午前3時30分、24時間前のこの時刻には東京の深川木場付近の息子の車の中にいました。車はレッカー車に引かれて高速から一般道路に下りて来た頃でしょう。
兄宅から上田駅に行く4人と私たち夫婦が乗った車はなんの問題もなく、上田駅で別れて一路神奈川県へ、私は後ろ座席で寝込むことに専念していたのですが、気がついたら車が止まって運転手の息子が何やら厚いマニュアルを広げて読んでます。故障かいと妻に聞くとタイヤらしい、と。
そこでかなり時間を食ったのですが、結局連絡してレッカー車となったわけです。呼んでもらったタクシーに荷物を入れ替えて今度はタクシーで一路神奈川県へ。
湾岸線からベーブリッジを走りながら、20数年前のことを思い出していました。息子が倒れた!の電話が妻から入ったのは夕方でした。心臓発作、救急車で横須賀の市立病院に入った、今夜持てば助かるだろうということでした。仕事場だった新宿から乗ったタクシーは、昨夜と同じ夜景のなかを走っていました。二十代の息子が親より早く死んでしまうことがある!そんなことがありえるのか、あるかも知れない。
橋の影に灯りが飛んで、暗い海の面に反射して、今思えば気持ちのなかに暗い予感とそんなはずはないという思いとが交差する光景だったのです。病院で夜が明けて、大丈夫ですの医者の言葉を聞くことができたのです。
死が順を追って来てもらえれば自然の有り様にかなったことで、神も仏も出る幕がないのです。理不尽な順番が持ち込まれないよう心がけを良くしなければと思ったら夜明けになったようです。