kaeruのつぶやき

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「関東惣無事」と「滅亡」

2016-06-19 22:45:51 | 「真田丸」

「真田丸」第24回 「滅亡」は北条家の滅亡を描いていますが、そのキーワードは「関東惣無事(令)」です。NHKの次の「歴史解説」に書かれています。「歴史解説「関東惣無事」 。

それに関連して『大系 日本の歴史 8 天下一統』にはこう書かれています。

「関白の平和」の下の方に書かれているのは、

【 九州の島津・ 大友氏間の紛争と奥羽の伊達・蘆名氏間の戦いに終止符を打たせた秀吉は、関東に北条氏を破ってついに天下を組み伏せる。秀吉による新しい「平和」支配の方法を戦国大名の終焉に対比させて描く】とあります。

文中の「惣無事」に関係する個所を抜き書きしておきます。

【 天正十五年(1587)暮、関東および奥羽地方の諸大名にたいし、いっせいに関白秀吉の直筆が発給された。(略)

「関東惣無事のことを家康に命じたので承知せよ。そむいたなら成敗する」というのが直筆の内容である。(略)

「無事」とは「有事」の反対で、平穏で何事もない状態をいう。この直筆(は)関東・奥羽地域における領土紛争の全面的停止を命じたもの…。

ここでは、それが徳川家康にまかされている。

   家康が上洛して秀吉に臣従の礼をとった際、両者のあいだで東国の諸問題が話し合われた。秀吉は「関東の儀、家康と談合せしめ、諸事あいまかす」と、関東の処置は関白政権の統轄のもと家康に処置させるとの方針を言明した。

関東・奥羽惣無事令は、この地域における武力紛争の停止とその平和的解決を関白政権の裁定にゆだねることをめいじたもので、徳川家康がそれをとりまとめにあたることになったのである。以後の政治史は惣無事令の執行をめぐって展開する。】

北条氏滅亡との関連でもう少しありますが、明日に回します。