「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

伝承行事「春祈祷と菩提寺」

2006-03-16 08:58:10 | 福泉寺・伝承等
 平日ながら、我家の伝承行事、第一弾「春祈祷」を行いました。
 宗教的な絡みもあって春祈祷そのものの詳しい説明は省きますが、要するに春の農作業を前に、今年の豊穣、事故なく農作業等に従事できること、さらに家内安全、家族の健康等を神仏にお祈りするといった内容です。

 我家の伝承行事は・・・
 2月~3月の間に「春祈祷」・7月「愛宕神社宵宮、祭礼」・11月「ごし」
 その他・・8月「大沢不動宵宮」・9月「中秋の月見」・・・等

 さて、今年は福泉寺住職様が所用で出かけていたため、副住職様をお迎えしての春祈祷となりました。

 



 神棚にお経・・・・これぞ神仏習合の極み・・・特に真言宗やら天台宗の密教系にみられる光景ですが、幼い頃からの習慣、まったく違和感はない。

 お経の後は御神酒を回して、いよいよ宴のはじまり、今回もご近所の「はやちね食堂」のご夫妻をご案内して、夜遅くまで楽しみました。
 
 我家にいたっては農業はほとんどしておりませんが、伝承行事としての春祈祷、今後も続けて参ります。


 

 3月15日現在の福泉寺・・・



 春祈祷をはじめ、我家の伝承行事全てが菩提寺福泉寺との関わりが深いものとなっております。
 というより宗教的意味合いが強いものと受け取られますが、まさにその通りでもあります。
 我家と福泉寺との関係を考えれば、福泉寺開山以前からの関わり等によるものでもありますし、今や近所付き合いも含めまして檀家筆頭的立場と親戚以上の付き合いといっても過言はございません。

 福泉寺は開山百年に満たない新しい寺院でもありますが、遠野の古刹、早池峰山妙泉寺再興の願いが込められたお寺さんであること・・・無論、歴史有る妙泉寺の流れを伝えるお寺さんではありません。

 福泉寺の檀家さんは、附馬牛の小出の方々がほとんどでもあります。それに地元駒木の方々・・・他をあわせて60戸余り、現在檀家さんとして機能しているのは40戸とのこと・・・。

 開山当初は他宗派のお寺さんからの批難中傷、遠野の人々からの迫害・・・厳しい時代もあったようです。
 それは真言宗という宗派に一般庶民は馴染みがなかったせいもあるようです。
 真言宗は祈祷寺といわれるように昔は檀家を持たず、武家や公家達の祈祷寺として機能していた時代が長かったからでしょう・・・。
 真言宗といえば空海が開祖、日本での仏教の根本を成す宗派、他の宗派は基は天台や真言の教えから分かれたに過ぎないながら、その教え等複雑でもあり仏教の世界は難しいですね。

 いずれ、誹謗中傷の中、徐々にその名声も広がり、遠野に福泉寺ありといわれるまでになりましたが、それでもたまに福泉寺でも葬儀一切をやれるのか、とか、まともなお経読むんだろうな・・・とかの声が聞こえるときもあります。
 
 全くもって偏見であり、観光寺としてのイメージ、祈祷寺としてのイメージが与えることによるものと私は解釈しておりますが、福泉寺は立派なお寺さんです。
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5 コメント

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いろいろあるんですね (睦月庵)
2006-03-16 17:15:15
私は宗派が違っても多少は作法やお経が違う程度でどこも同じとしか考えてませんでした。

誹謗中傷をする人がいるなんて、嫌なことですね。



さて、そろそろ彼岸。

久しぶりにお寺に行ってきます。
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誹謗中傷 (とらねこ)
2006-03-16 18:07:58
睦月庵さん

コメントありがとうございます。

真言宗は弘法大師が開祖というのはご存知かとは思いますが、割と東北では馴染みの薄い宗派かもしれません。

護摩焚きをはじめとする祈祷が主であり、山伏や修験者のイメージがあるのも真言宗なのですが、お寺として開山した際は確かに回りからの違和感ある存在と見られたとあります。誹謗中傷の甚だしかったともいわれますし、現在においても若干ですが、他のお寺さんより低くみられる方々もいるのも事実です。



春彼岸・・・お寺さんも含み墓参りは是非に私もお参りしたいと思います。

合掌・・・。
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Unknown (たま千代)
2006-03-16 22:19:44
おお~、禁断の聖域(今のところ、私にとっては・・・)から見た中の門!

雪、だいぶ消えましたね!春が間近といった感じ。



福泉寺の苦難の歴史、謹んで読ませて頂きました。

宗派ごとに習わしや考え方の違いはあるのでしょうが、元を辿れば一つですからね。



以前読ませて頂いたとらねこさんの「ふしぎ」体験で初めて知りましたが、立派なお坊さんが守っている由緒あるお寺だと解釈しています。今では!単なる観光名所ではないことをもっと知って欲しいですね。



オラホも、はがまいりいがねばなんねっちゃな~近々、例の●理伊達家縁の菩提寺に行って参ります。
返信する
Unknown (名梨)
2006-03-17 11:44:38
 言わせたい人には言わせておけば良いと感じております。言う方の品性が下がるだけ。

 日本一の観音様を彫るためトレーラーもクレーンも無い時代に馬と人力で綾織町砂子沢鈴木家の山から松の大木を駒木の現在地に運び入れた住職様のお力と崇敬者のパワーが、今の福泉寺の現在に繋がっていると思います。

 福泉寺の建物の配置が現在の早池峰神社(元妙泉寺)の配置とほぼ同じとなっている事からも妙泉寺の復興を考えていたことは推測されます。

 福泉寺は元々は江刺の人首に有ったものを現在地移したものだから、寺の歴史は遠野での100年ではなくそれ以上あると思います。

 お寺の位の高い低いは人間が決めることで、低くても崇敬者が多く来てくれた方が良いに決まっているし、あれだけの広い境内を維持管理するのも大変な事と思います。 
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福泉寺 (とらねこ)
2006-03-18 09:45:27
たま千代さん

境内の面積6万坪・・・・

初代住職さんが夢見た壮大な寺院建設、これらは二代、三代の住職さんに引き継がれ現在に至っております。

観光的なことも福泉寺のメインであることは間違いではございませんが、それでも檀家や信徒を抱えるお寺さんであること、これがホントの姿でもあります。

まさに仰せのとおり、両面を知っていただきたい、そのとおりです。



名梨さん

ありがとうございます。

綾織砂子沢から松の大木を延べ人数3万人余、10日を要して駒木の地へ運び込まれました。

これは関係された皆様の多大な協力があってのこと、その協力に応えるべく、20年の歳月を費やして立派な木彫観音が完成されました。

携わった多くの方々の結晶とでもいえるものかもしれません。

色々とありますが、支えてくださる方々も沢山いるということ、これに尽きるものと思います。
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