「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野の舘

2005-05-07 22:19:09 | 遠野
連休も終了・・しかし遠野は好天に恵まれ、桜も見頃でイベントも好評で多くの観光客で賑わったものと思います。
そんな中、連休の前半戦、遠野郷の舘めぐりを敢行、あらためてその意義、歴史を感じ、さらに微力ながら何らかの形として後世に残す、伝える、そういったことが近い将来必要になってくる、いやっ、既に始めないと・・・そんな思いでもあります。

城といえば一般の方々は、石垣があって、天守閣があるというイメージかもしれない、遠野の城はそのほとんどが山城であり、戦国時代前後の構築でもある。既に400年以上の歴史を刻んでいるが、単なる山が実は舘跡で、往時を偲ばせる遺溝(土塁・空堀・・)が判然と残る舘もございますし、ほとんど風化したり、人的に破壊された形跡を持つ舘もございます。
無論、この山々のほとんどは所有者が居て、植林なり畑にしたりと生活に密着したものでもありますから、他人がどうこう言えるものではありません。ですから余程大きな力でこれらの遺跡保護に乗り出さないと、この史跡といえる舘跡は将来、跡形もなくなる、記憶から消え去る、そういったことが危惧されることでもありますが、やはり行政当局による何らかの保護が必要だというのは誰でも考える事です、しかしこれらはそう多くは期待できないかもしれない、大切な史跡であると認識していても、私自身、何らかの行動を起すか・・といえばそんな勇気はないっ、せめてこうして個人的に調べてサイトで公開し、興味抱く方々に知っていただく、これ位しかない、それと記録的なことで画像に残し図面に残す、これが精一杯かもしれない。

現在把握している舘の特徴として、山の頂上は大概は主郭で平場がある。その背面は三重、四重の空堀で区切られている、この空掘りは左右に展開して麓まで駆け下っている。さらに前面は幾重にも段状の平場が展開されている特長がございます。
上鱒沢の鱒沢舘はこれらが判然としており、遠野でも大きな舘に属するもので、ご覧になられればそれなりに感動するものと思います。
松崎では松崎舘、上郷では刃金舘、板沢舘、身近では鍋倉城もなんとか確認できることと思います。
まずは頑張って調べてまいります。

画像は鱒沢舘の空掘跡(西部分)
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花まつり(福泉寺)

2005-05-05 17:49:48 | 遠野
5月5日、なんとか福泉寺の桜も満開のままで、天気ももちそうである。
そんな中、福泉寺恒例の行事「花まつり」が行なわれたが、年間行事「行開き・節分・初大師・花まつり・秋の大祭」での中で一般向けで、しかも壇信徒がほとんど関らない行事でもあります。
小生は我家の慣例にならって大観音堂の鐘係、午前中の役目でしたが、なんとか役を終えることができました。

しかし、以前も記述したことがございましたが、桜の名所として未だ名高い福泉寺ではありますが、時代の変化か、花見客も少なく、ましてや桜木の下で弁当を広げる方々は皆無に等しく、団体客が輪になってあちらこちらで花見の宴、という姿はここ10年見たことがない。
遠野外の観光客が増える中、確かに地元の団体が花見の宴会、酔いだくれて騒いでいる姿が他の観光客からみればのんびりと散策という場面に水をさす、ということもあったと聞いている。がこれが観光客、参拝客の減少ということではない、遠野観光が様変わりしてきた・・これに尽きるものと思います。
 ただ、桜を愛でゆっくり散策、桜の後はつつじ、紫陽花、山百合・・・秋の紅葉と見所はいっぱいある福泉寺、機会がございましたら伝承園やふるさと村の帰り道でもお立ち寄りください。無論、本来の寺院としての福泉寺も有名であります。
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今後の展開・・

2005-05-04 20:15:51 | その他
当方には黄金週間という認識はないっ、今年も飛石的に休みがあるが、10連休なんて夢のまた夢・・・。
ということで、非番ながら子供のクラブ、剣道の竹刀を買いに盛岡に出かけてきた。盛岡は桜もほとんど散り、紫波、大迫も僅かに木々に付く花びらを残すのみであった。
遠野はといえば、画像のとおり・・・(国道283号線綾織地内の桜並木)、満開である。ただ風が強かったので、だいぶ花が散ったかもしれない。
他に何を買うでもないが買物が一番である。小岩井に向う道は大混雑、かえってイオンとかの大型店の方がそれほど混雑していない。
帰り道、遠野風の丘(道の駅)は、相変わらずの大混雑で、それを横目に見ながら無事に帰還となりました。

さて、2日間にわたる地域の舘めぐりに触発されて、しばらくは・・・といっても市村合併等があって今後仕事関連も多忙になる見込み・・・まずは6月頃までは郷土史関連のアップを主に行なう予定である。分家サイトでは東北の戊辰戦争関連も扱っているが、なかなか遠出もできず、仙台戊辰史という復刻された高値の書籍も購入したが、読む機会がない、また読み下すだけでもかなりの労力が必要で、せめて高校時代に古文等をまじめにやればよかったと悔やんでいる。
さらに平泉の藤原氏関連も別サイトで扱っている。大河ドラマ義経にて少し当方も力を入れるはずが、考えすぎか、他にはない藤原氏、そして義経伝説の真相なんて大それた構想が仇となって的を絞りきれずにいる。こちらは夏ごろには目処をつけたいと考えているがどうなることやら・・。
そして遠野南部氏・・こちらはもう大いに追加構想があって、阿曽沼氏関連と共に張り切っているところでもある。とにかく本編の「遠野・松崎じぇんご弐」では観光案内的な史跡アップは一時中断、歴史考察等、歴史ものを正月まで断続的に追加していきたいと思っております。民俗学的な事柄は冬期間にアップを目論んでおります。

最近、地元発信でこちらにもお越しのromi_iさんが主宰のアズプランというサイトにて、当サイトが高評価、アクセス数もけっこうな数をいただいております現状を知りました。今までは地元には人気のないサイトと考えてましたが、こうして地元中心にアクセスしていただいていると知りますと、俄然、さらなるやる気も芽生えるといった思いでもあり、まずは拙サイトの当初の姿、郷土史、こちらを充実させるといったことにしたいと思います。
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遠野郷舘めぐり・春の陣

2005-05-02 19:49:03 | 歴史・民俗
遠野も桜が満開、いい季節となった。そんな中、サイトリンクいただいている城関連サイトの管理人さん、八戸のI氏をお迎えしての遠野郷舘めぐりを5月1日、2日と2日間実施した。
一日目・・鱒沢舘(遠野地方最大級の山城、威風堂々の空堀は見事の一言)、谷地舘(二日町、宇夫方氏居舘、往時の痕跡皆無)、西風舘(日影、宇夫方一族悲運の舞台、新発見有り、遺溝保存状態まあまあ)、駒木舘(海上、謎の山城、研究者未踏の知られざる舘)、阿曽沼館(阿曽沼支配の原点)、おまけ・東禅寺跡、あえりあ遠野にて語部、じんぎす館にて名物ジンギスカンでの親睦会・・冷麺二次会実施。
二日目・・中村判官堂(橋野・義経北行伝説)、大槌城(上閉伊郡最大級、県指定史跡、難攻不落)、柏舘(定内)、風呂家・駒形神社(上郷・義経北行伝説)、平田砦(下有住、気仙対南部の合戦地)、外舘城(下有住)、世田米新城(世田米・対遠野の牙城、阿曽沼氏縁の城)、達曽部舘(達曽部、多田氏居舘、平山城)・・・以上

充実した舘めぐり、史跡めぐりができたと思っております。八戸のI氏も大満足のご様子。今回は三度目の遠野の陣、晩秋の頃も開催できたらと考えております。

八戸のI氏と共に城攻略の楽しさ、ノウハウを教えていただいた東京都のI氏、今回はご一緒できませんでしたが、このお二人は唯一南部氏をはじめ北奥羽の歴史を語り合える仲間といえる人達、インターネットという媒介を通じ知り合い、今はオフの状態でも何度か直接お会いして懇親を深めております。今のところ遠野郷のマイナー、ローカルの舘を本格的に調べご紹介しているのは私含みの3人だけ、願いはこの大切な郷土の史跡を守り、長く後世に伝える、もう少しこの輪が広がってほしいとも考えているところでもあります。しかし、反面、知られざる謎の地域としてあまり多くの方々に知られてほしくない、荒らされたくない、こんな気持ちも正直ございます。今後、遠野も含み舘めぐりされる方々、大切に守り伝えるという考えにて史跡めぐりを楽しんでください。

八戸のI氏との夜の親睦会、迎撃オフはジンギスカンでしたが、これを知った家族が悔しがり、2日も舘めぐりを終えて帰宅した小生の目に写ったのは今夜もジンギスカン、連続のジンギスカンである。が・・私は食べました。「うめがったじぇ」三日続けても食べれます。4日連続は流石に食べれないかも・・・。

画像は大槌城からの大槌湾
コメント (8)
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