地名俳句とかふるさと歳時記があるのは俳句が季語と結び付き、季節が地形地域と深い繋がりがあればこそと思えます。手元の『地名俳句歳時記』はこの手のものとしてはごく小さいものでしょうがそれなりの地名と俳句が紹介されています。
鹿児島県の地名としては薩摩からはじまり鹿児島市、城山など市内の各所から県内各地と幾つかの島の締めは与論島で、全体で31ヶ所です。
「薩摩」鹿児島県の西半分、薩摩半島・甑島こしきじま列島を占める旧国名。別称薩州さっしゅう。西海道九国の一。古代、襲国そのくにの一部、一時日向ひゅうがに属し、八世紀頃分置された。国府・国分寺は川内市にあった。
糸雛といひて薩摩の娘らのもの 後藤比奈夫
土産屋に藷の苗売る薩摩かな 小林洋子
薩摩路や涼しき色の潮だまり 後藤是山
「鹿児島市」南九州における政治・経済・文化・交通の中心地。県庁所在地。島津氏の鶴丸城七十五万石の城下町として発展。市内には島津氏や維新ゆかりの旧跡が多い。
鹿児島のニン月早も燕来し 向井太圭司
鹿児島の灰汁巻うまし樟若葉 渋沢渋亭
灰汁巻=あくまき 樟=くす
「城山」鹿児島市城山町。市の中心部にある小山。標高107m。南北朝時代に上山氏がここに城を築いて城山の名前がついたといわれる。明治十年の西南戦争の折、西郷隆盛率いる薩軍が砦にしたところで隆盛ゆかりの旧跡が多くある。
城山に残る大樹や天の川 山之内赫子
城山の初日あまねく隼人墓地 岡部寿香
「南洲洞窟」鹿児島市城山町。城山の東中腹、岩崎谷にある洞窟。西南戦争の折、薩軍が立てこもり、九月二十四日の官軍総攻撃で洞窟を出た西郷隆盛は弾丸を受け自決した。
南洲洞窟樟の萌色にはかなる 野村多賀子
西郷窟一塵もなき涼しさよ 堀口星眠
「南洲墓地」鹿児島市上竜尾町。西南戦争の戦死者二千二十三名を葬る墓地。鹿児島駅裏手の小丘陵にあり、正面に西郷隆盛の墓がある。近くに南洲神社がある。
散りいそぐ西郷墓地の山桜 内薗富恵
南洲の墓に火山灰降る鳥曇 香西信子
はじまったばかりですが、とりあえずー1ーとします。