某日、嫁様の祖母の一周忌法要が営まれました。
そんなに積雪は無いと思ってましたが、案外積っていてゴム長で行って正解でした・・・。
祖母の一周忌、そして父親(義父)の33回忌法要も併せてのことですが、祖母縁の人々(祖母の生家や兄弟姉妹)と近親者(子、孫、曾孫)の少数です。
自宅での御勤めの後、墓所に参り、場所を某会館で故人を偲ぶ会食となりました。
遠野流の「ごっつぉ」(ご馳走)
田舎なので見た目と品数勝負といったところ、私のような「じぇんごたろ」(田舎者)にとっては見ただけで幸せを感じてしまうというか、これを今から食べるのか・・・と思うだけでもうれしくなってしまう・・・
遠野産ホップ使用の市販ビール
流石、地元な遠野!在庫は結構あるようですよ・・・。
さて・・・
「絆」・・・3.11 東日本大震災以来、この「絆」という言葉が随所に使われ、また昨年2011年を代表する文字にも選ばれるというまさに絆に触れ、感じるという年でもありましたし、年が明けた今年も、まだまだ絆を大切にして地域の復旧、復興に向かっていかなければなりません。
ここで云う「絆」、本質は同じだと思うし、差異は無いと思うことですが、一周忌法要という場において感じた私なりの絆のこと、少しお付き合い願えればと思います・・・。
10年前、私の父親が亡くなった際に、どの範囲までにお知らせをし、忌明け法要までご案内するか・・・という話し合いの場に居たのですが(喪主なので当然)その中で曾祖母の生家にも最後になると思うのでお知らせをせよ・・・と親戚の長老から指示をされたことがあった。
もちろん、その意に従ったのは云うまでもありませんが、曽祖母が我家に嫁いで来てから100年以上、また事情があって幼き祖母を残して離縁となり別地区の家に再嫁となったとのことですが、祖母と曽祖母との往来はあったとのこと。
曽祖母の生家、その存在は何かで聞かされてはいたと記憶はあるが、私との交流は皆無、向こうも我家のことは知らないはず、まさに遠戚とはこのことか、ましてや100年の時が経過、しかし考えてみると父親にとっては祖母の生家ということで、故人からしてみれば当然ながら私よりは近い存在でもあろうということで納得したしだいでした。
今回は、嫁様の祖母の法要、祖母の実家や兄弟姉妹(実際はその子達)が来られておりましたが、これもひとつの絆、人と人を結び、家と家を結ぶ絆、そして縁ということになりますね。
「絆」という字は「糸」を「半」分と書きますが、人は糸の半分を持ち、誰かがその半分を持っていると解釈もできます。
沢山の半分の糸、かなりの数の糸を持っているということですが、中には遠くまで延びた細い糸、たぐり寄せたら途中から切れていた糸、切れそうで切れない細い糸ながら辿って行ったら全く見ず知らずの家だったり、その人の姿がハッキリみえる短い糸にしっかりとした太い糸、様々あると思いますが、まさに親戚というものは絆の文字に当てはまる存在だと認識したのが今回の法要でした。
年数の経過で絆が切れて行くかもしれないし、逆に新たな婚姻で絆が生まれ、さらに深まる・・・この繰り返しなのかもしれませんが、自分の代、或いは子の代、絆や縁がつながっている間はそれなりに大事にしたい、そう考えております。
まっ、先祖を遡ると親戚だらけになってしまいますから・・・・・・ある程度で収めなければなりませんね・・・。
立春の朝
この日も氷点下13度の世界。
ここ数日は寒さも緩むとか?
でも、最近、希薄になって来ているような気がします。主人の方は親戚が少なく法要などは家族のみです。だから、私の方の親戚付き合いに驚いていますが、羨ましいとも言っています。
数年前、義姉が亡くなった時、子どもたちである甥と姪が、母親の方の親戚が少なく、父親の方は親戚が多すぎて、母親と面識のない人が来ていることに疑問を感じると言っているのを聞いて、世代の移り変わりと共に親戚付き合いは変化していくのだろうなあ。と思いました。
うちは、来月の末に義母の七回忌です。
半年前に法要の予約をしてくださいとのことで半年前に予約しておきました。
会食の予約は1月の初めにしておきました。
無事に済ませられるように、家族と主人のお兄さん家族と義母の実家の家族だけなので、準備は楽です。
空が広い遠野って・・・やはり超広角かフルサイズを
EF14-24? EF24-70Ⅱ EF70-200とニュー大三元?を
親戚・・・・まさに、その遠い親戚から頼まれて家系図作りを数年前にしましたが、離れていた血縁の方々とひょんなことからめぐり合う。なんとも不思議なものだと感じています。
「じぇんごたろ」と「じぇんごたれ」はほぼ同じ意味ですか?
ずっと「じぇんごたれ」の意味がわからず 旦那に聞いてもわからないと言うし・・・いまさらとらねこさんに聞くのも・・・と、実はずっと思っていました。
遠野に行くと、普段のお盆で顔を合わせる人はわかりますが、冠婚葬祭となるとなかなか・・・。でもここ数年でようやく名前と顔が一致する人が増えてきたかなという感じです。
ただ、どういう関係なのかはなかなか覚えきれません
こちらというか田舎で云う絆は主に親戚とか血縁関係にある人達、家とのつながりを指していたことが多かった思いがしております。
無論、絆そのものは色んな見方、繋がりがあってのことですが田舎の冠婚葬祭、こういうイベントでその絆とか繋がりが保たれていることを感じます。
私の方も亡き親父の13回忌が間もなく・・・というところで恒例の伯母達がなんとか元気で参加できることを切に願っているところです。
誰も歩いていない雪原・・・遠野には多いと思いますよ・・・笑
今は長靴を超えるくらい、膝下の積雪はありますからね。
まずはフルサイズ狙いが本命というところです。
連写機能によっては夏のスポーツ流鏑馬開催までには手にしたいと目論んでおりますがレンズの方には手が回りません。
7D用、APSーCの17-55F2.8EFSレンズと24-105を手放して24-70Ⅱを手にするか17-55を手放して単焦点レンズを手にするか?思案しているところです。
まずは5D3が出てからの話ですがね。
普段の生活のでの付き合いは地域や知人、職場との関わりが強いものですが、冠婚葬祭や人生の節目には、やはり血縁や親戚との付き合いは欠かすことはできませんね。
田舎では特に重要なことでもありますしね。
広角・・・はいっ、こればかりは待ちたいと思います・・・笑
じゃんごたろ・・・「じぇんご太郎」すなわち在郷太郎のことで「じぇんごたれ」と同意味です・・・汗
どちらでも通じます・・・笑・・・が、じぇんごたれの方が蔑む意味は少し強いものの、親しみみたいな感覚は感じます。
こちらでも親戚付き合いで、特に葬の場合は親戚なのに誰だかわからないという場面を経験することがあります。
親戚や地域の長老の存在は必要不可欠になっておりまする