日々の覚書

MFCオーナーのブログ

春の夢

2011年03月29日 21時06分35秒 | 与太話

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春の夢 思い起こせば 椿かな

僕の妻は初めて茅ヶ崎に来た頃、茅ヶ崎には椿が多い、と言っていた。花の事は詳しくない不粋な僕は全く気づかなかったけど、よくよく見れば確かに街中のあちこちに椿が咲いている。椿が市の花、というのではないが、茅ヶ崎には椿が多いのである。

そんな茅ヶ崎に、実は椿の名所があった。その名も、「氷室椿庭園」。長年茅ヶ崎に住んでいるが、そういう所があるなんて、これまた全く知らなかった。我ながら、自分の不粋ぶりがイヤになる。

という訳で、行ってきた。

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この庭園、なんでも250種類もの椿があるという。園内に足を踏み入れると、色も形も様々な椿たちに圧倒される。実に素晴らしい。言葉では、その素晴らしさは伝わらないと思うので、あのココ・シャネルも愛したという椿を、是非写真でお楽しみ頂きたい(手抜き)

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我ながら、よく撮ったものだ(笑)。まだあるよ。

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この氷室椿庭園、椿好きで知られた氷室捷爾・花子夫妻の庭園を、遺族が茅ヶ崎市に寄贈したのだそうな。この素晴らしい庭園が個人のものであった、というのが凄い。その氷室夫妻が住んでいたのか、庭園の中に邸宅もある。

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氷室椿庭園について、詳しくはホームページをご覧下さい(ふたたび手抜き)

妻は、茅ヶ崎には椿が多い、と言った。あれから一年が過ぎた。

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A Light In The Black

2011年03月19日 23時44分06秒 | 与太話

東北地方を襲った、マグニチュード9.0という史上最大級の地震発生から、一週間が過ぎた。
被災地の皆様には、心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興をお祈りしております。

地震の影響をあまり受けなかった関東地方でも、あれこれ混乱が起きている。皆さんご存知と思うが、計画停電や物資不足である。特に物資不足。ガソリンスタンドには車による長蛇の列ができ、スーパーへ行けば、パン、水、牛乳、カップラーメン、卵、納豆などが品薄状態で、手に入れるのが難しくなっている。停電の影響だろうが、懐中電灯、乾電池などか、これまた手に入らない。政府は、無用な買占めを止める様呼びかけているが、さしたる効果はなさそうである。

と、そんな中、嬉しい贈り物が届いた。送り主は義母、つまり妻の母である。

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ランタンである。もちろん、電池を使うタイプだ。灯をともすと、こんな感じ。

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幻想的でしょ?(笑)

義母は、ランタンだけでなく、他にも色々と送ってくれた。

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乾電池に懐中電灯、いずれもこちらで入手困難となってしまった物ばかりである。実に有り難い。なんとなく希望が持てた。暗闇の中に、一筋の光を見つけたような気持ちである。

しかし、それにしても、この計画停電には振り回されっ放しだ。こういう非常事態でもあるし、被災地以外の地域でも、電力消費を抑えないともたない、というのは理解できる。計画停電にも協力しよう、節電だってしよう、とマジで思っている。けど、その計画停電が、実に無計画且つ不公平であり、せっかく協力しようという気持ちも萎えてしまうのである。東京○力(何故、伏字?爆)は、もう少し考えてもらいたい。今のままでは、計画停電は鉄道ダイヤの乱れを引き起こすだけだ。

ここには書かないけど、地震の影響があちこちに出ていて、我が社としても結構厳しいものがある。一体、日本経済はどうなってしまうのだ? なんて本気で思ったりもする。なんとか頑張って、一日も早く立ち直りたい。

コメント (9)
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After The Gold Rush

2011年03月07日 21時59分59秒 | 与太話

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ゴールドラッシュと言えば、カリフォルニアである。かつて、この地で砂金が発見されたことから、一攫千金を夢見る男たちが、全米のみならずヨーロッパからもカリフォルニアに集まってきた。しかし、望み通り金を手にした者はほんのわずか、多くは夢破れて故郷に帰って行ったのだった。

という訳で、金山(かなやま、ではない。爆)である。かつて、日本にも金山は存在した。聞く所によれば、20箇所ほどの鉱山で金が採れたらしい。その中では、なんといっても佐渡の金山が有名だが、その佐渡の金山に次ぐ産出量を誇った金山が、なんと伊豆半島にあったのである。その名も土肥金山(どい、ではなく、とい、と読む)。知らなかった...

なんたって、金山である。現在では閉山しているとはいえ、かつて金が採掘されていたのである。金運を向上させるためにも(笑)、一度は行ってみなければ。

てな訳で、土肥金山へ行ってきた。

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う~む、やっぱりパワースポットであるらしい(笑)

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とにかく金である(笑)

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金だけではなく、早咲きの桜も見れるのだ。

金山へ行こう、と張り切って出発したはいいが、途中の大渋滞に辟易しながら、ようやく土肥金山にたどり着いた我々は、到着してからまず食事をとり、それから坑道→黄金館と見物して回ったのであった。

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坑道の手前で、まずお参り(笑)

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謎のオブジェもある。『黄金の夢』というらしい。

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坑道入り口から中をのぞいてみる。

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いざ坑道へ。

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これは「山神社」。ここで毎日、作業前に安全を祈願したらしい。

金山には、金を採掘する人だけでなく、坑道を安全に保つための作業に従事する人もいたそうな。男だけではなく、女も働いていたとか。

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これは、当時の作業者たちを再現した人形である。今も働いてる人がいる訳ではないので念の為(笑)

坑道を見た後、「黄金館」へ。

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これこそ、土肥金山が誇る250キロの金塊である。世界最大の金塊として、ギネスブックにも載ってるらしい。

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触ってみた。ひんやりとした感触。ご利益あるといいけど(笑)

そして、土肥金山のもう一つの目玉、砂金採り体験である。

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川底の砂を砂金採り用ざるですくい、砂をふるいにかけて、中に沈む砂金を探すのである。腰が痛くなったけど、二人で頑張って、なんとか砂金を収穫できた^^ それがこれ。

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分かるかな?(笑)

それにしても、金山だけあり、とにかく金なのだ。

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これは250グラムの金箔。土産物売り場も凄い。

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上から、クッキー、チョコレート、カステラ。とにかくキンキラキン。すべて金(笑)

この土肥金山は、意外と海のそばにあり、今ではすっかりのどかな田舎町となっているが、金山と港の両方のおかげで、町はかつては非常に栄えていたらしい。鉱山が日本の経済を支えていた時代があったのだ、と思うと、感慨深いものがある。そんな想いとわずかの砂金を手に(笑)、我々は帰路に着いたのであった。帰りは、やっぱり大渋滞だったけど(笑)

コメント (4)
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