天気は良いものの風の強い一日、春近しとなれば強風の日は付き物、それでも来る春も近し・・・です。
そんな中、我家の伝承行事といいますか宗教的な意味合いが強い「春祈祷」が行なわれました。
昨年は3月16日、大雪だった昨年、そんなことから少し時期が遅れてしまった経緯がありますが、今年は26日、色々と野暮用続きで時期を逸しておりましたが、なんとか間に合ったという具合です。
福泉寺住職は所用で釜石へ・・・・副住職様が代理で御勤めとなりました。
春祈祷は仏壇ではなく神棚へ・・・まさに神仏習合的な内容・・・神棚には遠野郷八幡宮、靖国神社のお札と共に福泉寺からいただいた御札も祀られている。
春祈祷そのものについてはよく調べておりません。
いずれ春の農作業を始めるに当り神仏に今年の豊作と家族の安全、健康祈願をするといった意味合いと理解しております。
秋の御酒と共に伝えられる伝承行事、御酒が廃れかけている現状から、春祈祷は我家にとっては重要な位置づけでもあると思っております。
神仏へのご祈祷が終ると、家族一人ひとりへの加持が行なわれる。
午後5時半から開始され間もなく6時、近所のはやちね食堂ご夫妻もお越しになられ、いよいよ会食とありなりました。
世間話等で話は盛り上がりましたが、午後9時、一応お開き、平日開催は当方の都合もあって、たいへん申し訳ないと思っておりますが、次回何かの機会にまた・・・ということで・・・・。
春祈祷、福泉寺関連では釜石や大槌といった海岸方面では2月から行なわれているが遠野の檀家信徒で行なわれるのは、極僅か、我家が最終となります。
そんな中、我家の伝承行事といいますか宗教的な意味合いが強い「春祈祷」が行なわれました。
昨年は3月16日、大雪だった昨年、そんなことから少し時期が遅れてしまった経緯がありますが、今年は26日、色々と野暮用続きで時期を逸しておりましたが、なんとか間に合ったという具合です。
福泉寺住職は所用で釜石へ・・・・副住職様が代理で御勤めとなりました。
春祈祷は仏壇ではなく神棚へ・・・まさに神仏習合的な内容・・・神棚には遠野郷八幡宮、靖国神社のお札と共に福泉寺からいただいた御札も祀られている。
春祈祷そのものについてはよく調べておりません。
いずれ春の農作業を始めるに当り神仏に今年の豊作と家族の安全、健康祈願をするといった意味合いと理解しております。
秋の御酒と共に伝えられる伝承行事、御酒が廃れかけている現状から、春祈祷は我家にとっては重要な位置づけでもあると思っております。
神仏へのご祈祷が終ると、家族一人ひとりへの加持が行なわれる。
午後5時半から開始され間もなく6時、近所のはやちね食堂ご夫妻もお越しになられ、いよいよ会食とありなりました。
世間話等で話は盛り上がりましたが、午後9時、一応お開き、平日開催は当方の都合もあって、たいへん申し訳ないと思っておりますが、次回何かの機会にまた・・・ということで・・・・。
春祈祷、福泉寺関連では釜石や大槌といった海岸方面では2月から行なわれているが遠野の檀家信徒で行なわれるのは、極僅か、我家が最終となります。
私の身近なところでは拝み屋さんの事を「別当様」と呼んでいるのもそういう名残かなあ、と思いました。
それにしてもうまそうな料理ですね。
特に鍋に惹かれます。
最近、鍋や肉が無性に食べたくて仕方ないです。
季節感ありますねー
ふるさとの伝承が「残っている」という感じがします。
この辺で、音楽が鳴りそうです。
♪ちゃららんちゃちゃんちゃららん・・・・・
・・・・・やめよ
ご祈祷の後の宴会がまた楽しみだったりして・・・・・
今年も連絡があり、いつものように・・・って 春祈祷って何なんだべ などど家族でほんでない会話をしておりました(汗汗)
あっ、宅は日蓮宗の檀家です。
少し神仏習合的な内容も含まれ、普通のお寺さんの行事とは若干異なることを感じるかもしれません。
ただ、明治まではまさに神仏習合、混濁といわれた内容かと思いますし、寺に鳥居とか社のような建物があったりするのはその名残かもしれません。
いずれ神仏分離、廃物希釈とか、まるで神仏が無関係のようにされた時代を経てますから、現代の感覚では少し違和感はあるものと思います。
宴会の方は家庭料理です。
まさにその通りですよ、メインはご祈祷後の宴会です・・・汗
以前は隣近所、親戚等も集まる賑やかなことでもありましたが、今はほんと、近所で親しくしていただいている御宅とお寺さん、時折伯母がくるだけですから・・・。
ところで「ちゃららんちゃちゃんちゃららん・・・・・」は何の曲・・?・・・笑
時代の流れ、生活体系の変化、致し方ないことだとも思います。そういう我家でも秋仕舞の意味合いでの御酒という行事、もう5年は行っていない現状もありますからね。
なんといっても生活の糧である仕事をする、これがないと飯も食えませんから・・・・。でもどこかで神仏に関わりを持つ、これは大切かと思います。