この愛宕大権現宵宮の時季にふさわしい蝉時雨を聞きながらの宵宮でした。
我家6人、伯母の計7名、福泉寺住職ご夫妻、副住職の3名、近所の食堂のご夫妻の2名、遠く西根町からのご夫婦の2名・・・計14名により、宵宮が執り行われました。
午後5時を少し過ぎた頃、今夜の料理の一部を長男と共に福泉寺庫裏に届けると、待ってましたばかりに住職さんが、「それでははじめますか」ということで早速着替えをはじめまして、それでも私は「まだ、家の女性達は準備ができてませんが・・」・・おっと、標準語では会話をしておりません。「んだば、はずめっか」「おらえのおなごたず、すたぐできでねすちゃ」
しかし、住職さんは「そのうず、くんだ」ということで、私と息子は先行して愛宕堂へ行きますと、既に副住職さんによりお堂の扉は開け放たれ、皆さんが座るゴザも敷いてあって準備万端、私は蝋燭に火を灯し、供え物を整理して、いよいよ宵宮のはじまりである。
住職のお経が始まりますと三々五々、いつものメンバーが集まりだし、お経が終わるとお神酒が振舞われ、供え物を下げてお堂の扉は閉ざされました。
御神体の横にはガラスケースに入れられた駒木神楽の権現様が安置されております。私にとっては関わり深き権現様ですが、今回は特に権現様にも手を合わせました。
その後、場所を福泉寺庫裏に移して会食となりました。各家々から料理を持ち寄って盃を酌み交わしましたが、色々と問題のあった長女も高校3年生、来年からはこの愛宕大権現の宵宮に姿を見せることはほぼ無いものかもしれません。
画像は宵宮の様子・・・一段高い別当席には長男が座っている・・私は取材も兼ねているので一番後ろの席となりました。
我家6人、伯母の計7名、福泉寺住職ご夫妻、副住職の3名、近所の食堂のご夫妻の2名、遠く西根町からのご夫婦の2名・・・計14名により、宵宮が執り行われました。
午後5時を少し過ぎた頃、今夜の料理の一部を長男と共に福泉寺庫裏に届けると、待ってましたばかりに住職さんが、「それでははじめますか」ということで早速着替えをはじめまして、それでも私は「まだ、家の女性達は準備ができてませんが・・」・・おっと、標準語では会話をしておりません。「んだば、はずめっか」「おらえのおなごたず、すたぐできでねすちゃ」
しかし、住職さんは「そのうず、くんだ」ということで、私と息子は先行して愛宕堂へ行きますと、既に副住職さんによりお堂の扉は開け放たれ、皆さんが座るゴザも敷いてあって準備万端、私は蝋燭に火を灯し、供え物を整理して、いよいよ宵宮のはじまりである。
住職のお経が始まりますと三々五々、いつものメンバーが集まりだし、お経が終わるとお神酒が振舞われ、供え物を下げてお堂の扉は閉ざされました。
御神体の横にはガラスケースに入れられた駒木神楽の権現様が安置されております。私にとっては関わり深き権現様ですが、今回は特に権現様にも手を合わせました。
その後、場所を福泉寺庫裏に移して会食となりました。各家々から料理を持ち寄って盃を酌み交わしましたが、色々と問題のあった長女も高校3年生、来年からはこの愛宕大権現の宵宮に姿を見せることはほぼ無いものかもしれません。
画像は宵宮の様子・・・一段高い別当席には長男が座っている・・私は取材も兼ねているので一番後ろの席となりました。
ただし、仰せのとおり内輪という意味合いが強いもので別当でもある我家としては伝承行事のひとつでもあり、傍からみれば特別な何かに映るかもしれません。
ただ、部外者の参加者も歓迎いたします。民俗的な事柄としてみていただいた方が割り切れるかもしれません。また単なる飲会としての参加も受け入れますよ。