北東北もいよいよ梅雨入り、長い梅雨が明ければ本格的な暑い夏がやってくるはず、昨年は猛暑、酷暑であったが今年の夏はどうなるのか?秋の実りは?・・・まずはそれほど鬱陶しくない梅雨であれば・・・と願っております。
さて、郷土史関連での三本柱「遠野阿曾沼氏」「遠野南部氏」そして阿曽沼時代に付随するも「遠野菊池一族」・・・・菊池一族というよりも菊池姓探求といった内容でもありますが、この菊池姓探求関連もひとつの懸案といった位置付けでもあります。
本日、何か遠野の菊池姓関連での新発見はないものか?微かな期待を込めて市の図書館に午後行って参りましたが、蔵書としての書籍、資料は以前から知っているものばかりでこれといった内容を得るということは難しいかな、なんて思いながらも再確認といった意味合いでも新発見はよくあるもの、そう言い聞かせて書棚を物色していると・・・・・。
遠野菊池の会刊行・・・・
以前見たことはあったけど、昨年辺りか?・・・ツラツラと頁をめくると九州は熊本の菊池一族の系図やら、菊池姓研究の先生方の書籍を参考にしたと思われる内容が目に留り、それほど詳しいものではないな・・・なんて判断してしまい眼中になかった書籍でもありました。
しかし、今回、よくよく読んでみると、これがどうして・・・なかなか・・・な内容が・・・・特に民俗的分野からの簡略ながらも考察が加えられていたり、興味ある内容が記述されている。
全く、中身もよく読まないで見た目だけで判断してしまっていた自分が情けないと反省しているところです。
私の遠野菊池姓の探求では、どうしても歴史的な何かに走りがちであるが、民俗分野からの切り口も実は必要であると痛感しているところで、そのひとつに熊野神社と菊池一族という関係がひとつのキーワードであると考えておりました。
この書籍では、この分野も網羅され考察もなされており、私の今後の探求がひとつ省かれた思いもあって、まさに少しだけ驚いております。
遠野の熊野神社(旧遠野)
金比羅神社(早瀬)・・・松崎町光興寺の熊野社を合祀
松崎町・・・熊野三山(白岩)
綾織町・・・2箇所、石上神社・熊野神社(新里)
附馬牛町・・4箇所、熊野神社(沢の口)、(大萩)、(下附馬牛熊の林)、(大袋)、(附馬牛安居台)
土淵町・・・4箇所、高山神社(栃内恩徳)、熊野神社(山崎)、(山口)、(飯豊)
青笹町・・・1箇所、熊野神社(中下)
上郷町・・・3個所、熊野神社(佐比内)、(板沢)、(細越)
小友町・・・篠神社(土室)
以上18社とあるが、他にもまだありそうな気配、岩手神社登録では上郷町佐比内と宮守達曽部、そして釜石の橋野、栗林の熊野神社が旧上閉伊郡としては4箇所のみ登録されているという・・・。「菊池一族の誇り」掲載を引用参照。
ここでの考察では、遠野における菊池姓繁華の地での熊野神社は極めて少ないこと、現代感覚を脱ぎ捨てて少し昔を想像しても菊池一族との接点を求めるには乏しい内容でもある。
菊池姓が少ない附馬牛町に4箇所の熊野神社、逆に多い小友や青笹には1社、これは何を意味するのだろう・・・・。
一部、土淵町の菊池姓の多い地区、飯豊に熊野神社があるということは少しばかり頷けることでもありそうで、花館を有する青笹町沢田地区との隣接を考えれば、これはこれで納得という場面もありますが、それでも全体的には菊池姓と熊野神社との関わりは見えて来ない。
土淵町栃内(山崎)
熊野三山と中世遠野領主であった阿曽沼氏との関連は資料等では確認できるようですが、少なくても近世での遠野菊池一族と熊野神社との関わりは見えてこない点、これはひとつの発見でもあり、納得せざるを得ない内容でもありそうです。
無論、これはあくまでも遠野での内容のこと、紀州熊野と菊池一族の関わりは資料等でもある程度明らかになっていますので、さらなる研究は必要でもあります。
今回は知る人ぞ知る、知らない人は知らない「遠野菊池の会」で刊行した書籍を基に少し考えてみましたが、今現在みる遠野の菊池姓関連の著書ではかなりいい線を行っている書籍であると思います。
これは今後活用しながら、自分でひとつひとつ確かめながら菊池姓探求に役立てたいと思っているところです。
弐も後日エントリー予定です。
おまけ・・・・
増改築工事にて床下部分・・・・コンクリートを流し込んで後は乾くのを待つのみということで、大工さんが少し早めに帰られましたが・・・・・汗・・・これは・・・・。
ありゃ・・・汗
東京浅草の有名芸人やアメリカハリウッドのスター達の足跡や手形がありますが、ネネがやはりやってしまった・・・・笑
数十年後、息子が家を建替える時に今の家を取り壊す際に当時の飼猫であるネネをきっと思い起こすに違いない・・・・笑