私の一番年齢が高い18歳の孫は私の長男の嫁さんの連れ子ですが、通夜に来て来れました。父親の伯父さんにあたる私の兄と最後の別れをしたいと言ってのことです。
通夜の席で彼が兄に手をあわせるのを見ながら、彼の小学校4年頃の光景を思い出しました。彼の母方の曽祖母の葬儀がありました。彼は母親の離婚後母親と共に祖母のところで生後間も無くからうちの長男と母親が結婚する小学1年の終わり頃まで暮らしていたのです。その頃曽祖母に可愛がられていたようです。
ですから曽祖母の遺体を納めた棺桶に縁の顔を押しつけて泣き伏していた姿が忘れられないのです。その姿が今夜兄を囲むなかの小学生4年くらいの子どもたちに重なり、命のはかなさ大切さを深く心に刻める機会としての葬儀の意義を考えさせられました。身近な人の死を通じて命の意味を知る、ある意味では学校の授業での課題として生命の大切さ、とは違った深さを持っているでしょう。
高齢者の死は身近な若年者にとって何より命の有限性を実感する機会です。そしてその人の命が自分に移ってきていることを知る機会です。高齢者は自分の命を若年者に結びつける機会をつくり、後世に託せる工夫をすることで最終期の生き甲斐も生まれるのではと考えました。