「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

祖父の勲章

2006-02-15 14:58:46 | その他
 祖父・・・昭和18年1月2日・ガダルカナル島にて戦死・享年38歳

 男系が短命だったりと女系家族の我家だったそうですが、祖父は昭和元年、20歳で下閉伊郡小国村(現川井村小国)から婿養子として我家の当主となった人でもありました。
 生業は大工さん、腕のよい大工さんとして評判だったとかで、また家業の農業もよく働く人だったそうです。(子孫の私とはえらい違い・・汗)

 私の生まれる以前の人でもありますから、記憶も何も、私などが語れることはほとんどありませんが、もの心つく頃には床の間の上に額に納められた勲章が飾られておりました。
 
 祖母の話では、この辺から出征した人達の中では階級も上で、しかも頂いた勲章もその数もなかなか無いと自慢げでもありましたが、祖父のことを語る祖母の眼の奥はいつも潤んでいたに違いないと思っております。



上段左右は「勲六等単光旭日章」中央は「功六級金鶏勲章」
下段左は「支那事変(昭和14)記念章」右は「勲七等青色桐葉章」

 祖父は中国戦線に徴兵により一度従軍、退役後の昭和17年再度徴兵され陸軍工兵曹長として南太平洋へ・・・ガダルカナル島にての戦死とされますが、祖母の話ではガダルカナル島に米軍が上陸、孤立の日本守備隊への補給及び援軍として輸送船に乗り組んでいた祖父は島近くで米海軍の攻撃を受けて船は沈没、ソロモン海戦と祖母は言っておりましたが、海底深く眠っているのだと語っておりました。

 勲章・・・戦死した際に中央の「金鶏勲章」左上の「勲六等単光旭日賞」と共に金2,500円を下賜されたようです。
 また右上の「勲六等単光旭日賞」は昭和43年に頂いた勲章なようです。

 戦争を知らない世代である私、当然のように戦争はない方がよいに決まっている。
 また勲章を見せびらかしているつもりではないが、我家でも戦争という歴史に関わっていたこと、遺族であること、それを実感しているところでもあります。
 靖国問題やらまだまだ社会でも問題視にされる先の戦争、少なくても祖父も含めて多数の犠牲もあって成り立っている現代社会、これらを今一度考えてみてもよいのかな・・と思います。
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大叔父 (睦月庵)
2006-02-15 20:06:13
私の祖父は二人とも徴兵検査に落ちたそうですが大叔父二人は大陸と南方のどこかで戦死したそうです。

南方で死んだ大叔父は海軍の機関兵だったそうです。



少し血は遠いとはいえ、今の私より若かったであろう大叔父たちがどのように生き、どのように死んでいったのか・・・。



とらねこさんのいわれるとおり、先人の犠牲の上に今の我々があるということ、考えてみる必要性は大いにあると思いました。
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重たいですが (とらねこ)
2006-02-15 21:38:54
睦月庵さん

少し重過ぎる話題でもあったと反省と後悔をしております。

祖父は38歳といういわば結構高齢の部類での戦死、私も既にその歳を越してしまいましたが、未だに幼稚で未熟者です。

昔の人はしっかりとしていたんだなと前の投稿「きっつ」等をみて思っております。



それと叙勲というのがございますが、勲六等相当でしたら消防や警察関係で功労があった方はいただける可能性はありますが、わたしは該当外かもしれません。

でもふたつも家にございますから、いりません・・・笑
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家宝ですね。 (たま千代)
2006-02-15 22:38:04
戦争の是非を今更問うても仕方ないですが、これはこれで珍しいものだと思いますよ。



たまたま今日のお昼休みに、TVで「某市を空襲したB29(だっけ?)の元乗組員に、その市の高校生がインタビューした」話をやっていました。

戦争を知らない若い世代、しかも十代の子供達が戦争に関わった人達の気持ちを知りたいという思いがひたむき且つ純粋でした。



元乗組員のインタビューでは、当時は上からの命令に従うのみで、爆弾を落とす町への思い何もなく、淡々と仕事を終えて無事帰れるかどうかを考えていたという。

今、その町の子供達に触れてみて、「遺憾だ」と気付いたという言葉が印象的でした。

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かなり重い思い想い話題です (アルエン)
2006-02-16 07:52:28
とらねこ様お久しぶりです。

あ~溜息が出てしまう話題ですね。遠野の祖父は海軍に徴兵されたのですが病気にかかり無事帰還! 最近ではコソボ紛争の時に夫の従弟がONUに参加しました。無事帰還! ONUですので戦いに行った訳ではないですがやはり過激な出来事に遭遇してかなり危なかったそうです。戦場に行った本人が言うには一番辛かったのは目の前で子供達が殺された時だそうです。お祖母さんやお母さんに代わって水を汲みに来る子供をねらった惨劇。ちなみに真面目なクリスチャンだった彼は小さな遺体を運びながら「神様」なんていないじゃんと思ったそうです。 私、個人的には日本を離れて感じた事は「戦争をしらない」と言う言葉が他国では通じない事です。「経験が無い」と言わないと・・後が大変です。まだまだ日本=戦争のイメージが強いようです。

でも最近は男子恒例の兵役制度がようやく無くなり若者は日本=マンガだそうです。ホッ 
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重いですね (とらねこ)
2006-02-17 10:02:05
たま千代さん

ご反応いただきありがとうございます。

かなり重い話題かと思いますが、戦争はいけませんよね、また過去の清算、その当事者の思い、捉えかたではまた全く解決されていない、既に60年、されど60年・・・まだまだ人それぞれの戦後は続きそうです。



アルエンさん

戦争を知らない・・・戦争の経験がない、そういった意味では日本は平和なのかもしれません。

過去の印象が根強く残る日本、冷戦が無くなってより良い方向へ向かうと思いきや、まだまだ世界は大変な時代でもありますね。

他人事の自分、そして日本・・・難しいことですね。
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