景色の素晴らしさを話だけで感じとってもらうということの難しさを、今日の向井さんは訴えてました。現場でガイドをする場合、目の前の光景に言葉をそえる、光景が主で言葉は従ですむわけです。でもマイクだけで聴き手に分かってもらいたいと思うと光景が頭に溢れてきて、言葉をこえてしまうという感じです。
それで南九州市の番所鼻公園の素晴らしさををなんとか言い表そうとして「もどかしい」とか「難しい」とか言いつつ、伊能忠敬の言葉「天下の絶景」を紹介してました。なるほど200年以上前に日本地図を作るため全国を廻っていたその人が「天下の絶景」と言った、とのことです。これは正に折り紙付きの「絶景」です。この所の話のなかで釜蓋神社に「てんがらもんラジオ」の写真だか色紙が飾ってあるとのことです。
向井さんの話のなかに竜宮神社のことが出てきて、昨年村永さんなどブログ仲間で廻った木曽路での浦島太郎伝説を思い出しました。九州の南端から信濃しなのの国の山奥に浦島太郎はたどり着いたということでしょうか。そこで「浦島太郎伝説」で検索してみると、全国11ヶ所の地名がでてきまして、そのなかに横浜があって驚いていたら沖縄の石垣島も、これも驚きです。
話に花瀬望比公園というのがありました、この比は比島=フイリッピンを意味します。なぜフイリッピンなのかは 花瀬望比公園 をクリックしてぜひお読み下さい。私はこれを読みながらその前に見た釜蓋神社の案内板の最後の部分を思い出しました、これです。
引用しておきます。
「戦時中は武の神様として仰がれ、釜蓋をかぶって参拝すると、無事に帰ってこられるということで、多数の参拝者が訪れた」
「無数の」という言葉でくくるわけにはいかない、ひとり1人の命、その命とつながる親兄弟、妻と子ら、近づく8月を前にして花瀬望比公園の碑文の意味を深めねばと感じています。そういう意味を込めてこの地も「天下の絶景」(絶を絶対の絶として)と呼ぶべきと思うのです。
碑文
(死生の扉)
遥か
南海の比島戦線に散りし
四十七万六千余名の英霊
時空を超えて
故国のこの地に鎮魂す
心底に万感を憶え
痛惜の念を石碑に刻む
自らを捨て
祖国の盾となりし
その死は
決して徒ではなかった
尊い犠牲
限りない加護がありて
今日の平和
いやさかの繁栄が有る
私たちは
それに応えているや
二度とこんな事を
起こしてはならない
親から子へ 孫に
無惨 痛哭の太平洋戦争を
そして壮絶
艱難辛苦の戦後もまた
語り継いで
行かねばならない