日々の覚書

MFCオーナーのブログ

ブログ書くために生きてるようなもの

2008年09月07日 11時16分01秒 | インポート

いきなりで何だが(笑)、これは読売新聞の読者川柳コーナーに掲載されたものである。

川柳であるし、読んでそのままの意味であると思うが、よくよく見てると、この川柳は2通りの解釈が出来ると思われる。

ひとつは、

毎日毎日単調な生活の繰り返し、ただ漫然と時が過ぎるのを見ているだけ、景気も悪く給料も上がらないし、将来の夢も希望もない、ストレスも溜まる一方で、結局夜な夜なブログに不平不満を綴って発散させるだけの人生である

もうひとつは、

ブログを開設してからというもの、何を見てもブログネタにならないかと、そればかり考えるようになってしまい、嬉しい事も悲しい事も悔しい事も、とにかく何でもブログに書かねば気が済まない、ネタを探す為に日々暮らしているようなものだ

とまぁ、こんな感じかと^^;。どっちが近いのかは、本人に聞いてみないと分からないけど。

ブログと一口に言っても、内容は実に様々で、政治・社会について大局的な意見を述べてるブログもあれば、ひたすら趣味の世界に走るブロクもあり、また文字通り日記を綴っているのもあるし、自作の小説や詩を披露しているのだってある。ブロガーでも、書くことがストレス解消になってる人もいるだろうし、ネタをじっくりと熟成させて書く人もいるだろう。ブログを書くことによって、知人に自分の無事を知らせている、なんて目的の人もいたりするし、ほんとブログって色々な使われ方をしているのだ。

そんな中で、この川柳のように、ブログを書く為に生きている、なんて感じてる人もいるだろう。ブログ書くしかする事ない、とか。ネットに興味ない人からすると、なんか暗い行為だなぁ、なんて所だろうけど、これはこれで、気持を落ち着かせたりする効果もあると思うし、感じた事を素直に書くことによって、自己確認も出来る。必要ないなら、それでいいと思うが、ブログを書く(または物を書く)という行為は、結構精神を安定させる役に立っているのではなかろうか。

なので、ブログ開設したはいいけど、書くことなくなったり面倒臭くなったりして、ブログを放置したままで、止めようかと思っている、という人には、とりあえず残しておいて、しばらく経ったらまた書き始めてはどうか、と僭越ながら申し上げたい。

しかし、この川柳の作者が実際にブロガーなのかどうか分からないが、ネット社会を象徴するブログという言葉が川柳に使われ、新聞という非常にアナクロなメディアに掲載される、という現象が非常に興味深い。つーか、一般的なブロガーだったら、投稿して審査を経てようやく掲載される、なんて面倒なプロセスを踏むより、自分とこに載せるだろう、と思うけど。皆さんはどう思われます?

所で、昔から“サラリーマン川柳”なんてものがあり、見てるとなかなか面白いのだが、かなり前に見た“サラリーマン川柳”で、20年近くの年月を経ても、未だに印象深い句がある。これを超える句はないような気すらする。

それは、

2メートル先の席まで15年

実に笑える。身につまされる(爆) サラリーマンよ、頑張れ!

コメント (2)
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