これは今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」です。
ずっと肝に銘じてきたといいます。放送の世界に入ったときに民俗学者の宮本常一さんから言われたことを。「電波の届く先に行って、そこに暮らす人の話を聞いてほしい。その言葉をスタジオに持って帰ってほしい」▼46年間も放送され続けた「永六輔の誰かとどこかで」はそんなラジオ番組でした。全国を旅して無名の人たちの話に耳を傾けた永さん。暮らしのなかで語られる市井人の言葉には重みも味わいもあると▼言葉の力を信じ、伝えることに心を砕きました。よく引用したのは井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく…」。自由にものが言える場所を何よりも大切にしました▼テレビの草創期に携わりながらラジオに活躍の場を移していったのも窮屈になったから。3年前の本紙インタビューでも語っています。「今もテレビで言いたいことが言えない。やりたいことができない」▼つねに権力の反対側で平和を脅かす風潮を批判してきました。イラクに自衛隊を派遣した際には「憲法をどう理解し、どう曲解すれば武器を持つ日本の軍隊が海外に行っていいことになるのだろう」▼憲法施行60年のときには本紙で「ぼくは99条の会」だと。この条文は、国会議員や公務員は憲法を守らねばならないという立憲主義の原則をうたったもの。それが破られようとしているいま、永さんなら何を発信したでしょうか。きっと暗くはならず、みんなを励ます言葉を。「上を向いて歩こう」
ここからは永六輔さんの『大往生』からです。
「老人の呆け防止には、テレビよりラジオをおすすめしております」
☆ ラジオの出演者として四十年。最近は、「リスナー」と呼ばれる聴取者も 高齢化して、それは深夜放送にも及んでいる。
ラジオを聞く、投書をする。その投書が放送される。自分を中心とした話題が生まれる。僕の番組「誰かとどこかで」でも、八十代・九十代の投書が増えたが、これは老人の趣味としては、経済的にも精神的にも理想に近いかたちのものだろう。
『大往生』の最終の
弔 辞 ーー 私自身のために
永六輔さん。
あなたは『大往生』という本をまとめて、タイミングよく、あの世へ行きました。
あなたはいつも無駄のない人でした。
そして、本当に運の良い人でした。
高校の時にNHKに投書して採用されて以来、上手に立ちまわって放送文化賞まで、すべて他人の褌で仕事を展開し、自分の都合が悪くなりそうになると、喧嘩を売ってでも仕事を乗り替えてきました。
そして、読みかじり、聞きかじりの話をまるで自分が考えたように脚色する名人でもありました。
そんな時に相手役を選ぶ才能も見事で、あなたの仕事で一人でやったものは何もないという見事さです。
(中村八大さん、いずみたくさん、遠藤泰子さん、長峰由紀さん、小沢昭一さん、野坂昭如さん、ーー内容略)
皆さん、あなたに利用された善人ばかりです。
芸能界で新人を育てるといいながら、その芽を摘んだり、ボランティアと称して、実は休みに出かけていたり、中でも尺貫法を肴に遊んでみせたのも見事でした。
そうした要領の良さは『大往生』という本によく現れています。
八十冊目という出版の中で、書きおろしたものは一冊もないという鮮やかさ。やっぱり最後は座談会や父上の文章を借りなければならないという力のなさ。そんな時は放送の人間と言い、放送の現場では出版文化人という替り身の早さは、「マスコミの寄生虫」というニックネームにふさわしいものでした。
そんな寄生虫の永さんが、人間らしく過ごしたのは御家族に囲まれていた時だけではないでしょうか。
旅暮らしの中で、一番好きな旅はと聞かれ、「我家への帰り道」と答えた永さんです。
その永さんがあの世へ往ったら先に往ってる皆さんに、またあることないことしゃべりまくることでしょう。
そうかといって、この世に帰って来られるのも迷惑です。
三途の川に流されて、あの世にも、この世にもいないというのが、永さんらしい「大往生」だと思います。
読者を代表してこの弔辞を……