彼女は視界が利く様になると、そのまだ涙の溜まった瞳に映る、眼前に長く横へと伸びて続いて行く木の塀に気付きました。塀の左右を見渡すと、その左端には小さな片開きの戸がありました。
『あの向こうに、』
彼女は思いました。『あの向こうには、きっと土筆なんか無いんだわ。』。
それは今年の春の初めの事でした。未だ早春のある日の朝、蜻蛉君は蛍さんを誘い、この木戸の向こうへ連れて来ると言ったのです。ここに土筆があるんだ、と。その時、その場所には全く土筆は生えていなくて、むき出しの黒っぽい茶色い土があるだけでした。彼女がそれ迄にこのお寺の敷地内で見た土筆は、5月頃のカサカサした土筆だけでした。その場所も本堂の裏手の軒下、雨が落ちるような場所で、土筆達は建物に沿って長く帯のような感じで生えていたものです。
その時蜻蛉君の示した場所は、いま彼女の涙で潤んだ目の前の塀の向こう、木戸を潜った向こう側でした。その時もなぜ彼が自分をそこへ連れて来てそんな事を言うのかと彼女は不思議に思った物でした。
そしてその後、その場所は、地域の子供達がこの寺に沢山集まった日、茜さんの兄で彼女の従兄の曙さんからも、この場所に土筆がある、今は無いけどここには土筆が生えるんだと、その場に彼女は連れて来られて教えられた場所でした。
『多分、あの場所には土筆は無いんだわ、』
蜻蛉君の言っていた事は当てにならない、信用出来ない事なのだ。自分の事を信用しない蜻蛉君だもの、『私も彼を信用しないでおこう!』蛍さんは自身の心の内にこう固く誓うのでした。