今までも、あれをしろこれをしろと、父から指図されて色々な事を習い覚えて出来るようになった私だったが、更に自分の人生がこの先努力の連続だという事に気付かされた。私は未だこの世に生を受けてから間もない、そう思うと、今迄の苦労や努力の何十、何百、数の倍数は分からなくても、気の遠くなるような果てしない努力の連続が目に浮かぶように想像できた。今の私はへいこら言いながら喘ぎ喘ぎ示された問題に取り組んでいるのだ。
『あー、堪った物じゃない。』
私は思った。確かに、最初難しくて全く出来なくても、せっせと取り組むうちに何時しか難しい事も出来るようになった自分だったが、本当にそれは大変な思いで達成して来た事だった。しかも、私はそれらの努力の行程を確りと自分の脳裏に焼き付けていた。出来ない時のイライラ感、癇癪も起こしたし、出来ないと声を上げて泣き散らしもした。それでも、父や祖母、家の大人に代わる代わる言葉を掛けられ、宥め空かしたりされる内、気を取り直して取り組んでいる内に、何時しか私は示された事が出来るようになっていたのだ。しかし、その出来ない時の焦燥感、鬱屈した胸の内を私は今甦らせていた。
あの苛々した身にべっとりと纏わり付くような嫌な気分、焦燥感という物だ。それがずーっと永遠に続くのだと私は考えた。私は生まれてから現在までの過去と、これから自分の前に続く未来を考えると、自分の未来の方が遥かに時間的に長く、あの嫌な気分をこれからもずーっと自分は味わい続けるのだ、という事が簡単に予想出来た。私は悲嘆に暮れた。過去はよい、過ぎた事だ。だが、これからの未来はまだ来ていない時間だと思うと、どうにかしてあんな嫌な気分にならない方法はないだろうか?私はそんな事を考え始めた。
出来ない事をするのは、出来るようになって出来ない子に勝つためだ。何でも出来て1番になるのが良いのだ。1番になるために頑張って何でも出来るようになるんだ。父はそんな事を言って頑張って何でも出来るようになれと私にあれこれと教えてくれたのだ。
では、と、ここで私は閃いた。それでは、勝とうと思わなければ、何でも1番になろうと思わなければ、無理して何でも出来る様にならなくていいんじゃないかなぁ。私はそんな事を考えた。折角努力して出来るようになって誰かに勝ち、たとえ1番になっても、さらに苦しい努力は続くのだ。もっともっと出来るようになる為に、負かした相手に負けない為に、益々努力して苦しまなければいけないなんて、それでは何時休む事が出来るのだろう?。
また、人と人がそんなに何時も争っているのなら、大人達が言っている平和な世はまだ来ていないんじゃないのかな?。私は幼いながらに父の言う事と、今現在の私の住む世の中の矛盾という様な物に気付いた。こんなに幼い私が誰とも分からない戦う相手の為に苦労して努力しているのだ。争いの無い平和な世の中なら、私と争う人などいないのではないか。それなら何も無理して何でも出来る様にならなくていいんじゃないかな。私はこう思った。折しも、首を捻り脳む私の元へ、台所から祖母がやって来た。私は目に映った祖母の顔を見上げると問い掛けた。
「お祖母ちゃん、今は平和な世の中なんでしょう。」
祖母は一瞬きょとんとした。子供が平和を口にするのが珍しかったのだろうか。程無くして祖母はそうだよと答えてくれたので、私は続けた。
「平和って言う事は争いの無い世の中だという事だよね。」
父の受け売りである。祖母は微笑んで、ええ、ええと頷いてくれた。
「何故、私は人と争う事を考えて何でも出来るようにならないといけないの。」
「何故、人と争って私は何でも1番にならないといけないの?。争いの無い平和な世の中なのに。」
そう言って私はにこやかに微笑むと祖母の返事を待った。