いつもながらであるが仕事で前担当分野であるが、最後の最後においても「ポカ」をしてしまった。
こんなはずではないと思うも、よく考えれば少し焦りすぎ、大した吟味もせずにやってしまったと思い起こされる。とにかく失敗してしまった、後任の担当者にはたいへんなご迷惑をかけてしまうし、関係各位からも叱責というより失笑をいただいているに違いない、とにかく反省しきりの自分ではあります。
さて、タイトルの遠野旧事記 遠野在住の小原六郎先生が3年の年月をかけて、阿曽沼氏遺臣、宇夫方氏の末裔、遠野南部家臣、宇夫方広隆がまとめた「遠野旧事記」を現代語訳をして刊行したものです。
江戸時代の遠野の様子、遠野南部家のこと、武士の暮らし等・・たいへん読みやすく訳されております。
こうした先生方や先人の努力によって郷土史という分野が益々身近に感じられ、さらに後の研究者の資料として活用される・・・私はすばらしいことと思いますが、是非に私も将来、何かしら成してみたい・・そんな思いでもありますが、まずは古文書等を読み下す力を養わなければならない・・またもっと駒木に虎猫あり・・なんていうこともアピールし、色々な方々からのご助言なりご教授もうけなければ、こちらも成り立たないことでもあります。・・まんつ、このごどは、かばなす・・ということで・・・。
ちなみに小原先生とは面識はございませんが、実は遠野中学校時代、私は一年生のときに先生に社会科を教えられました。いわば教え子のひとりということでもありますが、目立たない私は記憶にも印象にも残っていないものと思います。
先生は授業の中で「海上の八幡座は源義家が陣を敷いて座して休んだから八幡座と言うのだ・・」と「そこから矢を放った先が矢崎となった」と私に教えてくれました。早速、その夜、親父に訪ねますと全くそのとおり・・と言っていたのが思い出されます。
私の郷土史好きの原点は、ここら辺にもあるかもしれません・・。
こんなはずではないと思うも、よく考えれば少し焦りすぎ、大した吟味もせずにやってしまったと思い起こされる。とにかく失敗してしまった、後任の担当者にはたいへんなご迷惑をかけてしまうし、関係各位からも叱責というより失笑をいただいているに違いない、とにかく反省しきりの自分ではあります。
さて、タイトルの遠野旧事記 遠野在住の小原六郎先生が3年の年月をかけて、阿曽沼氏遺臣、宇夫方氏の末裔、遠野南部家臣、宇夫方広隆がまとめた「遠野旧事記」を現代語訳をして刊行したものです。
江戸時代の遠野の様子、遠野南部家のこと、武士の暮らし等・・たいへん読みやすく訳されております。
こうした先生方や先人の努力によって郷土史という分野が益々身近に感じられ、さらに後の研究者の資料として活用される・・・私はすばらしいことと思いますが、是非に私も将来、何かしら成してみたい・・そんな思いでもありますが、まずは古文書等を読み下す力を養わなければならない・・またもっと駒木に虎猫あり・・なんていうこともアピールし、色々な方々からのご助言なりご教授もうけなければ、こちらも成り立たないことでもあります。・・まんつ、このごどは、かばなす・・ということで・・・。
ちなみに小原先生とは面識はございませんが、実は遠野中学校時代、私は一年生のときに先生に社会科を教えられました。いわば教え子のひとりということでもありますが、目立たない私は記憶にも印象にも残っていないものと思います。
先生は授業の中で「海上の八幡座は源義家が陣を敷いて座して休んだから八幡座と言うのだ・・」と「そこから矢を放った先が矢崎となった」と私に教えてくれました。早速、その夜、親父に訪ねますと全くそのとおり・・と言っていたのが思い出されます。
私の郷土史好きの原点は、ここら辺にもあるかもしれません・・。