何やら家の中がバタついている、そんな気配もよくは分からない儘2、3日して、時折家の中で飛び交う「素麺」、「冷素麺」の言葉に、一作年前の夏の食事を思い浮かべる私だった。食べたく無いなぁと、食欲減退気味になり始めた頃。
「お昼は素麺なの?」
と私が不安げに聞くと、母は違うという返事。それを聞いてほっとした私に、未だ夏でもないのに何故そんな事をと母は訝っていたが、やはり祖父母と父は素麺の話をしているようだった。
まぁ、そんな事は放っておいてと、私は、母はああ言っていたが、もし昼食が素麺だったらと考えると長い外遊びに出た。昼食の時家にいなければ、若し素麺が出ても食べなくて済むと考えたのだ。この時の私は1食ぐらい抜いても良いと思った。それほど昨夏の食事の素麺攻勢に懲りていた。
『引き止められない内に、早く…。』
私はもうお昼だと声がかかるのを恐れ、時計を見て頃合いよく外へと飛び出していった。2、3時間程の時間感覚は有ったので、昼をかなり回った頃に帰ろうと思い、何処へ行こうかと考えると、辿り着いたのは何時ものお寺だった。呼びに来るだろう母の事を考え、私は境内の奥、墓所に身を隠す事にした。本堂の脇に入ると、何時も住職さんと出会った場所に、今日は住職さんと同じ様な格好で、石の基礎に身を持たせた史君が1人いた。
あれっ、こんにちは。など声を掛けると、何時もならやぁ、とかああとか言う彼なのに返事が無い。顔付きも何時もの様な親しそうな感じは無く、妙に取澄ました感じだ。くりっとした目でやや下方から見つめて来たり、プイっと向こうを向いたりしている。
「如何したの?」
何だろうと私は不思議な気がして彼の顔を覗き込んだ。そして無言の儘の彼の横に並ぶと、同じように石の基礎に背を持たせかけて再び声を掛けた。
「今日の史君は何だか変だよ。」
私は思った儘にあれこれ声を掛けてみる、が、やはり史君からは何の返事も無い。その内、彼は下を向いてしまい私の横で項垂れていたが、如何やらその目には涙が溢れて来ているようだった。彼の頬に伝わる涙に私は気付いた。
「泣いてるの?。」
誰かに苛められたのだと私は思った。そこで誰に苛められたのかと問い掛けたが、彼はやはり無言だった。そして手で涙を拭うと、一呼吸置いて落ち着いたらしく、
「僕は、知ちゃんの家の人やここいら辺の人が言う、素麺とか冷素麺らしいから。」
等言いだすのだ。この時、父の最初の言葉から数日過ぎていたこともあって、私は直ぐにこの言葉に思い当たらなかった。人は素麺でも冷素麺でもないよ。史君とは関係無いじゃないか。そう言うと屈託なく笑った。微笑んだ彼に、漸く安堵した私は何時もの様に彼と話し始めた。彼の方も、元気が無い迄も何時もの調子を取り戻して来た。その時、そう言えばと、私は父がそんな言葉を2、3日前に口にした事を思い出した。
「そう言えば、お父さんが飴何とか、素麺、冷素麺って言ってたけど…。」
それに今日も、実はお昼が素麺らしいから逃げて来たのだ。と、私が笑顔で話し始めると、史君はまた寡黙になって仕舞った。そして、そんな事だろうと思った。そう言うと、知ちゃんも僕の事を馬鹿にしてるんだね。
「揶揄わないでくれ。」
そう言うと、僕は一人でも平気なんだ。と、ぷんとして放って置いてくれと言うのだった。
これには流石に私もムッと来た。じゃあね、と言うとパッと石造りから身を離して、たたた…と史君の前を通り過ぎると、私はその儘墓地内には向かわず、左折して墓石の向こう、あのブロックの隙間へ向かった。このまま墓地の奥に入っても、仲違いした史君からは離れられないような気がしていた。寺からさっさと出てしまった方が、今日の不機嫌な彼と離れられて良いと私は考えたのだ。