知られざる遠野郷の城館跡探訪、未踏の館跡あと2箇所位がいいところかと考えていたが、地元松崎町内の館跡の充実を・・・・そんな思いから急遽路線変更となり、今回で6度目の探訪となる松崎館を見てきました。
松崎館
サイトでお世話になっております東京都の深円さん、八戸市の湊丸さんは私の城館跡探訪の師匠格、この二人との出会いがなければ、私は遠野市内の眠れる城館跡の探訪、調査は未だにしていないと思っております。
この地元の城館跡の探訪により自分での郷土史分野の裾野が広がり、さらに奥が深まりましたが、その分、より一層知識も増え、想像も豊かになったことは事実ですが、何よりも数百年前の知られざる史跡を直接観る事、触れること、この楽しみは言い様のないなんともいえない感覚でもあります・・・汗
さて、6度目となる松崎館、今までの探訪調査により見取図的なものは描いてはいましたが、もっと本格的な縄張図的なものを残したい、そんな思いから路線を変更して、まずは地元松崎町内の城館跡を残り僅かな今季と来春早々に実施して再構築と考えております。
さらに160箇所近くは存在するという遠野市内の城館跡、まだまだ一巡はしておりませんが、今まで探訪した城館跡の再訪も視野に入れて図面等や画像の差し替えも考えております。
いずれこの分野において、資料性の高い内容を考慮、実践していくを目指したいと思います。
松崎館の帯郭
何度となく通った松崎館、館跡廻りをはじめた当初は、その5重の堀跡に驚愕し、そのすばらしさに酔いしれたこともございましたが、後から探訪した市内の館跡もすばらしく、むしろ松崎館は堀だけでしかも館域が小さいのではないかと感じてしまう程でした。
しかし、今回、よりじっくりと探訪しますと、その規模も狭いものではなく、ひとつひとつの遺溝もしっかり残され、また吟味して築館されたものだと感心するすばらしい館であると改めまして認識いたしました。
無論、背面の峰を断ち切る5重の堀は健在で、何度見ても凄いと思わせます。
北側の堀群跡
なお、松崎町では地連協とか歴史研究会を中心に、松崎館を市指定史跡に・・・と要望しているようです。
私も大賛成ですが、遠野市全部の城館跡がその対象であればこれまた嬉しいのですがね・・・笑
稲荷神社、熊野神社
松崎館跡のある山野入口に鎮座する二つの社
矢崎館跡
松崎館の隣の山野に矢崎館があると古老は語り、また地元資料等にも記載されている。
しかし、その位置を示す簡略図と説明書きが一致しない点で、その場所の特定が出来なかったのですが、松崎館探訪の折に周辺の探索もと考えてもおりましたので、目星を付けていた山野へも足を伸ばして探訪してまいりました。
2重の堀
松崎館の頂部から峰を巻くように杉林に覆われた一段低い山野へ突入・・・・杉林に入る直前に峰を断ち切る2重堀を発見・・・・これも見事・・・主郭とみなす平場も遠野では標準サイズ、しっかりと主郭を取り巻く数段の帯郭も残され、しかも前面であろう東側には3段の帯郭も配置されている・・・これもなかなかの館跡・・・・。
地元郷土資料等には松崎館の関連は不明とし、中にはチャシ(蝦夷の原始砦)跡としているものもある。
私はチャシとする考えには賛成はできない、理由は長くなるので本編サイトの更新時に付記したいと思いますが、その造りは他の遠野市内の戦国時代のものであろう館との相違が見られない点、むしろ仲間内でいう遠野規格の城館という雰囲気があり、さらなる調べと考察も必要と思います。
ただ、松崎館との関係、使われていた時代は、それとも松崎館は二つの郭からなる大掛かりな館だったのか・・・・疑問を感じる場面でもあります。
なお、矢崎館としていますが、本来の矢崎館は別場所にあるかもしれないということも視野に入れております。
おまけ・・・・
白鳥話題の遠野ぶれんど・・・・当方も松崎に、はぐれ白鳥でも居ないかな・・・と思ってましたが・・・・白い大きな鳥が車の窓越しに見える。
望遠レンズに付け替え撮影すると・・・白鳥ではなかった、白鷺?・・・サギにあった気分・・・・笑・・・(前も使ったかな?)・・・笑
松崎館
サイトでお世話になっております東京都の深円さん、八戸市の湊丸さんは私の城館跡探訪の師匠格、この二人との出会いがなければ、私は遠野市内の眠れる城館跡の探訪、調査は未だにしていないと思っております。
この地元の城館跡の探訪により自分での郷土史分野の裾野が広がり、さらに奥が深まりましたが、その分、より一層知識も増え、想像も豊かになったことは事実ですが、何よりも数百年前の知られざる史跡を直接観る事、触れること、この楽しみは言い様のないなんともいえない感覚でもあります・・・汗
さて、6度目となる松崎館、今までの探訪調査により見取図的なものは描いてはいましたが、もっと本格的な縄張図的なものを残したい、そんな思いから路線を変更して、まずは地元松崎町内の城館跡を残り僅かな今季と来春早々に実施して再構築と考えております。
さらに160箇所近くは存在するという遠野市内の城館跡、まだまだ一巡はしておりませんが、今まで探訪した城館跡の再訪も視野に入れて図面等や画像の差し替えも考えております。
いずれこの分野において、資料性の高い内容を考慮、実践していくを目指したいと思います。
松崎館の帯郭
何度となく通った松崎館、館跡廻りをはじめた当初は、その5重の堀跡に驚愕し、そのすばらしさに酔いしれたこともございましたが、後から探訪した市内の館跡もすばらしく、むしろ松崎館は堀だけでしかも館域が小さいのではないかと感じてしまう程でした。
しかし、今回、よりじっくりと探訪しますと、その規模も狭いものではなく、ひとつひとつの遺溝もしっかり残され、また吟味して築館されたものだと感心するすばらしい館であると改めまして認識いたしました。
無論、背面の峰を断ち切る5重の堀は健在で、何度見ても凄いと思わせます。
北側の堀群跡
なお、松崎町では地連協とか歴史研究会を中心に、松崎館を市指定史跡に・・・と要望しているようです。
私も大賛成ですが、遠野市全部の城館跡がその対象であればこれまた嬉しいのですがね・・・笑
稲荷神社、熊野神社
松崎館跡のある山野入口に鎮座する二つの社
矢崎館跡
松崎館の隣の山野に矢崎館があると古老は語り、また地元資料等にも記載されている。
しかし、その位置を示す簡略図と説明書きが一致しない点で、その場所の特定が出来なかったのですが、松崎館探訪の折に周辺の探索もと考えてもおりましたので、目星を付けていた山野へも足を伸ばして探訪してまいりました。
2重の堀
松崎館の頂部から峰を巻くように杉林に覆われた一段低い山野へ突入・・・・杉林に入る直前に峰を断ち切る2重堀を発見・・・・これも見事・・・主郭とみなす平場も遠野では標準サイズ、しっかりと主郭を取り巻く数段の帯郭も残され、しかも前面であろう東側には3段の帯郭も配置されている・・・これもなかなかの館跡・・・・。
地元郷土資料等には松崎館の関連は不明とし、中にはチャシ(蝦夷の原始砦)跡としているものもある。
私はチャシとする考えには賛成はできない、理由は長くなるので本編サイトの更新時に付記したいと思いますが、その造りは他の遠野市内の戦国時代のものであろう館との相違が見られない点、むしろ仲間内でいう遠野規格の城館という雰囲気があり、さらなる調べと考察も必要と思います。
ただ、松崎館との関係、使われていた時代は、それとも松崎館は二つの郭からなる大掛かりな館だったのか・・・・疑問を感じる場面でもあります。
なお、矢崎館としていますが、本来の矢崎館は別場所にあるかもしれないということも視野に入れております。
おまけ・・・・
白鳥話題の遠野ぶれんど・・・・当方も松崎に、はぐれ白鳥でも居ないかな・・・と思ってましたが・・・・白い大きな鳥が車の窓越しに見える。
望遠レンズに付け替え撮影すると・・・白鳥ではなかった、白鷺?・・・サギにあった気分・・・・笑・・・(前も使ったかな?)・・・笑