NHKの「真田丸」ムービーで北条氏家臣・板部岡江雪斎役の山西惇さんが「名胡桃城は北条のモノ!」と「叫んで」います。
これをクリックして「聴いて」みて下さい。
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/movie/movie08.html
『戦国の活力』(小学館 日本の歴史 八 山田邦明著)に「北条領国の解体」という頁に名胡桃城が出てきますので引用しておきます。
【 九州の島津氏を服属させた秀吉は、目を東に転じ、関東と東北の攻略に取りかかった。(一部略) 徳川と上杉という東の大名との関係を固めた秀吉は、彼らの領国の東に位置する関東と東北をその管轄下におさめるべく行動を起こした。
関東の過半を支配していた北条氏は、家康とは同盟関係にあり、秀吉に対しても反抗的な態度を示していたわけではなかったらが、結果的には秀吉の討伐の対象となってしまう。天正一七年、秀吉は北条氏政・氏直父子に早く上京せよと指示を出すが、これがなかなか実現されず、この年の冬に北条氏の武将猪俣邦憲が真田昌幸の属城である上野の名胡桃城(群馬県みなかみ町)を奪い取ったことが問題にされて、討伐の理由づけがなされることになったのである。】
この後「真田丸」では次回の「滅亡」に当たる北条氏の最期が書かれていきます、そして
【 小田原城の開城を実現させた秀吉は、奥羽の仕置を進めるべく会津まで馬を進めた。伊達から没収した会津には腹心の蒲生氏郷を入れ……。八月一二日、秀吉はようやく帰路についたが、帰り道の駿府で小西行長らと面談し、明国への出兵の準備について相談している。小田原城を包囲しながら、秀吉は大陸出兵の構想を練っていたのである。】