Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

無事つつがなく

2013-04-04 21:37:27 | 日記・エッセイ・コラム
通夜、葬儀と無事つつがなく終わり、現在ほっとして記事を書いています。
涙に暮れた一昨日、家もお線香の香りに包まれ、蝋燭の炎に穏やかな気持ちとなり、在りし日の若い頃の父を思い出し、再び涙を滲ませた通夜、葬儀。
今日の日は天候も良く、桜もほころび、穏やかな春の日となりました。
川の色も穏やかな色をしていました。雪解け水なのでしょう、ゆったりと満ち足りて流れていました。
明日からは暫く読経の声が続く毎日となります。おりんの音が響くのが気持ちよく聞こえてきそうです。
遺影の写真を見ていると、とても若く見えます。ほんの十何年か前のものですが、父の年から見ると70代、そんな年には見えない若さです。
30代からこんな感じの顔、いや、もっと若い頃もこんな顔をしていたように思うと、遺影を見ながら尽く々々思った事です。
子の欲目ではないような参列の方の感想でもあります。
私が20代の頃の父を知っている訳が無いのですが、やはり若い頃の父の写真があり、過去に何度かそれを見てきたことから、思い起こして感想が湧くわけです。
遺影にはもちろん白髪があり、遺体の方は黒髪がまだ残っていると感慨深い感じなのですが、それなりの年が分かりそうで分からない70代の父です。
若い頃から面立ちがほとんど変わっていない、そう感じた70代の父の写真でした。
精神的にも『万年青年』などと称していた父、50代になるころまで自ら口にしていたのが、いつの頃からか聞かなくなってしまったと思っていましたが、内心やはり若いままだったのかもしれません。
個人を褒め過ぎてしまった。
春の陽気のせいと一笑に付してください。
穏やかな春の日、父も穏やかに彼岸へと春の川を渡れますようにと願っています。合掌。
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だって、迷ってうろつかれると嫌ですもの

訃報

2013-04-02 21:16:56 | 日記・エッセイ・コラム
 今朝父が亡くなりました。
皆様には生前お世話になりありがとうございました。
皆様のご助力に感謝しております。
冥福をお祈りください。
映画や音楽、文化的なことが好きな人でした。
(父にごをつけるのはおかしいですよね。ミスりましたね。)             

エイプリルフール

2013-04-01 21:48:39 | 日記・エッセイ・コラム
今日は4月1日、エイプリルフールです。
でも無いのでしょうが、朝から大変な目にあってきました。
まず、朝一で母が私の部屋へ。
父の状態が変わったのですぐに病院へと電話があった、と血相を変えてやって来ました。
即、出かける準備です。流石に今回は子供も一緒にと、皆が揃うまで出発を待っていた所、30分はとっくに過ぎて、それでも一目散に車を飛ばした所、病院は朝礼の真っ最中でした。
急いで病室へ、父は苦しそうに息をしています。顔色も悪いと聞いていたので、一番に額に手を当てて様子を見たところ、気付いた父は目を開けて頭を動かしたのか、ピキ!という頭蓋骨の音。
どき!
まさか頭蓋骨が骨折しもしないのでしょうが、腕や足などの関節のように音を立てるものなのだとはじめて知りました。
暫く父の容態を見てきました。見てきたというからには帰って自宅にいるわけです。一応、苦しそうではありましたが、それなりに容態が悪化する事なく、家に帰ることが出来ました。
熱があり、血圧も低いとか。どうも転院の疲れが出たようです。加えて、昨晩は夜通し騒いでいたとか、それでは疲れた事でしょう。ゆっくり眠ってねといって帰って来ました。
苦しいのかなかなか寝付かれないようで、その間は傍らにいました。少し落ち着いて眠りに入ったところで帰ってきました。
帰る時にお医者様と話をしました。いつ容態が変わってもおかしくない状態だそうで、携帯は常に持っていてくださいといわれました。
連絡がきちんと取れるように家族で連携しておかなければと、私のいない時はどうするか念押ししておきました。
事なきを得たといっても、いつまで持つかは分からず。
それなりに心配で慌しい日々が続きそうです。
こんな感じで家事のため、昼食が取れなかった日は2日目です。仕事との兼ね合いもあるし、一家の主婦は大変といえますね。