kaeruのつぶやき

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巨泉さん、もうひとつの「別離」。

2016-06-27 22:36:17 | せいじの政治カフェ

   ソフトバンクへの支払いがかなり高額になり、引落しが出来ず店頭払いしてきました。「インターネットの使いすぎです」とのことですが、飛び込んでくる情報に反応しているうちに料金の発生が重なるのでしょう。

そういう「情報」としてこんなことも、大橋巨泉さんの私たちへの「遺言」です。

「真田丸」で「別離」を見て考えてきていたのでここに現代の「別離」を知らされました。 巨泉さん、3歳年上です、「11PM」の世代の私にとってはこの人の「引退」は残念です。それでこれまたインターネット巡りをしました。

これは切ない話です。

http://light-shade.net/post-743  このなかの巨泉さんの「遺言」だけ移しておきます、後はクリックしてお読みください。

 


「別離」大いなる別離へ向かって。

2016-06-27 20:17:34 | 「真田丸」

「別離」という題から言えば鶴松の病死、利休の切腹、秀長の病死という主人公信繁にとっての別れがありました。

   NHK出版の『真田丸 前編』「略年表」によると第1回「船出」は信繁を16歳としてえがき、最後の第50回が1615年49歳です。今回の舞台になった天正十九年(1591)は25歳でした。前半の25回で信繁の10年間が描かれ同時に信繁の生涯の半生が描かれてもいました。そのなかでも第14回の「大坂」からはじまった信繁の活躍舞台は秀吉の馬廻としての日常で、この形は次回以降も続くようです。

 『真田丸 後編』による「あらすじ」の第29回「異変」でその最終部分を、【 文禄五(1596)年閏七月十三日未明。これまでにない大地震が伏見を襲った。  信繁は真田屋敷を飛び出し、秀吉のもとへと急いだ。秀吉の最期と、豊臣家の行く末を予感させる不気味な揺れだった。】と結んでいます。

  この後の21回分で《秀吉の最期、「関ヶ原の戦い」に伴い「犬伏の別れ」や「第二次上田合戦」から信繁と昌幸の「九度山蟄居」、昌幸の死、信繁九度山脱出大坂城入城、「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」そして信繁戦死》が描かれるのでしょう。まさに波瀾万丈の時代劇絵巻が展開されます。

  それだけにこの間の信繁が見聞きする秀吉とその周辺の描き方が、かなり細かく長く描かれているなぁとの感じがします。そして脚本を担当された三谷幸喜さんのインタビューが思い出されました。

  こうあります、 天正壬午の乱が終わると、大坂城の群像劇が始まります。「人たらし」と言われ、天性の陽気キャラだった秀吉が、次第に暴君に変わっていく過程を丹念に描き、馬廻衆として秀吉のそばにいた信繁の視点で、石田三成や茶々といった秀吉周辺の人々を描写します。大坂の陣で、なぜ信繁が豊臣方についたのか、命をかけて秀頼を守ろうとしたのか。その秘密を解くヒントが、若き日の大坂時代にあると、僕は思っています。】 

   波瀾万丈のなか信繁の言動に必然性をもたらし、視聴者に歴史のなかからひとりの武将の姿を蘇らせ、そして歴史のなかへ多くの人々とともに別れさせる「大いなる別離」に向けて、ひとつ一つの「別離」が描かれていくのだと思います。