日々の覚書

MFCオーナーのブログ

ドリカム・アレルギー

2017年06月10日 22時16分28秒 | 音楽ネタ
ドリーム・アカデミー、ではない(分かってるって)

そんな訳で、今回のお題はDreams Come True(以下ドリカム)である。デビューは1989年だそうで、今年で27年、その間ずっとトップクラスの人気を維持し、一時は社会現象にもなり、ドリカムに影響されて音楽の道を志したアーティストも多いという。そういう点では賞賛に値する、と素直に思う。決して好きではないが(笑)

実は、僕はデビュー直後からドリカムを知っている。当時購読していた音楽雑誌の“今週のニューカマー”みたいなコーナーで、デビューしたばかりのドリカムが紹介されていたのだ。いつもなら、さらっと読み流して終わるのだが、ドリカムに関しては、何故かその名前をずっと記憶しており、彼らがブレイクした頃、あーあの時雑誌で見た連中だついに売れたのか、と思ったのを覚えている。けど、それだけ(笑)

もう10年以上前の事になるが、当ブログで、ドリカム批判って程でもないけど、ドリカムはどうも好きじゃない、あんなのどこが良いのか、というのをネタに記事を書いた事がある(こちらです^_^;) 不人気ブログにしては大きな反響があり、大勢の人からコメントを頂いた。賛同してくれた人、反論してきた人、よく言ったなぁと感心した人、これを聴けば考えが変わるからと音源を送ってきた人、等々反応は様々だったが、好き嫌いにかかわらず、ドリカムが世間の注目を集める存在である事が分かって、改めて驚いた。皆さんドリカムの事は、なんだかんだ言って、よく知っていたのだ。正に“国民的グループ”である。ドリカムと同様に、20年以上の長きに渡りJ-POPのトップに君臨するB'zでも、これほどの浸透度ではないだろう。テレビに出るか出ないかの違いだろ、と言われてしまえばそれまでだが(笑)

うむ、そういえば、25年くらい前、フジテレビ系のドリカムがレギュラーのバラエティ番組を、よく見ていた記憶がある。コントもやってた。結構面白かったな。だからと言って、決してファンだった訳ではないので念のため(爆)

ところで、最近「ドリカム・アレルギー」という言葉があるそうな。ドリカムはどうも好きではない、受け付けない、という人たちを、ドリカム・アレルギーと呼んでいるらしい。これだけの人気グループであれば、熱心なファンが多い反面、嫌いだという人がこれまた沢山いるのは当たり前で、そんなの昔から珍しくも何ともないのだが、何故今話題になるのか? あまりの人気者ゆえ、ドリカム嫌いなどと口にしようものなら、村八分にされ、就職も結婚もままならず、アパートも借りれず、クレジットカードも作れない、という暗黒の時代が長く続いた反動で、今になってアンチが声を上げ始めたのだろうか? って、そんな暗黒の時代あったのか?(爆) 僕、クレジットカード持ってますけど何か?(爆爆)

事の発端は、TBS系の『マツコの知らない世界』という番組だ。この『マツコの知らない世界』、なかなか面白いので、時々見てるが、マニアックな人たち(ほとんどは一般人ではなかろうか)が登場して、MCのマツコ・デラックスに自分の好きな物について熱く語る、という内容で、マツコの痛烈かつ無遠慮なツッコミに耐えたり無視したりしながら、切々と思いの丈を訴える出演者たちが実に健気で(たまに例外はあるが。笑)、ついつい引き込まれてしまう。元々こういうの好きだし(爆) 昔は深夜枠だったが、いつ頃からか、火曜日夜10時の放送になりはしたものの、内容自体は世間に迎合する事なくキープしているのは立派(笑) フリーズドライとかキャラ弁とかリカちゃん人形とかダムカレーとか、それぞれのマニアたちが披露する想いや蘊蓄がなかなかにめくるめく世界で、実にGoodな番組である(笑) そんな『マツコの知らない世界』に、ある日ドリカムの中村正人が出演して、「近頃、ドリカム・アレルギーの人が多い」と発言し、マツコ自身もドリカム・アレルギーである事を認めたことから、SNS等でドリカム・アレルギーという言葉が一気に広まったものらしい。

前述したように、僕もドリカムは好きじゃないので、ドリカム・アレルギーの一人という事になる。が、よくよく見てると、世間のドリカム嫌いたちがドリカムを受け付けない理由と、僕がブログに書いたドリカムが嫌いな理由とは、同じようでいて同じではない。彼ら曰く、ドリカム・アレルギーの原因はドリカムの曲の歌詞にあり、あまりにもポジティブでキラキラしてて前向きで明る過ぎるので、却って受け付けられない、という事らしいのだが、僕は、楽曲のレベルが低いのに人気ある、というのがドリカム嫌いの一番の理由であって、そこいらがちと違う。ま、大した事ではないが(笑)

ドリカムに限った事ではないが、最近というか、ここ十数年のJ-POPの歌詞って、似たような傾向にあると思う。確かに、「大丈夫だよ」「心配しないで」「きっと上手くいく」「信じる事が大事」「夢は必ず叶う」等々、意味も根拠もない、ただ単にポジティブな言葉を並べるだけ、というのが実に多い。どういう目的か知らないけど、皆を励まそうとしているのだろうかね(笑) 大きなお世話だが(爆) それと、「君の為なら強くなれる」「あなたといると優しくなれる」なんてのも多いね。上っ面だけの空虚な単語なんで、ちっとも響いてこないし。「立ち上がれ」「前を向いて」などと、鼓舞したり自立を促したりしてるようなのも目立つ。近頃の若者は、歌で激励されたり慰めたりして貰わないと、何も出来ないのか? 作る方・歌う方も、自分たちがみんなを勇気づけている、なんて、あぁ勘違いな妄想にとらわれているのだろう。

こんな感じで、使用する言葉が多少違うだけで、基本的には同じ内容の歌詞ばかりなので、結果的にはどれもこれも同じに聞こえてしまう。これ、聴く方も歌う方も大変ではないか? 同じ内容の曲ばかりだと、区別がつかなくて、歌詞を覚えられないのでは? なんて、どうでもいい心配をしてしまうが(笑)

こういう歌詞ばかりで、どれを聴いても作り手の個性・感性みたいなのが伝わってこないから、近頃のJ-POPはどれも同じで面白くないのだ、と僕は思う。今のJ-POPの作り手たちの大半は、グレードの高い作品を作る事より、聞き手の共感を得る事を狙っている。なので、前述のようなポジティブ・ソングか、そうでなければ、ミョーに独りよがりの世界ばかりが出回るのである。歌詞に深みがないとか、ドラマがないとか、そういうのは、聞き手の共感を得られないから作らない、或いはそんな作品は作れないので、安直にウケる方向に走る。必然的に、作者の特徴というか個性が薄くなるので、どれが何か判別しづらくなる。昔の曲に比べると、最近の曲は歌詞が覚えられないけど、それは決して、特定の世代の記憶力の低下によるものだけではない、と僕は思う(爆)

ついでに言うと、歌詞のみならず曲構成も、ここ20年ほどのJ-POPはパターン化している。ほとんどの曲は、Aメロ→Bメロ→サビ、という構成だ。スローな曲・アップテンポな曲、或いは、明るい曲・悲しい曲、という曲想の違いはあっても、曲構成は同じだがら、何曲か続けて聴いていると、どれも同じに思えてだんだん飽きてくる。バラエティ豊かなアルバム、というのは、曲想のみならず、曲構成・歌詞などの変化によってもたらされる、と思うんだけとね。これ、目立たないけど重要ではなかろうか。

と、話を戻してドリカム・アレルギーだが、そこまでドリカムの曲の歌詞がポジティブだとは思わなかったけど(暗い歌詞の曲も聴いた事あるような気がするし)、ドリカムが好きな人ばかりではなく、嫌いな人がいるのも当然で、ドリカム嫌いです、と公言してもいいのでないかと思う。ま、良い意味での多文化共生だね(違)ま、どうでもいい事ではあるが(爆)

個人的には、ドリカムって、それほど狙ってるとは思わない。中村正人はともかく、吉田美和は狙ってないな。あれ、自然とそうなってるんだろうと思う。中村正人にしても、結構マニアックで、楽曲のそこかしこにそんな嗜好が垣間見れるが、それはあくまでもマニアックな歓びであって、ウケ狙いとは違うものではないか、という気がする。あ、別にドリカムを擁護してるのではありませんので念のため(爆)
コメント (8)
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