穏やかながら青空が見えない一日・・・。
午後から野暮用があったので、お昼前に松崎界隈を愛車でネタ探し・・・汗
上松崎橋から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/72/624b308e2e767747ef3113fb9b9240c4.jpg)
観光の人だろうか?おそらく・・・自転車で遠野めぐりができる季節到来ですね、我長男も自転車でクラブ活動に登校したようでもあります。
上松崎から矢崎へ
矢崎バス停
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/ab/e0a75348e2df258da455367197a1789a.jpg)
午後、用向きがあって外出、夕方帰宅すると青空が広がっていた。
再びカメラ持参で近所を散策・・・・。
さて、遠野のマスコットといえば河童がその代表であろう。
遠野物語やら民話等でも河童の話が出てきますが、その大半は土淵町に集約されている。
私の住む松崎町内にも河童の話はあるのですが、松崎町駒木においては河童の伝承やら昔話的な内容は聞いたことがない。
母なる川、猿ヶ石川が縦断する地域、河童の話のひとつでもあってもおかしくないし、河童が居そうな大きな淵だってあったであろう・・・・。
それとも駒木の語源に関連する馬産業が盛んな地域であったので、馬にその主役をとって代わられたのであろうか?・・・いやっ、馬と河童はセットとして語られもしている、なのに何故・・・・笑
全く妄想めいた話であるが、遠野阿曾沼氏を考察し始めた頃、阿曾沼氏没落後、人里離れた山間に隠れるように住む阿曾沼縁の人々は、特異な存在としての河童や山人、天狗として里の人々を驚愕させ、自分達のテリトリーに近づけないようにした、或いは里の人々が作り上げ特異な存在として隔離したのではないのか?土淵や松崎の光興寺はそんな隠れ里があったのではないのかと・・・?
駒木のように南部利直側に付いた武家が治めた地には、当然ながら阿曾沼氏縁の人々が住めるはずもなく・・・・と考えたりした時期もありました。
全くもって妄想なのですが、しかし、ちょっとくらいはこんなこともあったのではないのかと考えたりして・・・・。
駒木の河童関連
大柳橋付近
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/88/ebe166231441405ccc3b0331564bcd3c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/83/7b2ebe6aa390227d764a538934212576.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/6a/6013dd2ba39612ee36b8bbf176eb64df.jpg)
でもこれが一番ですかね・・・笑
矢崎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/00/ed2fa7406e8b0825a5f57fe2697cdf96.jpg)
思わずご苦労様です・・・と言いたくなりますね・・・笑
おまけ
間もなくです・・・笑
氷筍探検隊で「おだって」着用しましたが、これからが本格的に被る時期到来です。
午後から野暮用があったので、お昼前に松崎界隈を愛車でネタ探し・・・汗
上松崎橋から
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観光の人だろうか?おそらく・・・自転車で遠野めぐりができる季節到来ですね、我長男も自転車でクラブ活動に登校したようでもあります。
上松崎から矢崎へ
矢崎バス停
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午後、用向きがあって外出、夕方帰宅すると青空が広がっていた。
再びカメラ持参で近所を散策・・・・。
さて、遠野のマスコットといえば河童がその代表であろう。
遠野物語やら民話等でも河童の話が出てきますが、その大半は土淵町に集約されている。
私の住む松崎町内にも河童の話はあるのですが、松崎町駒木においては河童の伝承やら昔話的な内容は聞いたことがない。
母なる川、猿ヶ石川が縦断する地域、河童の話のひとつでもあってもおかしくないし、河童が居そうな大きな淵だってあったであろう・・・・。
それとも駒木の語源に関連する馬産業が盛んな地域であったので、馬にその主役をとって代わられたのであろうか?・・・いやっ、馬と河童はセットとして語られもしている、なのに何故・・・・笑
全く妄想めいた話であるが、遠野阿曾沼氏を考察し始めた頃、阿曾沼氏没落後、人里離れた山間に隠れるように住む阿曾沼縁の人々は、特異な存在としての河童や山人、天狗として里の人々を驚愕させ、自分達のテリトリーに近づけないようにした、或いは里の人々が作り上げ特異な存在として隔離したのではないのか?土淵や松崎の光興寺はそんな隠れ里があったのではないのかと・・・?
駒木のように南部利直側に付いた武家が治めた地には、当然ながら阿曾沼氏縁の人々が住めるはずもなく・・・・と考えたりした時期もありました。
全くもって妄想なのですが、しかし、ちょっとくらいはこんなこともあったのではないのかと考えたりして・・・・。
駒木の河童関連
大柳橋付近
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でもこれが一番ですかね・・・笑
矢崎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/00/ed2fa7406e8b0825a5f57fe2697cdf96.jpg)
思わずご苦労様です・・・と言いたくなりますね・・・笑
おまけ
間もなくです・・・笑
氷筍探検隊で「おだって」着用しましたが、これからが本格的に被る時期到来です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/24/159b8d45edbb745de3b10945a8d259d4.jpg)