「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

江刺区下見編

2008-10-20 18:54:27 | 歴史・民俗
 妄想的郷土史探訪におけるひとつの懸案事項として、遠野菊池氏との関わりが深いと推察されます奥州市江刺区の菊池一族、さらに中世遠野領主であった阿曽沼氏の歴代の中でも英傑とされる遠野孫次郎こと阿曽沼広郷による葛西領江刺岩谷堂攻めに関すること、さらに江刺区内の館跡に関すること等・・・一粒で二度美味しい、いやっ、三度美味しい・・・そしてさらにグリコのおまけが付いてくるかも・・・的な期待度が高い探訪をこの晩秋か初冬にやってみたいと俄かに思い立ち、その前段として下見ながらも江刺へ行って来ました。

 本編を読む前に過去エントリーのこちらをご覧になられてからお読み願います。


 ということで、なんてことはない過去エントリーですが・・・・汗


 五輪峠





 近年は遠野と江刺、江戸時代は南部と伊達、さらに中世の頃は遠野と葛西領(江刺郡)との境であった五輪峠、中世の頃は軍事、交通の要所であり、明治以前は単なる境ということではなく国境といっても過言でない時代があったと思います。






 青篠館跡(あおざさだて)・・・江刺区玉里






 館主を菊池右馬亟と語られ江刺の菊池一族の惣領さらに角懸菊池氏の主家との位置付けで葛西領江刺氏の執権職(家老)の家柄だったと伝えられる。
 
 遠野菊池氏との関わりが語られる菊池右近恒邦は青篠館の歴代舘主のひとりであるという・・・・。

 
 数年前、八戸の藤九郎さんと江刺区内の館跡探訪を実施したことがありましたが、此処青篠館の説明板を見ながらも、館山は何処か?と悩み最後は見学できなかったことがあって、再訪の際は是非に探訪したいが念願でもありますので、なんとか探訪をと思っております。



 岩谷堂城






 岩谷堂城は平安期、藤原経清、清衡の居館跡でもあるという。
 後に葛西氏の族、江刺氏の居城として機能していたと伝えられ江戸期は伊達藩の要害として岩城氏が城主であった。

 私的には比高70メートルの山城が平安期に築館されたものかは、大きな疑問がありますが、中世における江刺氏の事績をPRするよりも平泉藤原氏との関連付けをPRした方が何かと注目やら訪れる方々の興味を抱かせる内容でもあって、なんとも言い難い思いもございます。
 岩谷堂城はかつての江刺郡最大の城であり主城でもあり、葛西氏や江刺氏関連も今少し取り入れて紹介してもよさそうに感じますが・・・・・。


 空堀跡



 夢なんとか橋・・・?



 岩谷堂市街地方面


 
 玉里・・・遠野方面



 そして一粒で二度目?三度目美味しいと考えていたこと・・・・遠野陣場跡・・・。

 遠野孫次郎が天正年間に岩谷堂城の江刺兵庫介重恒を攻めた際に遠野軍が本陣を置いた場所・・・・。






 僅かな情報を頼りに目星を付けて行ったつもりでしたが、案内板やら標柱を見つけるに至らず・・・そういった類のモノはないのかもしれない。
 いずれにしましても江刺工業団地近在の山野である可能性が大きい・・・近隣の方々数人に聞いてみましたが・・・「知らない、聞いたことがない」との返事・・・涙・・・郷土史に詳しい方やら行政でも史跡等の担当部署でなければわからない内容かと痛感いたしました。

 とにかくこの遠野陣場跡を探すのに2時間程岩谷堂城から工業団地、旧広瀬街道やら周辺をグルグル回っただけに終わりました・・・涙
 これも次回となりそうですが、まずは菊池一族縁の館跡重視で行きたいと考えております。

                               以上

 
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 追悼式 | トップ | 渓流の紅葉 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (藤九郎)
2008-10-22 06:30:26
おはようございます。

懐かしいですね、江刺。
江刺もなかなか面白そうな館跡が多くて、いつか再訪しようと誓っていたのにずるずると今まで引き延ばしてしまいました。
そういえば宮古方面も・・・。
年内か年明けか、行けるものなら是非ご一緒に再チャレンジしましょう!!
青篠館、それにしてもどこがどうなっているのでしょうか、う~ん・・・。
返信する
期待大 (とらねこ)
2008-10-22 17:38:37
藤九郎さん
あれから何年ですかね?確かに懐かしいです。
江刺も含めて遠野の周りは史跡的には魅力満載といった思いもあって、なんとか再訪したいと考えております。
青篠城・・・どうやら画像の目立った山で、我々も当初、もしやと考えたあの山なようです。
返信する
遠野陣場 ()
2012-03-27 21:35:13
『とおのじんば』なまって『とのずば』と呼ばれている所はあります。
江刺工業団地の上がり口で舘下団地の近くです。
もとは近くにお寺があったらしいが、朝勤行で、お経、鐘、木魚とうなりものがうるさいとの殿の思し召しにより、移転させられたお寺が今の男石にある興性寺とのことです。
返信する
遠野陣場 (とらねこ)
2012-03-28 06:31:08
郷さん
はじめまして・・・
貴重な情報、ありがとうございます。
なかなか近くまで行っても特定ができず、諦めておりましたが、また訪ねたい衝動が蘇ってますので、もう少し暖かくなったら探訪したいと思います。
ご教授ありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

歴史・民俗」カテゴリの最新記事