今日は小母さんの月命日、夫婦で小父さん宅へ、明後日は兄の四十九日、弟と上田へ行くことになってます。
各々私にとって去った人、世には「去る者日々に疎し」と言い、繋がりが途絶えがちになれがそれだけ疎くなります。
まして去って行ってしまった人、日々遠くなって行く人なのだです。
兄のことはこれからですが、一昨年の10月に亡くなった小母さん、
この間、ほぼ毎月の月命日には夫婦で伺い線香をあげ小父さんと晩酌を兼ねて夕食を共にしてきました。線香をあげるといっても仏壇も位牌もありません、遺影に花と焼香のための物が置かれているのです。
それでも毎月ここに来れば気持ちが繋がります。
ご夫婦のことは勿論ですが、何よりも小父さんの話に耳を傾けて昔のこと、最近のこと、畑のことなどなど元気に住み慣れたこの葉山町で暮らしていることが分かります。介護保険でヘルパーさんの手も借りての部分もありますが、今夜の味噌汁は自分でつくったものだとのこと。食事に関しては何一つ出来ない私が槍玉にあがります。
86歳の一人暮らしの男性に直接かかわり、私達が高齢者夫婦として励まされるのです、どうこれからに向かっていったらいいのか、共に学んでいるといってもいいでしょう。
「去る者日々に疎し」の現実もありますが、去ることが遠くない者にとって去りし者を定期的に身近に感じる時間を持つことは、必須のことかと思います。月命日の意味を感じとることができます。