吉里吉里海水浴場より(岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里)
※吉里吉里(きりきり)
まずは・・・。
三陸海岸に来たということで、まずは三鉄の撮り鉄から。
陸中山田~織笠
何度か聖地巡礼じゃないけど撮っている駅付近に出没。
地元路線はJR釜石線ですが、住んでいる所から一番近い私鉄、ローカル線は三陸鉄道ということで、おのずと足が向いてしまいます。(;^_^A
今回はメイン用向きは大槌町の日帰り入浴施設へ行くこと、そのついでに吉里吉里海岸の回顧と三鉄撮りも・・・ということです。
先月初めに母方の親戚の小父さんが逝去、母方の親戚ではそんなに老齢ではないものの、冠婚葬祭及びその他では重鎮で頼りになる存在で、小生も多方面にわたってお世話になりました。
小父さんのご先祖の地ということもあって、ついでながらも撮り鉄に合わせはしてますが、故人を偲んでという意味合いもあってのことでした。
合掌
少し南下移動して・・・
吉里吉里~浪板海岸
午後1時台の上下線撮りも予定してましたが、かなり強い降雨に見舞われて取り止めとしました。
残念
ということで本題となります。
吉里吉里海水浴場より
曇り空、気温は27度かな?
若干の海水浴客(家族連れ数組)がおりました。
吉里吉里海岸の隣は岩手県内でも有数の海水浴場、浪板海水浴場ですが、この日の浪板には海水浴客は皆無でした。(午前中)
この吉里吉里海水浴場は小生にとっては、それなりの思い出がある海水浴場のひとつとなっております。
(とはいえ海水浴は人生において3ヶ所5回未満ですがね・・・(;^_^A))
半世紀近く前、中学3年生の夏休みでしたが、クラスで海にキャンプに行くという話しがあって40名近いクラスメートのうち、半分ちょいかな?男子・女子の約25名?が参加となりました。
釜石線、山田線を乗り継いで吉里吉里駅に降り立ち、途中の商店で買い物した記憶が・・・?スイカや花火、飲物とか食材か?個人的にカップヌードルのカレー味を買ったのは覚えている。
それと肝心なテント、遠野から持っていったということではないので、現地で借りたのだと思う。
記憶に残っているのは、我家は農家ということでカレーライスの食材となるジャガイモと人参を大量に母親に刻んでもらってスポーツバックに入れて持ち込んだ(何人かの農家の同級生と割り当てした。)ことと、市内の他校(中学校)も同場所に来ていて、その際に冷やしていたスイカをその学校の引率教師にストローで吸われたこと。
吸った本人は教え子に受ける行為として行ったものかもしれないが(実際に大うけしていた)、被害にあった我々は面白くもないし、その教師の大人気ない行為に幻滅した記憶があります。
引率した担任の先生「するぼん」(笑)(駿河先生)の抗議もあまり効果がなかったようです。
それとこのキャンプに個人的に松崎小出身の光興寺在の同級生が2名が別行動として参加しておりました。
松崎小出の男子クラスメートは「せりおん」「マウン」「りしゃ」ですが、これに「ゲンさん」「ドスキン」が加わっており、彼らは堤防やボートを借りて海釣りに興じておりました。
同じ松崎でも駒木の児童、生徒よりは自然児要素が強くて、川釣り等淡水系しか釣り経験がないというのに、けっこう釣ってましたね。
小生もこの時初めて堤防からでしたが竿を借り、指南を受けてルアーで小サバを初めて釣りました。
岩魚や山女魚、鮎のように焼くのとは大違い、同郷の鳥〇部君や親しかった「チャー」がサバを食べて「苦い」と大騒ぎしていたことが印象にあります。
キャンプファイヤーしたのかな?
夕食はカレーライスだろうと思うし、朝食はお湯を沸かしてカップヌードル、担任の「するぼん」に朝からカップか、と皮肉を言われた記憶は鮮明に残ってます。
中学3年生にもなって女子生徒とのロマンスのひとつもない、今思うとなんともったいないことか?
(笑)
無論、相手にされなかったとは思いますがね・・・(;^_^A
その後、平成に入ってから漁港や防波堤も含み公園風に整備された頃に、海釣りに目覚めて何度か釣りに来ており、思い出は中学と30歳台の頃ということになりますね。
いずれ釜石以北、山田町船越までの海岸線は少年時代そして青春時代の思い出多き場所となっており、特に真夏と真冬時季が懐かしいですね。
ということで、10数分のみ思い出に浸り、数枚シャッターを押して大槌町の中心部へと移動となりました。
少し早かったですが昼食は・・・。
いつもの・・・お気に入りのチャーシュー麺をいただく。
やはり美味い、最高です。
そして入浴、サウナとなりました。
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