「不信」のタイトルは秀吉と秀次のあいだのことでそれが大きな悲劇へと向かうことになってしまいます。信繁と信幸がそろっての叙任をめぐっての行き違いも描かれます。
しかし真田兄弟の場合は悲劇へと向かいません。この兄弟の絆が取り戻される場が次回描かれるようです。前回に祖母とりが最期の言葉として「兄弟の絆」の大切さを心を込めて語っていた景が浮かびます。あわせて今回の画面にも父昌幸と三人の場が映されていましたが、この父親の存在が兄弟の絆のもとになっていると思います。
やはり「真田丸」は戦国ホームドラマでもあります。
秀次の悲劇は、真田兄弟に対する祖母とりや父親昌幸的な存在がいない、ホームドラマに厚みをもたらしてくれる人がいないことからきているのではないでしょうか。秀吉の出世過程は家族的絆の強化拡大であっても、その頂点が秀吉であれば、実弟秀長のあと秀吉の目となり耳となって理解を深めさせられる者はいなくなっていました。
あわせて、政治的権力の動向がホームドラマになってしまう時代の悲劇でもあります。徳川政権になってもそれは同じ、それどころか現代にも同じ流れが政治的権力はじめ企業団体組織のなかに流れているのではないでしょうか。
秀吉秀次の悲劇を、現代人が理解できるのは数多くの事例のなかに身を置いているからでしょう。