八戸在住の湊丸氏をご案内しての遠野城舘跡探訪、冬の陣2006も二日目、最終日となりますが、午前中勝負の2箇所限定として、実施いたしました。
小雪混じりの冷風が肌を突き刺す中、最初に土淵町の本宿館を探訪、今回の舘跡探訪では天候もさることながら、良好な遺溝等の発見もままならず・・・といった雰囲気、2日間で6箇所は探訪したいと考えていたが、4箇所に止まりました。
本格的な降雪時期までの短い間にあと何箇所攻略できるかはわかりませんが、なんとか少なくても3箇所は探訪したい、そんな思いだけが先走っている現状です。
本宿館から常堅寺(かっぱ淵)方面を望む・・・・さみ~~(鼻水)

さて、本日のお題・・・「来内館と伊豆権現」
来内館(上郷町)の探訪は早期に実現させたいと以前から考えていたことですが、比高も40mと低く、なだらか、空掘有と資料に記述されていたので、割と簡単に探訪できると思っておりました。
リンクいただいている「遠野なんだり、かんだり」(管理人・笛吹童子さん)で伊豆権現の創始に関わる内容をエントリーしておりますが、私も不勉強ながら興味があってコメントをしたりしております。
そん中での来内館の探訪、私としては来内館の探訪と共に伊豆権現創始に関わる何かを城跡探訪という郷土史分野からの糸口として切り崩したい、そんな目論見も事実ありました。
伊豆権現

事前の館跡の位置調べでは、来内館は伊豆権現社のある山野と同じという情報を入手、これは舘跡の一部に伊豆権現社を勧進したに違いない、舘跡に鎮座する社の多くは、館が廃れた後にその場所に建立といったことが多く、もしや伊豆権現は来内館の機能が停廃した後のものか、それとも別場所から移されたものか、このことへのこだわりも見え隠れする気持ちでもありました。
大同年間とされるその創始、1千2百年の時の流れ、舘跡ひとつの探訪でこの悠久の時の流れが微塵にも砕け散る、なんという妄想と思いながらまずは伊豆権現へ・・・館跡と思われる段状の地形、これはまさしく・・・と思うも、他に目立った遺溝等はなし、社殿背部の山野も探索、こちらも何もない・・・これは空振りか・・・いやっ、住所的には此処だっ・・・ということでお隣のお宅のご年配の女性に訪ねる、「おひらやま」「ひらやまさん」とそのご年配の女性は言う、さらに八戸から南部さんが来た後に私達はここ来内に来た一族だけど、舘跡は「おひらやま」と呼んでいる・・・親切に教えてくれました。
それにしてもその後も地域の歴史のことなども若干講釈していただきましたが、かなり詳しい・・・恐れ入りました。
その中での「おひらやま」とは「お城山」と解釈、「ひらやまさん」は「平山姓」の館主でもいたのかと思いましたが、どうやら「おひらやま」と「ひらやまさん」は同意語で、お城山に敬意を込めた言い方が「ひらやまさん」だと私は認識しましたが、その方への突っ込みはできずに勝手に判断いたしました。違うかもしれませんが・・・・。
とにかく場所を教えられ突入、笹薮を漕ぎ、なだらかどころではない、たいへんな思いをして、とある場所に到達、空掘らしい遺溝を発見、他に帯郭らしい段状の形状も確認、少し物足りない雰囲気はありましたが、まずは舘跡は此処で間違いなそうです。
来内館

伊豆権現社のある山野と尾根で繋がってはいるが、距離にして200メートルは離れている。
さらに教えられた山野は〆田方面への道路側が正面のような雰囲気でしたが、実際はその山野の背後(西側)で、正面は奥まってはいるが蕨峠への道側で、気仙からの要衝といった雰囲気は十分に感じ取れました。
ただ、少し距離はあるものの、伊豆権現は来内館の館神といった感覚も未だ消えず、館或いは地域の鎮守的な何かあったものなのか、単に早池峰山との関わりだけではなく、地域に根ざした歴史、民俗的な何かがあるのは確かなことだろうと思いますし、館はその地域の防備の要、地域を治める館主と社の関係、これは郷土史分野からの切り崩しもそうは簡単にはいかないな・・・と大きく反省しているところです。
(ラオウに立ち向かうも触れることさえ叶わず、その剛拳、一撃で倒された南斗五車星・風のヒューイの如く)
1千2百年、その時の重さは素人郷土史家もどきでは手に負えないと、今回は大人しく館本来の歴史等に重点を置きたいと思います。
いずれ、この方面からの考察、糸口を探りつつ、挑戦したいと思います。
おまけ
湊丸さんをご案内して、夜の遠野街へ・・・。
今回は、居酒屋2件のはしご、締めのラーメンとなりました。

昭和通りの二軒の居酒屋で軽く懇親会

遠野で一番目に付くネオンサイン
そして、〆は親不孝の手打ちラーメン

「つるや」の手打ちみそラーメン・・・今回はカツ丼ではありません・・・笑
ラーメン三連発
館めぐり初日の昼食は食肉センターの食肉ラーメン、夜の〆は、つるや・・・・翌日の解散会(昼食)は宮守の銀河亭の、ごまみそラーメン

ごまみそラーメン・・・サラダ食べ放題がうれしい
銀河さんがご紹介していた激辛ラーメンを食べようと思いましたが、メニューにない、辛口ラーメンのことかと判断して湊丸さんが注文しましたが、辛口党の湊丸さんには歯が立たず、胡椒、一味唐辛子をバンバン入れて食べても辛くないとのこと、恐るべし湊丸氏・・・・。
2日間ありがとうございました。
また来春、お願いします。
小雪混じりの冷風が肌を突き刺す中、最初に土淵町の本宿館を探訪、今回の舘跡探訪では天候もさることながら、良好な遺溝等の発見もままならず・・・といった雰囲気、2日間で6箇所は探訪したいと考えていたが、4箇所に止まりました。
本格的な降雪時期までの短い間にあと何箇所攻略できるかはわかりませんが、なんとか少なくても3箇所は探訪したい、そんな思いだけが先走っている現状です。
本宿館から常堅寺(かっぱ淵)方面を望む・・・・さみ~~(鼻水)

さて、本日のお題・・・「来内館と伊豆権現」
来内館(上郷町)の探訪は早期に実現させたいと以前から考えていたことですが、比高も40mと低く、なだらか、空掘有と資料に記述されていたので、割と簡単に探訪できると思っておりました。
リンクいただいている「遠野なんだり、かんだり」(管理人・笛吹童子さん)で伊豆権現の創始に関わる内容をエントリーしておりますが、私も不勉強ながら興味があってコメントをしたりしております。
そん中での来内館の探訪、私としては来内館の探訪と共に伊豆権現創始に関わる何かを城跡探訪という郷土史分野からの糸口として切り崩したい、そんな目論見も事実ありました。
伊豆権現

事前の館跡の位置調べでは、来内館は伊豆権現社のある山野と同じという情報を入手、これは舘跡の一部に伊豆権現社を勧進したに違いない、舘跡に鎮座する社の多くは、館が廃れた後にその場所に建立といったことが多く、もしや伊豆権現は来内館の機能が停廃した後のものか、それとも別場所から移されたものか、このことへのこだわりも見え隠れする気持ちでもありました。
大同年間とされるその創始、1千2百年の時の流れ、舘跡ひとつの探訪でこの悠久の時の流れが微塵にも砕け散る、なんという妄想と思いながらまずは伊豆権現へ・・・館跡と思われる段状の地形、これはまさしく・・・と思うも、他に目立った遺溝等はなし、社殿背部の山野も探索、こちらも何もない・・・これは空振りか・・・いやっ、住所的には此処だっ・・・ということでお隣のお宅のご年配の女性に訪ねる、「おひらやま」「ひらやまさん」とそのご年配の女性は言う、さらに八戸から南部さんが来た後に私達はここ来内に来た一族だけど、舘跡は「おひらやま」と呼んでいる・・・親切に教えてくれました。
それにしてもその後も地域の歴史のことなども若干講釈していただきましたが、かなり詳しい・・・恐れ入りました。
その中での「おひらやま」とは「お城山」と解釈、「ひらやまさん」は「平山姓」の館主でもいたのかと思いましたが、どうやら「おひらやま」と「ひらやまさん」は同意語で、お城山に敬意を込めた言い方が「ひらやまさん」だと私は認識しましたが、その方への突っ込みはできずに勝手に判断いたしました。違うかもしれませんが・・・・。
とにかく場所を教えられ突入、笹薮を漕ぎ、なだらかどころではない、たいへんな思いをして、とある場所に到達、空掘らしい遺溝を発見、他に帯郭らしい段状の形状も確認、少し物足りない雰囲気はありましたが、まずは舘跡は此処で間違いなそうです。
来内館

伊豆権現社のある山野と尾根で繋がってはいるが、距離にして200メートルは離れている。
さらに教えられた山野は〆田方面への道路側が正面のような雰囲気でしたが、実際はその山野の背後(西側)で、正面は奥まってはいるが蕨峠への道側で、気仙からの要衝といった雰囲気は十分に感じ取れました。
ただ、少し距離はあるものの、伊豆権現は来内館の館神といった感覚も未だ消えず、館或いは地域の鎮守的な何かあったものなのか、単に早池峰山との関わりだけではなく、地域に根ざした歴史、民俗的な何かがあるのは確かなことだろうと思いますし、館はその地域の防備の要、地域を治める館主と社の関係、これは郷土史分野からの切り崩しもそうは簡単にはいかないな・・・と大きく反省しているところです。
(ラオウに立ち向かうも触れることさえ叶わず、その剛拳、一撃で倒された南斗五車星・風のヒューイの如く)
1千2百年、その時の重さは素人郷土史家もどきでは手に負えないと、今回は大人しく館本来の歴史等に重点を置きたいと思います。
いずれ、この方面からの考察、糸口を探りつつ、挑戦したいと思います。
おまけ
湊丸さんをご案内して、夜の遠野街へ・・・。
今回は、居酒屋2件のはしご、締めのラーメンとなりました。

昭和通りの二軒の居酒屋で軽く懇親会

遠野で一番目に付くネオンサイン
そして、〆は親不孝の手打ちラーメン

「つるや」の手打ちみそラーメン・・・今回はカツ丼ではありません・・・笑
ラーメン三連発
館めぐり初日の昼食は食肉センターの食肉ラーメン、夜の〆は、つるや・・・・翌日の解散会(昼食)は宮守の銀河亭の、ごまみそラーメン

ごまみそラーメン・・・サラダ食べ放題がうれしい
銀河さんがご紹介していた激辛ラーメンを食べようと思いましたが、メニューにない、辛口ラーメンのことかと判断して湊丸さんが注文しましたが、辛口党の湊丸さんには歯が立たず、胡椒、一味唐辛子をバンバン入れて食べても辛くないとのこと、恐るべし湊丸氏・・・・。
2日間ありがとうございました。
また来春、お願いします。