンの電子音楽、テープコラージュやインド音楽等の手法を取り入れて、独自のグルーブを生み出した事が、後の高い評価につながった、とのとことである。よく分からんけど、聴いてて面白いのは確か。
 
続いては、
 
 
 
こちらは正真正銘、レココレの特集で興味を持ったアルバムだ。ランキングでは26位。解説に、ホーンは参加してるものの、アルバム全編ピアノ以外のソロはない、と書いてあったので興味を持ち、聴いてみた。後の『ヘッド・ハンターズ』とはまったく違う、オーソドックスに感じられる世界だけど、実に素晴らしい内容だ。
 
ハンコックについては、『処女航海』は以前にブログネタにしたことがある。今回の『スピーク・ライク・ア・チャイルド』の3年程前にブルー・ノートより出た『処女航海』は、不思議な緊張感に満ちたアルバムだったが、本作は、もっとリラックスした感じ。ジャケットの雰囲気そのままに、フレンドリーなムードがあふれているような^^; 曲調も4ビートからボサノバ風まで、バラエティに富んでいて飽きさせないし、火花飛び散るソロ合戦もないので(笑)、ゆったりと楽しめます。こういうアルバムだけど、当時としては決して本流ではなかったのでは(ピアノ以外ソロがない、という事自体当たり前ではなかったと思う)と感じさせたりもして、やはりハンコックは凄い人なんだな、と改めて思ってしまうのであった。他にも聴いてみよう^^
 
余談だが、70年代から80年代にかけて、海外のジャズ・ミュージシャンが日本のCMに出る事が時々あって、BGMに自分の曲流したりして、それがちょっとヒットしたり、なんて事があったように思う。ただ、そのCMなんだけど、ウィスキーとか洋酒のが多かったように思うのだが気のせいか(笑) ジャズ→大人→ウィスキー、なんて発想であれば、正にその通りと思うけど(笑)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンクチュアリ

2024年10月12日 23時28分51秒 | 時事・社会ネタ
10月になった。

プロ野球は、アメリカも日本も公式戦全日程を終了し、ポストシーズンに突入した。アメリカでは、大谷翔平のドジャースがパドレスとのナショナル・リーグ地区シリーズに勝って、リーグ優勝シリーズに駒を進め、日本では、セ・リーグは読売ジャイアンツ、パ・リーグはソフトバンクホークスがそれぞれリーグ優勝を決め、今日からクライマックス・シリーズが行われている。第一戦は、セ・リーグは横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位)、パ・リーグは千葉ロッテマリーンズ(パ・リーグ3位)がそれぞれ勝っている。

我が中日ドラゴンズは、2024年シーズンは143試合で60勝75敗8引き分けのセ・リーグ最下位で終わった。3年連続の最下位は球団史上初めてであり、立浪監督は大変不名誉な記録と共に退任することとなった。残念だが、仕方ない。今季はある程度期待したものの、投高打低のチーム状況を変える事が出来ず、やや不可解な采配も変わる事はなく、このような結果となった。高橋宏斗が最優秀防御率、マルティネスが最多セーブ、松山晋也が最優秀中継ぎのタイトルを獲得したのが、せめてもの慰めだ(チームのタイトルホルダーに、今年のチーム事情が色濃く反映されている)。それにしてもドラゴンズの場合、60勝しかしてないのに、マルティネスのセーブ数が43というところに、とても歪なものを感じてしまうな。良くも悪くも、今年のドラゴンズを象徴している。

こういう結果となったドラゴンズだが、来季は二軍監督だった井上一樹氏が、監督に就任するとのこと。ドラゴンズのファン以外からすると、知名度は低いかもしれんが、二軍での実績は折り紙付き。必ずやチームを立て直してくれるものと期待する。が、今のドラゴンズの低迷は監督によるものだけではなく、親会社の問題もあるらしい。ドラゴンズの場合、弱くても観客動員は多いので、親会社としてはウハウハな訳だ。なんたって、かつて落合監督に対して、強いけど観客少ないからダメ、と引導渡した経緯もあり、親会社はドラゴンズを強くしよう、なんて考えてないのだろう(このあたり、かつてのタイガースに似てるなぁ)。

ま、とにかく、来年のドラゴンズに多少は期待してます(爆) 井上監督、頑張って下さい。

という訳で、最近買ったCDから。



70~80年代あたりに活躍したアーティストで、21世紀の今、CD入手が難しいという人たちは多くて、このJ・ガイルズ・バンドもその中に入るのではなかろうか。超メジャー或いはマニアックなアーティストは再発もされてて入手は容易だが、さほどメジャーでもなく、かといってマイナーでもなく、けど商業的にはそれなりに成功してた、という程度のアーティストは、ほんとCDが出てない。CD化されたり再発されたりしても即廃盤。たぶん、プレス枚数も少ないだろうし、たちまち入手困難。確かに、今の若者はロックは聴かないだろうから、再発しても意味ないという判断だろうけど、オールドファンとしては、せめて数年に一回、100枚程度でも再プレスしてくれないかな、と思うのである(笑)

さて、そのCDが手に入らないJ・ガイルズ・バンドだが、厳密に言うと、日本ではちょっと前にEMI移籍後のアルバムが紙ジャケで再発されてるので、入手困難ではないのだが、紙ジャケ嫌いの僕からすると、入手困難みたいなもんだ(笑) 実際、アマゾンとかでも、輸入盤はアトランティック時代もEMI自体も、オリジナル・アルバムはほぼ入手不可能、ベスト盤なら何種類か買える、という状況。今回、この『サンクチュアリ』は中古レコード屋で買った。しかも、実に適正な価格で(笑) やっぱり、レコード(CD)は店頭で探すべきだな。基本を思い出しました(笑)

で、肝心の『サンクチュアリ』に触れてないが^^;、J・ガイルズ・バンドがアトランティックからEMIに移籍しての第一弾、1979年発表。当時、日本でも、シングルの「ワン・ラスト・キッス」をプッシュしてて、ラジオでかなりCMを流してた記憶がある。確かに、改めて聴くと「ワン・ラスト・キッス」実に良い曲だ。哀愁漂う曲調と歌メロがたまらん名曲であるのだが、アトランティック時代のイメージとはかなり違う。当時もそう感じた(J・ガイルズ・バンドをずっと聴いてた訳ではないけど^^;)。R&Bをベースにしたロックンロールバンドというのが、アトランティック時代の印象だけど、この『サンクチュアリ』は、黒っぽさが後退して、シンプルなロックバンドになったような感じ。「ワン・ラスト・キッス」をはじめ収録曲も佳曲が多く、以前より馴染みやすく聴きやすくなった感もある。かなりクォリティ高いアルバムだ。新たなファン層の拡大を狙っての再出発というところだったんだろうね、当時は。

この後のJ・ガイルズ・バンドについては、皆さんご存知の通り。1982年に「堕ちた天使」が6週連続全米No.1の大ヒットとなり、アルバム『フリーズ・フレイム』もベスト・セラーになって、彼らは一躍アメリカン・ロックのトップ・バンドとなった。が、サクセス・ストーリーもここまで。理由は分からないけど、バンドは分裂し、ボーカルのピーター・ウルフが脱退する、という非常事態となり、その後メンバーは補充せずにアルバム1枚作ったけど結局解散。結成以来、大きなヒットは出なかったけど、地道に活動してきたバンドが、苦労の末大ヒットを出したら、よく分からんプレッシャーがかかって耐え切れずに潰れてしまった、という事なのかな。このパターンで多くのアーティストがダメになった気がする。こんな事になるのなら、売れなくてもいいから、バンドを持続していた方が良かった、というのがファンの偽らざる気持ちではなかろうか。人生は何が起こるかよく分からんし(意味不明)

最後に、いささか旧聞だが、イラストレーターの山藤章二氏が亡くなった。享年87歳。ご多聞に漏れず、僕も『ブラック・アングル』大好きでした。これ見たさに、週刊朝日買ってた事もある(笑) ただ批判するだけではない、暖かい眼差しが世相を表現したイラストに現れていたように思う。大のタイガース・ファンとして知られ、1985年にタイガースが快進撃を続けていた頃、とある場所で野村克也氏に会った際、「バースの攻略法だけは書かないで下さい」と頼んだ、というエピソードが笑える。

どうぞ安らかに。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン・ドロンを悼む

2024年08月19日 23時32分08秒 | 時事・社会ネタ
既に皆さんご存知の通り、フランス映画界を代表する俳優だったと言っても過言ではない、アラン・ドロンが亡くなった。享年88歳。記事によると、親族に囲まれ安らかに息を引き取ったらしい。

アラン・ドロンと言えば、フランスいや世界の映画界に於いて、最も美しい男優である。要はイケメンだった訳だが、そんな軽い言葉では表現できない、とにかく美しい男だった。ほんと、その美しさの前では、ハンサムとか二枚目とかいった言葉も霞んでしまうのではなかろうか。もちろん、他にも美男の俳優はたくさんいたのだが、僕にとっては美男=アラン・ドロンなのである。昔も今も。

僕がかつて映画少年だった1970年代中頃、アラン・ドロンは押しも押されもせぬ大スターだった。皆さんよくご存知の通り、アラン・ドロンは1935年生まれなので、1970年代中盤だと40歳前後だった訳で、美男俳優として活動するにはピークをやや過ぎていた頃かと思われるが、それでもあの頃アラン・ドロンは大人気で、毎年2~3作は主演映画が公開されてたし、CMにも出てた。もしかすると、日本だけだったのかもしれないが、アラン・ドロンは文字通りトップスターだったのだ。日本の歌謡曲にも、美男の代名詞としてアラン・ドロンが登場する事もあった。一番有名なのは榊原郁恵の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」だろうね。

アラン・ドロンはとにかくトップスターだったし、主演映画もしょっちゅう公開されてて(今調べてみたら、1975年と1974年は3作、1973年と1972年は4作が公開されている)、さぞかし印象に残る作品も多かろう、と思うのだが、実は僕は意外とアラン・ドロンの映画を見ていない、もしくは見た記憶がない。なんとなくだけど、僕自身フランス映画が苦手(笑)なのと、それに関連するのかもしれないが、アラン・ドロンの映画って、どれも同じに思えた、というのが理由だったような。全てではないけど、アラン・ドロンの映画って、旬の美人女優と共演して濡れ場もしっかりとある、というのも多かったから、決して興味がなかった訳ではない、と思う(笑) 当時、間違いなく見たという記憶があるのは『太陽がいっぱい』『地下室のメロディ』『冒険者たち』『サムライ』『シシリアン』『ボルサリーノ』『燃えつきた納屋』『暗黒街のふたり』くらいかな。見たけど印象が薄いのが大半なんだけど、一番強烈な印象があるのはなんといっても『冒険者たち』である。

そう、この『冒険者たち』は、僕にとって忘れられない映画である。1967年公開、ロベール・アンリコ監督、アラン・ドロンの他リノ・バンチェラ、ジョアンナ・シムカスが出ていた。夢を追いかける3人の若者が、財宝を探しに行き、そこで起きる悲劇を描いている。詳細は別の機会に譲るが(笑)、とにかく全編センチメンタルな雰囲気に貫かれていて、何度見てもつい泣けてしまう映画なんである。特にラスト、銃撃戦の末、撃たれて死んでいくアラン・ドロンとリノ・バンチェラの会話なんて、涙なくしては見れない。フランス映画とは相性の悪い僕ではあるが(笑)、この『冒険者たち』は名作と思う。サブスク等にあると思うので、是非検索してご覧下さい^^;

あ、それと、この『冒険者たち』の音楽も素晴らしい。音楽担当は早逝の天才、フランソワ・ド・ルーベで、哀愁のメイン・テーマも海で財宝を探すときに流れるメロディも実に素晴らしい。主題歌をアラン・ドロン自らが歌ったりもしてる。こちらも、万が一BOOK OFFとかで見つけたら是非GETする事をお薦めします(笑)

この『冒険者たち』もそうだったんだけど、アラン・ドロンって、美男の割にはモテる役って少なくて、思いを寄せる美女を他の男に取られたり、抗争のあげく最後には死んでしまったりする役が多かったような気がする。私生活は知らんけどね。あまりにも美男なので、映画では不幸な設定にして、帳尻を合わせようとしてたのか?(違)

昔からハリウッドあたりでも、美男(美女)=名優ではない、みたいなのがあって、アラン・ドロンもその例に漏れず、役者としての評価はそれほどでもなかったような気もする。あまり表情を変える事のないクールな男、みたいな役柄も多かったような...前述の『冒険者たち』はそうでもなかったと思うけど。ただ、そこいらは本人も分かってたのか、後年『カサノヴァ最後の恋』という映画で、老境に差し掛かかり若い娘には見向きもされなくなったジゴロをアラン・ドロンが演じていて、自虐的というかなんというか、なんかいい味出してた気がする。若いのはダメだけど、年増相手ならまだまだ神通力は衰えてない、という設定もなんか面白かったな。で、さすがはベテラン・ジゴロ、手練手管というか、ほとんどだまし討ちみたいな手は使ったけど、結局は意中の若い娘を手中にしてしまう、というとこにも美学を感じたりなんかして(爆) 単に自虐的なだけではない初老のアラン・ドロンが頼もしい(笑) サブスクで見かけたら、ヒマなら見てみる価値はありますよ^^

ここ20年くらいのアラン・ドロンは何をしてたのか、実は全く知らない。ただ、これもブログネタにしたが、フジのスマスマのビストロのコーナーに、アラン・ドロンが出演したのを見た事がある。なんでも、この収録の為だけにフランスからやって来て、終わったら速攻で帰国する、というスケジュールだったらしい。この時のアラン・ドロンはたぶん70歳過ぎだったのかな、正にカッコいいおじさんだった。本当の美男は年を取っても美男なんだな、とミョーに感心した記憶がある。

という訳で、自分の青春時代の銀幕スターが、また一人いなくなってしまった。いつも言ってるけど、悲しいけれど現実なのだ。アラン・ドロンのような、映画スターになるべくして生まれてきたような人を、ブラウン管で見れた自分はある意味幸運だったと思う。

安らかにお眠り下さい。

久々に『冒険者たち』見たくなった。アマゾン・プライムにあるかな。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身も心も

2024年08月18日 20時23分32秒 | 時事・社会ネタ
ひと昔前だと、8月も盆を過ぎれば少しづつ涼しくなって、そろそろ秋の気配なんて感じだったけど、近頃はそうでもないようだ(苦笑) この暑さ、あと一月は続きそうな雰囲気だし、皆さん、どうかご自愛下さい。

しばらく話題にしていなかった中日ドラゴンズだが、盆を過ぎても浮上する気配は全くなく、8月17日現在で110試合消化して45勝57敗8引き分け、首位のカープとは12ゲーム離されてのセ・リーグ最下位である。一昨日だったかな、久々にテレビ中継があったので、ドラゴンズvsタイガースの試合を見たが、ずうっっっっっと同じ戦い方だ。僕が見た試合は、ドラゴンズが2-1でタイガースに勝ったのだが、貧打は変わらず、最少得点を投手リレーで守り抜く、という相変わらずのパターンで、夏場に投手陣の疲労蓄積がピークとなって投手陣崩壊、という事態にはならずに済んでいるようなのが救いでしかない状態。ほんと、投手陣は頑張ってて、ご承知の通り、高橋宏斗が4勝0敗防御率0.00という驚異的な数字で、7月のセ・リーグ月間MVPを受賞した事に象徴されるように、高橋だけではないのだが、とにかくよくやってる。今の状況から抜け出せない要因は打線である。正直言うと、この時期でこの状態では、なんとかAクラスに残ってクライマックス・シリーズ出場、なんて正に夢の夢だな。ほんのちょっとした工夫で、打開出来そうな気はするのだが。

最近の大ニュースと言えば、なんといっても、岸田総理が次の自民党総裁選には出ない、つまり任期が終わったら総理大臣を辞める、と明言した事だろう。これには驚いた。絶対に、岸田総理はまだ続けるつもりだと思ってたし、自分の足場を固めて、再選に向けての障害をなくす為と思うが、これまでかなりえげつない事もやってる。にもかかわらず、総裁選に出ない、というのは解せないなぁ。今までやってきた事は何だったのか? 僕自身は岸田総理を支持しないが、でも今回の発表は謎である。一体何を考えているのか。そういう点では、岸田総理は怖い。ま、それを受けて、総裁選への出馬に意欲的と言われてる人たちがゾロゾロと現れて、かなり混沌としてきているのも事実。次の総裁選は派閥なしで行われる訳で、となると、20人の推薦人を確保さえ出来れば、皆総裁選に名乗りを上げるのではないか。面白いと言えば面白いけどね。先の都知事選みたいになるのかなぁ。ただ面白がってる訳にはいかないのだが(苦笑)

という訳で、最近買ったCDから。



ちょっと前にレコード・コレクターズの1984年特集をブログネタにしたが、その特集の1984年を代表するアルバムの中に本作もリストアップされていた。1979年デビューのジョー・ジャクソンの通算6枚目のアルバムである。

デビュー当初、僕はジョー・ジャクソンの事をパンク・ロッカーと思っていた。が、彼はアルバムを重ねる毎に音楽性を変えていき、1982年の『ナイト・アンド・デイ』ではパンク・ロッカーのイメージは微塵もなかった。なんというか、ニュー・ウェイブ的な感覚を生かしつつも、多彩なスタイルを展開するミュージシャンになっていたのだった。実際、『ナイト・アンド・デイ』の評価は高く、シングル・カットされた「ステッピン・アウト」はグラミーにもノミネートされた。僕もこの『ナイト・アンド・デイ』は好きで、例の”MFCオーナーの歴代最高のアルバム500選”では293位にランクされている(だから?) その次に出た『ボディ・アンド・ソウル』は、『ナイト・アンド・デイ』の方向性を踏襲しつつ、シンプルな作りだった前作より、ホーン等を足して、ややゴージャスに仕上げたという印象。

やや余談だが、『ナイト・アンド・ディ』も『ボディ・アンド・ソウル』もタイトルがジャズを連想させるし、実際『ボディ・アンド・ソウル』のジャケットも、ソニー・ロリンズのアルバム・ジャケットのオマージュなんだそうな。かといって、ジャズをやっている訳ではないのだが、ジャズの影響は大きい事が窺える。前述したように、ホーンを導入した曲が多いのだが(シングルの「ホワット・ユー・ウォント」とか)、このホーンがファンキーなテイストではなく、クールな雰囲気を醸し出していて、ここいらもジャズっぽいというか都会的なイメージだ。ポスト・パンクのジャズ的展開、ってのは違うかな?(笑) イントロにスター・ウォーズみたいなリフが挿入される一曲目の「ザ・バーディクト」から既にそんな雰囲気である。40年前のアルバムだが、今聴いても全く古びていないのが凄い。やはり、ジョー・ジャクソンはただのパンク・ロッカーではなかった。ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックで学んでいただけのことはある。学歴で判断してはいけないんだけどね(笑)

続いては、




ジョー・ジャクソンと同タイトルかと思ってしまうが、こっちは複数形で(笑)間違いなくジャズ系のマンハッタン・トランスファー(以下マントラ)が1983年に発表した通算7作目のアルバムで、当時の邦題は『アメリカン・ポップ』。ちなみに、「ボディ・アンド・ソウル(身も心も)」はジャズのスタンダードとして有名だが、マントラも1979年のアルバム『エクステンションズ』で取り上げている。

ご存知の通り、マントラは前述の『エクステンションズ』と次作の『モダン・パラダイス』をジェイ・グレイドンのプロデュースで制作し、ポップ寄りにシフトしてヒットを出していて、てっきりこの『アメリカン・ポップ』も同傾向でジェイ・グレイドンのプロデュースによるもの、とずっと僕は思い込んでいた。が、それは大いなる勘違いで、本作のプロデューサーはリチャード・ランドルフだったのだ。今回初めて知った(恥) これまであちこちで、マントラの『エクステンションズ』『モダン・パラダイス』『アメリカン・ポップ』はジェイ・グレイドン・プロデュースによる三部作、なんて書いていたが、実は間違いである。グレイドンは演奏にすら参加してない。大変申し訳ない。お詫びして訂正させて頂きます(誰に言ってるのか?)

という訳で『アメリカン・ポップ』である。ジェイ・グレイドンが関わってないという予備知識で聴いてみると、先の2枚と比較すると打ち込みを多用した80’sサウンドになってるのが分かる。ブラコン風と言ってもいいかも。シングルになった「スパイス・オブ・ライフ」や当時マントラ本人たちが出演したCMで流れた「アメリカン・ポップ」、やっぱりロッド・テンパートン作の「ミステリー」あたり、とことん80’s。B面の「ダウン・サウス・キャンプ・ミーティング」や「ホワイ・ノット」あたりはマントラお得意のジャズ的コーラスとスイング感が堪能できるけどね。ま、なんというか、この時期、マントラですらこういうサウンドでレコード作ってたんだな、と思うと、今さらながら80’s恐るべしって感じだな(よく分からんぞ)。なんだかんだ言ってもマントラなんで、その変幻自在のコーラス・ワークの賜物か、グレードの高いポップ・アルバムになってるのは間違いないんだけど。

色々と問題もあったパリ・オリンピックも、一応無事に終わり、次回は1984年以来のロサンジェルスでの開催だそうな。また80’sブームが来るのだろうか?(意味不明)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする